働きませんわ。それでも王妃になります

鷹 綾

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31話 近づけない理由

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31話 近づけない理由

 対等の宣言は、王都の空気を整えた。

 南方公は沈黙し、重臣たちも露骨な牽制を控えるようになった。

 王家は主体を示し、公爵家は動かない。

 均衡は保たれている。

 あまりに、整い過ぎていた。

「最近は静かですわね」

 茶会で誰かが言う。

「波風がないのは良いことですわ」

「ええ。でも少し退屈かもしれません」

 退屈。

 その言葉に、エルフィーナは小さく視線を伏せる。

 退屈とは、安定の裏返し。

 人は波を求める。

 だが彼女は波を作らない。

 作らないと決めている。

 ルヴァリエ公爵邸の庭。

 秋の気配が濃くなっている。

「王宮より招待状が届いております」

 家宰が差し出す。

「非公式の夕食会だそうです」

「殿下主催?」

「はい」

 エルフィーナは一瞬だけ考える。

 公的な集会ではない。

 少人数の、私的な場。

「出席します」

 その決断に、マリアがわずかに驚く。

「よろしいのですか」

「対等ですもの」

 逃げる理由はない。

 王宮の小さな食堂。

 招かれたのは数名の若手貴族と、エルフィーナ。

 形式張らない席。

 だが意味はある。

 アレクシスは穏やかに迎える。

「来てくれてありがとう」

「ご招待いただきましたので」

 短いやり取り。

 他の貴族たちとの会話は、政治や改革の進捗について。

 エルフィーナは聞き役に徹する。

 必要なときだけ言葉を添える。

 働かない。

 だが無関心ではない。

 夕食が終わり、他の客が帰った後。

 静かな回廊に二人だけが残る。

「今日の会は、試みだ」

 アレクシスが言う。

「若手の意見を聞く場」

「良いことですわ」

「君も含めた」

 その言葉に、彼女はわずかに眉を上げる。

「私は意見を求められる立場ではありません」

「そうだろうか」

 彼は一歩だけ近づく。

「君は、何も言わずに盤面を変えた」

「それは殿下が動かれたから」

 変わらぬ答え。

 アレクシスは苦笑する。

「君は近づかない」

「必要がありませんもの」

 距離は守られている。

 だが今夜は、ほんの少しだけ温度がある。

「私は、近づきたいと思っているのかもしれない」

 唐突な言葉。

 彼自身も驚いている。

 エルフィーナは静かに目を合わせる。

「近づけば、対等は崩れます」

「なぜ」

「感情は均衡を傾けますわ」

 それは彼女の恐れではない。

 経験則だ。

 依存や期待は、必ず重さを生む。

「私は揺れない」

 彼は言う。

「殿下は揺れません」

 彼女は頷く。

「でも私は揺れません」

 対等とは、両者が揺れないこと。

 どちらかが傾けば、均衡は崩れる。

 アレクシスはしばらく黙る。

 近づきたい。

 だが近づけば、彼女は距離を取る。

 それを理解している。

「君は、孤独ではないのか」

 低い問い。

「孤独は、恐れるものではありません」

 穏やかな声。

「均衡を守る代価です」

 代価。

 その言葉が胸に重く落ちる。

「ならば私は、その代価を共に払う」

 思わず口にする。

 エルフィーナは一瞬だけ目を見開く。

 すぐにいつもの微笑みが戻る。

「殿下は王太子です」

「それでも」

「代価は分けられません」

 静かな拒絶。

 だが冷たくはない。

 それは、守るための線引き。

 夜風が回廊を抜ける。

 距離は変わらない。

 だが互いの覚悟は、以前より鮮明だ。

「近づけない理由は、君か」

 彼が問う。

「いいえ」

 彼女は首を振る。

「私の選択です」

 働かない。

 依存しない。

 揺れない。

 それが彼女の道。

 アレクシスはゆっくりと頷く。

「ならば私は、遠くに立つ」

 追わない。

 押さない。

 ただ並び立つ。

 それが彼の覚悟。

 王宮の灯りは穏やかに揺れる。

 近づけない距離。

 だが離れない距離。

 均衡は続く。

 そして二人は、互いに理解しながらも、一歩を踏み出さないままでいた。
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