世界の現実は、理不尽で残酷だ――平等など存在しない

鷹 綾

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第二十九話 戻らない均衡

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第二十九話 戻らない均衡

王都の空気は、いつの間にか落ち着きを取り戻していた。市場には人が戻り、通りでは子どもたちの声も聞こえる。表面だけを見れば、騒動はすでに過去の出来事になりつつあった。だが、その奥で失われたものが元に戻っていないことを、上に立つ者たちは皆理解している。

均衡は回復していなかった。ただ、張り直されただけだ。

貴族院では、目に見えない線がはっきりと引かれていた。王家に近い者、一定の距離を取る者、公爵家寄りの者。それぞれの立ち位置は誰も口にしないが、もはや隠しようがないほど明確だった。これは派閥争いではない。生き残りのための配置換えだ。

「王国は、以前より静かになったな」

老侯爵のその言葉に、誰も反論しなかった。だが、その静けさは信頼が戻った結果ではない。期待が消えた結果だ。王家に未来を託そうとする空気は薄れ、代わりに「様子を見る」という慎重さが広がっている。それは反逆ではなく、失望に近い感情だった。

新王フィリップは、その変化を誰よりも正確に理解していた。王家は依然として王家であり続けている。だが、もはや当然の中心ではない。彼は書類の山を前に、一つの決断を下す。王権主導の改革を一時凍結し、貴族院主導の調整期間を設けるという判断だった。

力を振るえば、国は割れる。ならば譲るしかない。それは理想ではなく、生存のための選択だった。

地方では、別の動きが静かに進んでいる。公爵家同士の連絡が密になり、共同事業や相互支援の話が増えた。名目は経済や防衛だが、本質は明白だ。次に何かが起きたとき、王家はどこまで信用できるのか。その答えを、彼らはすでに持っている。だからこそ準備する。裏切るためではない。巻き込まれないために。

修道騎士団領では、ルイスが空を見上げていた。雲はゆっくりと流れ、世界は自分がいなくても変わらず動いている。その事実が、何よりも重く胸に残る。王太子は世界の中心ではなかった。ただ、そう思い込んでいただけだったのだ。

修道院の地下では、マリアが黙々と作業を続けている。祈りの言葉は口にしない。世界を変えたいとも思っていない。自分が特別な存在ではなかったことを、ようやく受け入れ始めていた。

一方、ブリテン王国でアリエノールは王城のバルコニーから遠くを眺めていた。
「王国は均衡を失ったのではありません」
そう彼女は言う。
「元の均衡が、幻想だっただけですわ」

今あるのは、現実の均衡だ。冷たく、緊張を孕み、だが嘘のない形で保たれている。王国は壊れかけているが、崩壊しているわけではない。それは再配置の途中に過ぎなかった。

誰が中心に立ち、誰が距離を取り、誰が沈黙するのか。その答えは、まだ完全には出ていない。ただ一つ確かなことがある。もう二度と、「愚かだった」では済まされない。

均衡は戻らない。だからこそ次に問われるのは、誰かの言葉ではなく、王国そのものの構造なのだった。
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