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第八話 招かれざる空白
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第八話 招かれざる空白
王城に、正式な書簡が届いたのは翌朝のことだった。
封蝋には、隣国の紋章が刻まれている。
「……隣国からの、招待状?」
ヴァルターは眉をひそめながら文面に目を通した。
そこに記されていたのは、形式ばった外交儀礼の案内――ではない。
「財政・通商に関する協議のため、
クロイツ公爵令嬢エヴァリーナ・フォン・クロイツの出席を求む」
その一文を読んだ瞬間、室内の空気が凍りついた。
「……私ではなく、彼女を?」
側近たちが顔を見合わせる。
「どうやら、向こうはエヴァリーナ様を“窓口”として認識しているようです」
ヴァルターは、書簡を握りしめた。
――認識している、ではない。
信頼しているのだ。
「なぜだ」
問いは、怒りではなく困惑から出た。
「彼女は、すでに王城の人間ではない」
「ですが……」
側近は言葉を選びながら続ける。
「隣国との交渉は、これまでエヴァリーナ様が一貫して担当しておられました。
形式上は殿下のお名前であっても、実務上の窓口は……」
「……彼女、ということか」
その事実を、ヴァルターはようやく正面から受け止めた。
名目上の王太子と、
実務を動かしていた公爵令嬢。
どちらが“必要とされていたか”は、もはや明白だった。
「返答は?」
「本日中に、とのことです」
ヴァルターは、深く息を吐いた。
「……彼女に、伝えろ」
「殿下?」
「この招待について、相談したい、と」
その言葉に、側近は一瞬だけ躊躇した。
「……承知しました」
同じ頃、クロイツ公爵家にも、同様の書簡が届いていた。
エヴァリーナは、静かにそれを読み終え、机に置いた。
「隣国、ですか」
驚きはない。
むしろ、納得に近かった。
「以前の協議の続きを、ということなのでしょう」
彼女は、すでに王城を離れている。
だが、仕事の“流れ”は、まだ終わっていない。
そこへ、執事が静かに告げる。
「王城からも、使者が参っております」
「……用件は?」
「殿下より、“ご相談したい”とのことです」
エヴァリーナは、ほんの一瞬だけ目を伏せた。
「お断りなさい」
迷いのない声だった。
「ですが、隣国の件について――」
「なおさらです」
彼女は顔を上げ、はっきりと言った。
「わたくしは、王城の相談役ではありません。
ましてや、都合のいい時だけ呼ばれる存在でもない」
執事は深く一礼し、その場を去った。
午後、王城ではヴァルターが報告を受けていた。
「……断られた?」
「はい。“相談を受ける立場ではない”とのことです」
拳が、自然と強く握られる。
「……そうか」
怒りは湧かなかった。
ただ、胸の奥に重たいものが沈んでいく。
「隣国には、どう返答する」
側近の問いに、ヴァルターは答えられなかった。
――自分には、話を通す力がない。
それを、隣国はすでに見抜いている。
その夜、ヴァルターは一人、書斎で地図を広げていた。
国境線。交易路。関税。
以前なら、ここに注釈が書き込まれていたはずだ。
エヴァリーナの筆跡で。
「……私は、何を見ていたのだろうな」
彼女が静かに積み上げてきた信頼を、
自分は“冷たい”の一言で切り捨てた。
一方、エヴァリーナは書斎で、隣国からの書簡に返事を書いていた。
王城を介さず、個人として。
クロイツ公爵家の名で。
「――現在、わたくしは王国の公式な立場にはございません。
それでもよろしければ、一人の実務者として、お話を伺いましょう」
書き終えた手紙を封じ、彼女は小さく息をついた。
「……選ぶのは、向こうですわ」
王城か。
それとも、彼女か。
その選択が意味するものを、エヴァリーナはよく理解していた。
そして同時に、ヴァルターも理解し始めていた。
――王城は、もう“中心”ではない。
空白は、埋められない。
だが、その空白を避けて、世界は動き始めている。
エヴァリーナ・フォン・クロイツを中心に。
王城に、正式な書簡が届いたのは翌朝のことだった。
封蝋には、隣国の紋章が刻まれている。
「……隣国からの、招待状?」
ヴァルターは眉をひそめながら文面に目を通した。
そこに記されていたのは、形式ばった外交儀礼の案内――ではない。
「財政・通商に関する協議のため、
クロイツ公爵令嬢エヴァリーナ・フォン・クロイツの出席を求む」
その一文を読んだ瞬間、室内の空気が凍りついた。
「……私ではなく、彼女を?」
側近たちが顔を見合わせる。
「どうやら、向こうはエヴァリーナ様を“窓口”として認識しているようです」
ヴァルターは、書簡を握りしめた。
――認識している、ではない。
信頼しているのだ。
「なぜだ」
問いは、怒りではなく困惑から出た。
「彼女は、すでに王城の人間ではない」
「ですが……」
側近は言葉を選びながら続ける。
「隣国との交渉は、これまでエヴァリーナ様が一貫して担当しておられました。
形式上は殿下のお名前であっても、実務上の窓口は……」
「……彼女、ということか」
その事実を、ヴァルターはようやく正面から受け止めた。
名目上の王太子と、
実務を動かしていた公爵令嬢。
どちらが“必要とされていたか”は、もはや明白だった。
「返答は?」
「本日中に、とのことです」
ヴァルターは、深く息を吐いた。
「……彼女に、伝えろ」
「殿下?」
「この招待について、相談したい、と」
その言葉に、側近は一瞬だけ躊躇した。
「……承知しました」
同じ頃、クロイツ公爵家にも、同様の書簡が届いていた。
エヴァリーナは、静かにそれを読み終え、机に置いた。
「隣国、ですか」
驚きはない。
むしろ、納得に近かった。
「以前の協議の続きを、ということなのでしょう」
彼女は、すでに王城を離れている。
だが、仕事の“流れ”は、まだ終わっていない。
そこへ、執事が静かに告げる。
「王城からも、使者が参っております」
「……用件は?」
「殿下より、“ご相談したい”とのことです」
エヴァリーナは、ほんの一瞬だけ目を伏せた。
「お断りなさい」
迷いのない声だった。
「ですが、隣国の件について――」
「なおさらです」
彼女は顔を上げ、はっきりと言った。
「わたくしは、王城の相談役ではありません。
ましてや、都合のいい時だけ呼ばれる存在でもない」
執事は深く一礼し、その場を去った。
午後、王城ではヴァルターが報告を受けていた。
「……断られた?」
「はい。“相談を受ける立場ではない”とのことです」
拳が、自然と強く握られる。
「……そうか」
怒りは湧かなかった。
ただ、胸の奥に重たいものが沈んでいく。
「隣国には、どう返答する」
側近の問いに、ヴァルターは答えられなかった。
――自分には、話を通す力がない。
それを、隣国はすでに見抜いている。
その夜、ヴァルターは一人、書斎で地図を広げていた。
国境線。交易路。関税。
以前なら、ここに注釈が書き込まれていたはずだ。
エヴァリーナの筆跡で。
「……私は、何を見ていたのだろうな」
彼女が静かに積み上げてきた信頼を、
自分は“冷たい”の一言で切り捨てた。
一方、エヴァリーナは書斎で、隣国からの書簡に返事を書いていた。
王城を介さず、個人として。
クロイツ公爵家の名で。
「――現在、わたくしは王国の公式な立場にはございません。
それでもよろしければ、一人の実務者として、お話を伺いましょう」
書き終えた手紙を封じ、彼女は小さく息をついた。
「……選ぶのは、向こうですわ」
王城か。
それとも、彼女か。
その選択が意味するものを、エヴァリーナはよく理解していた。
そして同時に、ヴァルターも理解し始めていた。
――王城は、もう“中心”ではない。
空白は、埋められない。
だが、その空白を避けて、世界は動き始めている。
エヴァリーナ・フォン・クロイツを中心に。
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