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9話 更新されない保証
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9話 更新されない保証
期限当日の朝、王宮財務局の空気は張り詰めていた。
窓の外は澄み渡る青空だが、室内には重たい沈黙が落ちている。長机の上に並ぶのは港湾拡張事業の契約書と、国外銀行からの最終確認書簡。
「まだか」
財務官長が低く問う。
「ルヴァリエ公爵家からの更新書面は、未着です」
秘書官の声がかすれる。
これまで、更新は形式的だった。期限の数日前には届き、双方の署名が整い、融資は滞りなく実行される。それが慣例であり、前提だった。
だが今回は違う。
期限の鐘が鳴っても、書類は届かない。
「時間だ」
財務官長が机を叩いた。
「国外銀行へ通達しろ。更新書面は未提出だと」
その一言で、王国最大の事業は宙に浮いた。
同じ頃、王太子アレクシスは執務室で報告を受けていた。
「保証は更新されませんでした」
レオンの声は静かだ。
「融資は?」
「一時停止です。再契約が成立するまで、資金は凍結」
アレクシスは拳を握る。
「ただの形式だろう。再交渉すれば済む話だ」
「はい。ただし条件は市場基準です」
「それが何だ」
「これまでより保証料は高くなります。王宮支出の透明化も求められています」
透明化。
それは単なる会計確認ではない。王家の財務状況が、外部に詳細に示されるということだ。
「公爵家は王家を疑っているのか」
「疑ってはおりません」
レオンは首を振る。
「婚約という前提が消えたため、特別扱いがなくなっただけです」
言葉は正しい。
だが胸に刺さる。
特別扱いがなくなる。
それはつまり、王家が特別ではなくなるということ。
ルヴァリエ公爵邸。
エルフィーナは書斎で国外銀行からの返信を受け取っていた。
「融資は停止、と」
「はい、お嬢様」
家宰が静かに答える。
「再契約案が提出され次第、審査再開とのことです」
「当然ね」
彼女は頷く。
保証がない以上、銀行は動けない。それは金融の基本だ。
「市場の反応は」
「王都商会の一部が慎重姿勢に転じました」
「予想通り」
彼女はペンを取り、簡潔な指示を書く。
王宮向け供給契約の再評価。
支払い条件の見直し。
優遇価格の停止。
すべて合法。
すべて冷静。
「お嬢様は、王家が困ることを望んでおられるのですか」
家宰の問いは、わずかに感情を帯びていた。
エルフィーナは顔を上げる。
「いいえ」
即答だった。
「困らせたいのではないわ。前提を戻しているだけ」
「前提」
「婚約者という立場があったからこその特例。今はただの一貴族家と王家よ」
彼女は淡々と続ける。
「対等に戻るだけ」
それは復讐ではない。
整理だ。
◇
王宮では緊急会議が開かれていた。
「工事は止められない」
「資金がなければ止まります」
「公爵家と再交渉を」
「条件が厳しすぎる」
声が飛び交う。
国王は黙って報告を聞いていた。
「アレクシス」
低い声が響く。
「お前は、婚約破棄の影響をどこまで考えていた」
王太子は言葉に詰まる。
「国のための決断でした」
「国は今、資金を失っている」
重い事実。
だが違法ではない。
公爵家は権利を行使しただけ。
「彼女は何か言ってきたか」
「いえ。静かに受諾し、再契約を提示しているのみです」
国王は目を閉じる。
「怒りも示さず、抗議もせず、ただ条件を変える」
それは最も厄介なやり方だった。
夕暮れ。
エルフィーナはテラスで紅茶を飲んでいた。
市場は揺れ始めている。
だが彼女の手は安定している。
「王宮は混乱しております」
マリアが小声で告げる。
「そう」
「お嬢様は、本当に何もなさらないのですか」
彼女は微笑む。
「私は何もしていないわ」
事実だ。
王宮を攻撃していない。
声明も出していない。
暴露もしていない。
ただ、署名をしなかっただけ。
「保証は義務ではないもの」
カップを置く。
「選択よ」
空は茜色に染まり始めている。
光は美しい。
だが光は、土台があってこそ輝く。
婚約破棄の舞踏会からわずか数日。
港湾事業は停止。
市場は様子見。
王宮は再計算を迫られている。
エルフィーナは椅子から立ち上がる。
「明日はゆっくり起きるわ」
穏やかな声。
「私は働きませんもの」
その言葉の裏で、王国の数字は静かに組み替えられていく。
保証が更新されなかったという、たった一つの事実が。
王家の信用を初めて、数字として露わにした。
期限当日の朝、王宮財務局の空気は張り詰めていた。
窓の外は澄み渡る青空だが、室内には重たい沈黙が落ちている。長机の上に並ぶのは港湾拡張事業の契約書と、国外銀行からの最終確認書簡。
「まだか」
財務官長が低く問う。
「ルヴァリエ公爵家からの更新書面は、未着です」
秘書官の声がかすれる。
これまで、更新は形式的だった。期限の数日前には届き、双方の署名が整い、融資は滞りなく実行される。それが慣例であり、前提だった。
だが今回は違う。
期限の鐘が鳴っても、書類は届かない。
「時間だ」
財務官長が机を叩いた。
「国外銀行へ通達しろ。更新書面は未提出だと」
その一言で、王国最大の事業は宙に浮いた。
同じ頃、王太子アレクシスは執務室で報告を受けていた。
「保証は更新されませんでした」
レオンの声は静かだ。
「融資は?」
「一時停止です。再契約が成立するまで、資金は凍結」
アレクシスは拳を握る。
「ただの形式だろう。再交渉すれば済む話だ」
「はい。ただし条件は市場基準です」
「それが何だ」
「これまでより保証料は高くなります。王宮支出の透明化も求められています」
透明化。
それは単なる会計確認ではない。王家の財務状況が、外部に詳細に示されるということだ。
「公爵家は王家を疑っているのか」
「疑ってはおりません」
レオンは首を振る。
「婚約という前提が消えたため、特別扱いがなくなっただけです」
言葉は正しい。
だが胸に刺さる。
特別扱いがなくなる。
それはつまり、王家が特別ではなくなるということ。
ルヴァリエ公爵邸。
エルフィーナは書斎で国外銀行からの返信を受け取っていた。
「融資は停止、と」
「はい、お嬢様」
家宰が静かに答える。
「再契約案が提出され次第、審査再開とのことです」
「当然ね」
彼女は頷く。
保証がない以上、銀行は動けない。それは金融の基本だ。
「市場の反応は」
「王都商会の一部が慎重姿勢に転じました」
「予想通り」
彼女はペンを取り、簡潔な指示を書く。
王宮向け供給契約の再評価。
支払い条件の見直し。
優遇価格の停止。
すべて合法。
すべて冷静。
「お嬢様は、王家が困ることを望んでおられるのですか」
家宰の問いは、わずかに感情を帯びていた。
エルフィーナは顔を上げる。
「いいえ」
即答だった。
「困らせたいのではないわ。前提を戻しているだけ」
「前提」
「婚約者という立場があったからこその特例。今はただの一貴族家と王家よ」
彼女は淡々と続ける。
「対等に戻るだけ」
それは復讐ではない。
整理だ。
◇
王宮では緊急会議が開かれていた。
「工事は止められない」
「資金がなければ止まります」
「公爵家と再交渉を」
「条件が厳しすぎる」
声が飛び交う。
国王は黙って報告を聞いていた。
「アレクシス」
低い声が響く。
「お前は、婚約破棄の影響をどこまで考えていた」
王太子は言葉に詰まる。
「国のための決断でした」
「国は今、資金を失っている」
重い事実。
だが違法ではない。
公爵家は権利を行使しただけ。
「彼女は何か言ってきたか」
「いえ。静かに受諾し、再契約を提示しているのみです」
国王は目を閉じる。
「怒りも示さず、抗議もせず、ただ条件を変える」
それは最も厄介なやり方だった。
夕暮れ。
エルフィーナはテラスで紅茶を飲んでいた。
市場は揺れ始めている。
だが彼女の手は安定している。
「王宮は混乱しております」
マリアが小声で告げる。
「そう」
「お嬢様は、本当に何もなさらないのですか」
彼女は微笑む。
「私は何もしていないわ」
事実だ。
王宮を攻撃していない。
声明も出していない。
暴露もしていない。
ただ、署名をしなかっただけ。
「保証は義務ではないもの」
カップを置く。
「選択よ」
空は茜色に染まり始めている。
光は美しい。
だが光は、土台があってこそ輝く。
婚約破棄の舞踏会からわずか数日。
港湾事業は停止。
市場は様子見。
王宮は再計算を迫られている。
エルフィーナは椅子から立ち上がる。
「明日はゆっくり起きるわ」
穏やかな声。
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