働きませんわ。それでも王妃になります

鷹 綾

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34話 踏み込まぬ誓い

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34話 踏み込まぬ誓い

 沈黙を尊重する。

 それは簡単なようで、最も難しい選択だった。

 王都は静かだ。

 改革は進み、反発は収まり、貴族たちも大きな揺さぶりをかけてこない。

 表面は穏やか。

 だが水面の下では、常に力が流れている。

 王宮の執務室。

「東部で新たな商会が台頭しております」

 レオンが報告する。

「透明化の流れに乗った形です」

「良い傾向だ」

 アレクシスは書類をめくる。

「王家の主導ではないのだな」

「はい。民間主導です」

 それが彼の望んだ形。

 王家がすべてを握らず、流れを整えるだけ。

 彼は一瞬だけ、ある人物を思い浮かべる。

 動かず、整える者。

「殿下」

「何だ」

「公爵家は今回の件にも関与しておりません」

「知っている」

 それが分かっているからこそ、王家は主体でいられる。

 一方、ルヴァリエ公爵邸。

「東部の商会、順調のようです」

 家宰が報告する。

「そう」

 エルフィーナは庭の花を眺める。

「お嬢様は助言なさらないのですか」

「必要があれば求められるでしょう」

 求められなければ動かない。

 求められても、均衡を崩すなら動かない。

 それが彼女の線。

 夕刻、王宮から使者が届く。

「殿下より、非公式の面会を」

 短い文面。

 エルフィーナはしばし考え、頷く。

 王宮の小さな書斎。

 人払いされた空間。

「呼び立ててすまない」

「公務でしょう」

 いつものやり取り。

 だが今夜は少し違う。

「東部の商会の件だ」

「順調だと聞いております」

「王家が主導したわけではない」

「それが望ましい形です」

 彼は頷く。

「私は、すべてを掌握しないと決めた」

「賢明です」

「だがそれは、君の姿勢に学んだ部分もある」

 珍しく、率直な言葉。

 エルフィーナは少しだけ視線を揺らす。

「私は何も」

「していない」

 彼が先に言う。

「だがそれが価値だ」

 沈黙。

 以前なら、彼は近づこうとした。

 だが今夜は違う。

「私は踏み込まないと決めた」

 静かな宣言。

「君の沈黙を、奪わない」

 エルフィーナはゆっくりと息を吐く。

「それでよろしいのです」

 近づかない。

 依存しない。

 確認しない。

 それが均衡。

「だが一つだけ聞きたい」

 彼の声は穏やかだ。

「何でしょう」

「もし均衡が崩れたら」

 問いは静かだが重い。

「そのときは」

 彼女は少しだけ考える。

「私も動きます」

 初めての明言。

 彼は目を見開く。

「ただし」

「ただし?」

「殿下が揺れた場合のみ」

 条件は変わらない。

 彼が立つ限り、彼女は動かない。

 彼が揺れれば、彼女は動く。

 それが対等の形。

 アレクシスは深く頷く。

「ならば私は揺れない」

「ええ」

 短い確認。

 それ以上はない。

 夜の王宮は静かだ。

 灯りが石壁を照らす。

 踏み込まぬ誓いは、恋の告白ではない。

 だがそれ以上に重い。

 互いの線を尊重するという選択。

 エルフィーナは立ち上がる。

「お時間をいただきました」

「ありがとう」

 それだけ。

 距離は変わらない。

 だが覚悟は共有された。

 王都の空は澄んでいる。

 動かぬ者と、揺らがぬ者。

 踏み込まぬ誓いが、均衡をさらに強く固定していた。

 働かないという選択は、今や怠惰ではない。

 それは秩序を守る姿勢。

 そして王太子は、その姿勢を尊重する道を選んでいた。
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