働きませんわ。それでも王妃になります

鷹 綾

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3話 聖女という光

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3話 聖女という光

 王都南区の貧民街は、朝から人で溢れていた。

 狭い路地に並ぶ古びた建物。その一角に設けられた仮設の炊き出し所には、長い列ができている。粗末な衣服をまとった子どもたちが、期待に満ちた目で前方を見つめていた。

「順番ですよ。慌てなくて大丈夫ですからね」

 澄んだ声が、柔らかく響く。

 聖女リリアは白い衣を揺らしながら、ひとりひとりに丁寧に声をかけていた。金色の髪は陽光を受けて輝き、その微笑みはまるで祝福そのもののように人々の心を照らす。

「聖女様、ありがとうございます……」

「今日も祈ってくださるのですか?」

「ええ、もちろん。皆さまの平穏をお祈りします」

 彼女はそう言って、両手を胸の前で組む。周囲の人々も自然と頭を垂れた。

 王太子アレクシスは、その様子を少し離れた場所から見つめていた。

「……見事だな」

 隣に立つ神殿長が誇らしげに頷く。

「リリア様は、まさに神の導きそのもの。民は彼女を慕い、希望を見出しております」

 アレクシスの胸には、確かな満足感があった。

 これだ、と。

 未来の王妃に必要なのは、この姿だ。

 民の前に立ち、言葉を交わし、手を差し伸べる存在。国を象徴する光。

 対して、エルフィーナはどうだ。

 貧民街に姿を見せたことなど、一度もない。神殿行事にもほとんど出席しない。民の名を覚えようともしない。

「殿下」

 リリアが振り返り、アレクシスに微笑む。

「ご覧ください。今日は寄付のおかげで、温かいスープをたくさん用意できました」

「寄付?」

「はい。王都の有志の方々がご支援くださっています」

 神殿長が補足する。

「特に、ある大口の基金が継続的に支援を」

 アレクシスは軽く頷いた。

「それは良いことだ」

 資金の細かな出所など、気にする必要はない。重要なのは結果だ。リリアが民を救っているという事実。

 彼女は祈りを捧げ、涙を拭い、希望を与えている。

 そしてその姿は、王都中で語られていた。

 “努力家の聖女”。

 “民の母”。

 “真の王妃に相応しい存在”。

 その言葉が広まるたびに、エルフィーナへの評価は相対的に下がっていく。



 一方、ルヴァリエ公爵邸。

 エルフィーナは書斎の窓際に腰掛け、分厚い帳簿を眺めていた。

「今月の神殿向け支援額は?」

「例月通りでございます」

 家宰が淡々と答える。

「孤児院三箇所、炊き出し四拠点、医療支援費。すべてルヴァリエ基金名義です」

「そう」

 彼女はページをめくりながら、静かに頷いた。

 聖女リリアの活動は、確かに尊い。

 だがそれを支える資金の多くは、ルヴァリエ家の基金から出ている。

 表には出ない。

 感謝の言葉も届かない。

 だが構わない。

「神殿側からは、何か言ってきている?」

「いえ。例年通りの形式的な礼状のみ」

「それで結構」

 エルフィーナは帳簿を閉じた。

 彼女にとって、慈善事業は“善意”ではなく“仕組み”だ。治安維持、民衆の不満の緩和、都市の安定。それらを支える投資。

 感情で行うものではない。

「お嬢様は、聖女様のご活躍をどう思われますか」

 家宰の問いに、エルフィーナは少しだけ視線を遠くへ向けた。

「よく働いていらっしゃるわ」

 それは皮肉ではなかった。

 本心だ。

 リリアは真摯に動いている。努力もしている。民のために時間と体力を削っている。

 だが。

「光は、支えがあってこそ輝くの」

 ぽつりと呟いた言葉は、窓辺の風に溶けた。

 光そのものは美しい。

 だが燃料がなければ、いずれ消える。


 その日の夕刻。

 王宮の私室で、アレクシスは再びリリアと向き合っていた。

「殿下、今日も多くの方が笑顔になりました」

「君の力だ」

 即答するアレクシスに、リリアは控えめに首を振る。

「いいえ、支えてくださる皆様のおかげです」

 謙虚で、優しく、前向き。

 アレクシスの胸に、ある思いが膨らむ。

「……リリア。もし君が王宮に常にいてくれたら、どれほど心強いか」

 その言葉に、彼女は驚いたように目を瞬かせた。

「それは……どういう意味でしょう」

「私は、未来の王として、民に寄り添う王妃が必要だと思っている」

 遠回しではあるが、その意図は明らかだった。

 エルフィーナの姿が、脳裏に浮かぶ。

 静かで、動かず、何を考えているか分からない婚約者。

 対して、目の前の少女は、まっすぐに光を放っている。

 比較は、すでに始まっていた。


 夜。

 ルヴァリエ邸の寝室で、エルフィーナはゆったりと髪を解かれていた。

「王都の噂では、殿下と聖女様のご関係が近いと」

 侍女が慎重に言う。

「そう」

 エルフィーナは鏡越しに自分の目を見つめる。

 不安はない。

 怒りもない。

 ただ、静かな理解だけがある。

 王太子は光を求めている。

 彼女は光ではない。

 影でもない。

 ただ、土台だ。

 そして土台は、動かない。

「……動きたい方が動けばいいのよ」

 彼女は寝台に身を横たえた。

 聖女という光は、今は強く輝いている。

 だがその光を支える柱が何であるかを、誰も意識していない。

 まだ、誰も。

 けれど盤面は、静かに形を整えつつあった。
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