『婚約破棄され追放されましたが、隣国の氷の公爵様に“白い結婚”を提案されましたので、心穏やかに幸せになりますわ

鷹 綾

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2-3 白い結婚のはずなのに

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第2章 2-3 白い結婚のはずなのに

 グレイス本邸での日々は、セレナにとって“生まれて初めての穏やかな毎日”だった。

朝は、光の差し込むラウンジでアーヴィングと並んで朝食をとり、
 昼は使用人に教わりながら庭を散歩したり、お茶を楽しんだり、
 夜は書庫で静かに読書をする。

 “白い結婚なので干渉しない”というアーヴィングの言葉通り、
 最初の数日は距離を感じる時間もあった。

 しかし――

(あれ……? なんだか、最近……近い……?)

 気がつけば、アーヴィングはいつもそばにいた。

     ◇

 セレナが温室で花に水をやっていると。

「セレナ、そこは私がやろう」

「えっ!? いえ、公爵様、お忙しいのでは……」

「忙しくない」

「いえ、しかしこれは私が――」

「忙しくない」

 即答。
 しかも二度言われた。

 では、と言ってジョウロを差し出すと、アーヴィングは静かに受け取り、
 丁寧に、まるで繊細な宝石を扱うように花に水を注いだ。

(あの……公爵様……絶対にこれ……お仕事のほうが大事では……?)

 だが、アーヴィングの横顔はどこか柔らかい。
 普段は冷静な彼が、花に水をやる姿は妙に優しく見える。

「花は世話を怠るとすぐに弱る。人も同じだ」

「人も……?」

「お前も、だ」

「っ……!」

 突然の言葉に、セレナは真っ赤になる。

(や、優しい……! 白い結婚なのに……!?)

     ◇

 またある日は、書庫。

 セレナが古い歴史書を読もうとして、背伸びをして手を伸ばしていた時。

「届かないなら言え。危ないだろう」

 アーヴィングが後ろからすっと腕を伸ばし、本を取ってくれる。

「あ……ありがとうございます」

「礼を言う必要はない」

 そして――

「……重くないか?」

「え?」

 アーヴィングは、セレナの手にある本をそっと覗き込む。

「このシリーズは紙質が悪く、分厚い。腕が疲れる」

 気遣うような視線。

(こんな細かいところまで……見てくれていたの?)

「読書が好きなら、小説もすすめよう」

「小説……?」

「政務の合間に読むが、心が安らぐ」

(……公爵様が、小説……? 意外……)

 思わずくすっと笑うと。

「……そんなに意外か?」

「いえ! なんというか……あ、いえ、その……」

 慌てるセレナに、アーヴィングが僅かに口元を緩める。

「笑ったほうがいい。お前は、笑うと……綺麗だ」

「っ……!?」

 セレナの思考は一瞬止まった。

(こ、公爵様……今、なんて……!?)

 白い結婚のはずなのに。
 干渉しないと言われたはずなのに。

 アーヴィングは、距離を縮めてくる。

(……心臓がもたない……)

 胸に手を当てるが、鼓動が早すぎて困る。

     ◇

 一方その頃――王都では不穏な動きが始まっていた。

 王城に仕える治癒魔導士たちの間で、不可解な症状が囁かれていた。

「また、魔力が枯渇した患者が……?」

「ええ。原因がわからないの。
 まるで“聖属性を吸われた”かのように、魔力が消えてしまっているのよ」

「聖属性を……吸う? そんな力、この国に存在したか?」

「わからない。でも……最近、聖女様の様子が……」

 ヒソヒソという声が廊下に広がる。

「聖女リリアン様、最近……人が変わったようで……」

「王太子殿下から離れないし、殿下の魔力が不安定なのも……噂になってるわ」

「まさか、聖女様が……?」

「そんなはず――いや、でも……」

 ざわつきは止まらない。

(セレナ・ブランシェットを断罪した夜から……すべてがおかしくなった)

 そんな陰口も、ちらほら聞こえてくる。

     ◇

 王太子アレクシスもまた、最近の体調不良に振り回されていた。

(なんだ……この胸の痛みは……)

 会議中、胸の奥が締め付けられるように痛み、息が苦しくなる。
 治癒魔導士に診せても“原因不明”。

 その度にリリアンが心配そうに寄り添ってくるが――

(……触れられると、痛みが悪化する……)

 アレクシスは気づき始めていた。
 リリアンが触れるたびに、体から力が抜けるような違和感があることに。

 だがリリアンは悲しげに涙を浮かべるのだ。

「アレクシス様……嫌いにならないで……」

 その言葉に押され、強くは拒めない。

(……私は、何をしている?
 セレナを……あんな風に追放して……)

 アレクシスは拳を握りしめた。

(私は、セレナを守ると誓ったはずなのに……)

     ◇

 そして――セレナは知らない。

 王都で何が起きているのか。
 自分を追放した王太子が“後悔”を抱き始めていることも。

 ただ、静かな日々の中で少しずつ“変化”を感じていた。

(公爵様……最近、何か優しい……)

 温室で花の世話をする彼の手。
 書庫で本を取ってくれた時のぬくもり。
 時折向けられる、優しい眼差し。

(白い結婚なのに……まるで……)

 まるで、本当の“夫婦”のように。

(……だめよ。期待しては……)

 セレナは自分に言い聞かせるが、胸の奥に芽生えた小さな想いは、
 日々大きくなっていった。

     ◇

 その日の夜。

 セレナが廊下を歩いていると、アーヴィングと執務長のアランが話していた。

「旦那様……最近、お優しいですね」

「優しいとは?」

「いえ、その……セレナ様に対して、以前より……その……」

 アーヴィングはわずかに目をそらす。

「……放ってはおけん。あの娘は“追放”されたのだ。
 傷が癒えるには時間がいる」

「なるほど……しかし――」

「しかし?」

「セレナ様も、旦那様のお姿を見つめる時……とても……嬉しそうで」

 アーヴィングの眉がわずかに動く。

「……そうか」

「はい。旦那様の優しさが、きっと心を癒しているのでしょう」

 アーヴィングはしばらく黙った後、小さくつぶやいた。

「……あれは、守りたいと思ってしまう顔だ」

(……え?)

 セレナは思わず物陰から身を引いた。

(こ、公爵様が……私のことを……?)

 どうして胸がこんなに熱くなるのか、自分でもわからない。

(……白い結婚なのに……こんな気持ち、だめなのに……)

 だが、その気持ちは否定しても消えなかった。
 むしろ、日々強くなっていく。

 ――それこそが。
 後に、アーヴィングが“本気”で動き始める伏線になるとも知らずに。
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