『婚約破棄された令嬢ですが、王国は私抜きでは立てなかったようですね』

鷹 綾

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26話|揺り戻し

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26話|揺り戻し

 本番の判断は、必ず反動を伴う。

 地方貴族への是正命令が出てから三日。
 王都には、抗議文と陳情が山のように積み上がっていた。

「……想定より、早いですね」

 文官が、疲れを隠さずに言う。

「早い、というより――
 溜まっていたものが、噴き出しただけだ」

 ロネスは、机上の書類を一枚ずつ確認していた。

 通行税の件を口実にしたもの。
 まったく別件を便乗させたもの。
 是正命令そのものではなく、
 “中央が決めた”ことへの反発。

 内容は様々だが、
 根は一つ。

 ――決められることへの拒否。

「殿下、このままでは……」

「分かっている」

 ロネスは、書類から目を上げない。

「だが、撤回はしない」

 言葉は短いが、揺れていなかった。

「ここで引けば、
 次からは、もっと強く揺り戻す」

 それは、帝国のやり方を横で見てきたからこそ、
 理解できた理屈だった。

 一方、帝国宰相府でも、
 王国の反応は逐一共有されている。

「反発、予想通りです」

「地方からの圧が、中央へ集中しています」

 報告官の言葉に、
 ハインリヒ・ヴォルフは、エルゼリアを見た。

「どう出ると思う?」

「揺れます」

 彼女は、淡々と答える。

「決断に慣れていない場合、
 一度決めたあとに、
 “本当に正しかったのか”という疑念が強く出ます」

「撤回する可能性は?」

「あります」

 即答だった。

「ですが、
 撤回すれば、
 今回の判断は“事故”になります」

 事故。
 一度きりの例外。

「それを防ぐには?」

「判断を、個人の意思にしないことです」

 エルゼリアは、静かに続けた。

「殿下個人の決断ではなく、
 “仕組みとしての判断”に変える」

 具体案は、すでに用意されていた。

 ――是正命令の根拠を、公開文書として整理。
 ――期限と条件を明示。
 ――次回以降の同種案件にも適用する、と宣言。

「前例にする、ということか」

「はい」

「反発は?」

「増えます」

 否定しない。

「ですが、
 反発は、前例ができた瞬間に弱まります」

 それが、制度の力だった。

 帝国からは、助言という形で、
 この案が王宮へ送られた。

 介入ではない。
 だが、方向は明確だ。

 王宮。

 文書を読んだロネスは、
 深く息を吐いた。

「……前例にする、か」

 簡単ではない。
 だが、逃げ道もない。

「殿下、これは――」

「分かっている」

 彼は、静かに頷いた。

「一度決めた以上、
 途中で曖昧にすれば、
 判断そのものが否定される」

 机に置かれた紙を、取り上げる。

「出そう。
 公開文書として」

 側近が、驚きと覚悟の混じった顔で頷いた。

 数日後。

 王宮は、異例の発表を行った。

 是正命令の理由。
 判断基準。
 今後の適用方針。

 すべてが、文書として公にされた。

 反発は、確かに強まった。
 だが同時に――
 戸惑いも、別の形に変わっていく。

「……これ、次も同じ基準か」
「なら、今回は諦めるしかないな」

 完全な納得ではない。
 だが、計算はできる。

 帝国宰相府。

「……揺り戻し、抑えましたね」

「はい」

 エルゼリアは、短く答えた。

「完全ではありません。
 ですが、“戻らない”線は越えました」

 ハインリヒは、静かに頷く。

「殿下は、変わりつつあるな」

「いいえ」

 彼女は、首を振る。

「変わっているのは、殿下だけではありません。
 周囲も、
 “決断が続く”前提で動き始めています」

 それこそが、重要だった。

 夜。

 ロネスは、一人で文書の控えを読み返していた。

 反発は、まだある。
 不満も、消えていない。

 だが――
 撤回しなかった。

「……揺れたな」

 自覚はある。

 怖かった。
 逃げたくもなった。

 それでも、戻らなかった。

 一方、帝国の夜も静かだ。

 エルゼリアは、窓辺で街を眺めながら、
 小さく息を吐いた。

 揺り戻しは、通過点にすぎない。

 本当に難しいのは、
 揺れなくなることではなく、
 揺れても戻らないことだ。

 王宮は、今、そこに立っている。

 次に来るのは――
 外からの圧力ではない。

 内部からの試練だ。

 それを、彼らは越えられるのか。

 エルゼリア・クローヴェルは、
 静かに次章を見据えていた。
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