働きませんわ。それでも王妃になります

鷹 綾

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2話 王太子の理想と不満

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2話 王太子の理想と不満

 王宮の執務室は、朝から重たい空気に包まれていた。

 窓から差し込む光は明るい。磨き上げられた床も、整然と並ぶ書棚も、何一つ乱れていない。だが、その中央に立つ青年の眉間には深い皺が刻まれていた。

「……また、断られたのか」

 王太子アレクシスは、机の上に置かれた報告書を乱暴に閉じた。

「はい。ルヴァリエ公爵令嬢は、本日も体調不良とのことで」

 控える侍従が、申し訳なさそうに頭を下げる。

 体調不良。

 その言葉を聞くたびに、アレクシスの胸には苛立ちが募った。

 体調が悪いのではない。やる気がないのだ。

 王太子の婚約者でありながら、王宮行事への出席は最小限。慈善事業にも顔を出すだけで、実務は他人任せ。新政策の発表の場にも姿を見せず、国民の前に立とうともしない。

 それがエルフィーナ・ルヴァリエ。

 “働かない公爵令嬢”。

「……未来の王妃だぞ」

 思わず漏れた言葉は、誰に向けたものでもなかった。

 王妃とは、王と共に国を支える存在だ。民に寄り添い、貴族をまとめ、時に王を諫める。王宮の顔として立ち、国の象徴となる。

 少なくとも、アレクシスはそう教えられてきた。

 だが彼女は違う。

 静かで、感情を表に出さず、必要以上に前へ出ない。

 何を考えているのか分からない。

「殿下」

 低く落ち着いた声が、室内に響いた。

 振り向くと、宰相の息子レオン・グレイフォードが立っている。幼少期から共に学び、政務を補佐してきた側近だ。

「ルヴァリエ公爵家との関係は、慎重に扱うべきです」

「分かっている」

 アレクシスは苛立ちを隠さず答えた。

「だが私は、動ける王妃が欲しい。国のために汗を流す者が必要だ」

 その言葉に、レオンはわずかに目を細める。

「汗を流すことと、国を動かすことは、必ずしも同義ではありません」

「何が言いたい」

「公爵家の影響力を、殿下は正確に把握しておられますか」

 アレクシスは不機嫌そうに椅子に腰を下ろした。

「財力があることは知っている。だがそれは父上の時代からの話だ。今の王家に、そこまで依存しているとは思えない」

 そう、思いたいだけかもしれない。

 だが認めたくはなかった。

 未来の王が、一貴族の家に支えられているなど。

「……それより」

 アレクシスは話題を変えるように立ち上がる。

「今日の慈善訪問は、リリアと共に行く」

 その名を口にした瞬間、空気がわずかに変わった。

 聖女リリア。

 神殿に仕える少女で、ここ数年で急速に民衆の支持を集めている存在だ。孤児院への寄付、貧民街の炊き出し、病者への祈り。

 彼女は常に前へ出て、笑顔で人々に語りかける。

 その姿は、アレクシスにとって理想そのものだった。

「殿下が彼女を評価なさるお気持ちは理解いたします」

 レオンは淡々と続ける。

「ですが、婚約者を差し置いての同席が続けば、社交界は騒ぎます」

「騒がせておけばいい。国民は彼女を支持している」

 アレクシスは窓の外を見やった。

 王都の広場では、今日も人々が行き交っている。そこに立ち、声を上げるのはリリアだ。エルフィーナではない。

 エルフィーナは――今頃、屋敷で紅茶でも飲んでいるだろう。

「怠け者め」

 思わず吐き捨てた言葉に、レオンの視線がわずかに鋭くなる。

「殿下。彼女は怠けているのではない可能性もございます」

「何だと?」

「表に出ないだけで、別の形で関与しているかもしれません」

 だがアレクシスは首を振った。

「ならばなぜ、私に示さない。なぜ共に立とうとしない」

 それが彼の本音だった。

 愛ではない。

 理想だ。

 自分の隣に立ち、共に未来を語り、国を導く存在が欲しい。

 だがエルフィーナは、いつも一歩引いた場所にいる。

 まるで最初から、王座に興味がないかのように。

「……殿下」

 レオンが静かに告げる。

「婚約とは契約です。感情だけで扱うべきものではありません」

「契約、か」

 アレクシスの目に、微かな迷いがよぎる。

 だがすぐに、それは消えた。

「ならば尚更だ。国のためにならぬ契約など、見直すべきだろう」

 その言葉は、まだ決意ではない。

 だが芽は確かに生まれていた。

 婚約破棄。

 それはまだ口にしていない。

 だが彼の中で、少しずつ形を取り始めている。

 ◇

 同じ頃。

 ルヴァリエ公爵邸のテラスでは、エルフィーナが二杯目の紅茶を口にしていた。

「王太子殿下は、本日も聖女様とご一緒だとか」

 マリアが控えめに告げる。

「そう」

 エルフィーナは微笑む。

「良いことね。彼女は働き者ですもの」

 羨望も、嫉妬もない。

 ただ事実を述べるだけ。

「お嬢様は……よろしいのですか」

「何が?」

「殿下のお気持ちが、離れていくこと」

 その問いに、エルフィーナはしばし沈黙した。

 そして、ゆっくりと首を傾げる。

「最初から、近くにいた覚えはないわ」

 彼女の声は穏やかだった。

 愛されたいと願ったことはない。

 王妃になりたいと望んだこともない。

 ただ、与えられた立場を受け入れ、必要な時に必要な契約を交わしてきただけ。

 それ以上でも、それ以下でもない。

「……動くなら、どうぞご自由に」

 彼女は小さく呟く。

 王太子が動く。

 聖女が動く。

 貴族たちが動く。

 ならばいずれ、盤面は変わる。

 だが彼女は動かない。

 椅子に座り、紅茶を飲みながら、その変化を待つ。

 まだ、何も起きていない。

 けれど確実に、歯車は回り始めていた。
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