婚約破棄?責任を取らされた王太子はホームレスになりました

鷹 綾

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第二話 沈黙の帰還

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第二話 沈黙の帰還

夜が明ける頃、公爵家の馬車は王城を離れていた。

石畳を打つ車輪の音だけが、規則正しく響く。

ヒロインは窓の外を見ている。

涙はない。
拳も握らない。

ただ、昨夜の言葉を反芻していた。

――真実の愛を見つけた。

真実。

その言葉の軽さを、彼は理解していない。

向かいに座る公爵が口を開く。

「悔しいか」

短い問い。

ヒロインは首を振る。

「いいえ」

公爵は娘の横顔を見る。

「怒りは」

「ありません」

本心だった。

怒りは一瞬で消えた。

代わりに浮かんだのは、計算だった。

「父上」

「何だ」

「婚姻同盟に付随する融資特約は、どうなっておりますか」

公爵の目がわずかに細くなる。

「覚えていたか」

「当然です」

婚約は感情ではない。
条文だ。

王家と公爵家の同盟は、

・軍需供給優先
・流通保証
・長期融資
・返済猶予条項

で結ばれている。

その猶予は――

「婚姻継続を前提としている」

ヒロインは淡々と言う。

公爵は頷いた。

「破棄により、特約は失効する」

「即時返済請求も可能」

「理論上はな」

馬車の揺れが、わずかに強くなる。

ヒロインは目を閉じる。

昨夜の広間。

祝福のない沈黙。

王太子の高揚。

平民娘の微笑。

「父上」

「何だ」

「王家は、それを理解しているでしょうか」

公爵は少しだけ笑う。

「していないだろう」

王家は威光に慣れている。

契約を軽んじる。

それが空洞の始まりだ。

公爵領へ戻ると、執務室はすでに動いていた。

側近たちが資料を広げる。

「昨夜の件、各領主へ急速に伝播しております」

「市場は?」

「まだ動いておりませんが、商会は様子見」

ヒロインは椅子に座る。

静かに手袋を外す。

「契約書を」

厚い書面が机に置かれる。

封蝋が割られる音が小さく響く。

条文をなぞる指先は迷いがない。

「第七条、融資返済の猶予は婚姻同盟を前提とする」

「その通りです」

「ならば、猶予は消える」

誰も驚かない。

ただ、空気が少し変わる。

「父上、即時請求はなさいませんよね」

公爵は娘を見る。

「どうする」

「まだ動きません」

静かに言う。

「まずは再審査の通達のみ」

「穏やかだな」

「十分です」

市場は敏感だ。

“再審査”という言葉だけで、揺れる。

夜会での沈黙と同じ。

叫ぶ必要はない。

黙るだけで、圧になる。

側近が報告を続ける。

「王都では、王太子殿下が宮廷入りの準備を進めているとの噂」

ヒロインは微笑む。

「早いですね」

「止めますか」

「いいえ」

止める理由はない。

むしろ――

「進めさせなさい」

宮廷入りは、貴族の怒りを可視化する。

王太子はまだ気づいていない。

彼は“選んだ”と思っている。

だが、選択には代償がある。

公爵は低く言う。

「お前は泣かぬのだな」

ヒロインはゆっくりと父を見る。

「泣けば戻りますか」

「戻らぬ」

「ならば、不要です」

沈黙が落ちる。

だがそれは重くない。

決意の静けさだ。

ヒロインは立ち上がる。

窓の外には、公爵領の街道が見える。

王都へ続く動脈。

そこを通らなければ、何も届かない。

「父上」

「何だ」

「王家は、骨格を折りました」

「そうだな」

「では、折れた骨は、どうなりますか」

公爵は答えない。

だが答えは明白だ。

治らなければ、立てない。

ヒロインは書簡に署名する。

――流通契約再審査の通知。

それだけ。

叫びも宣戦布告もない。

ただ、手続き。

その瞬間。

王城ではまだ祝宴の名残が残っている。

だが公爵領では、すでに次の番が始まっていた。
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