『婚約破棄された令嬢ですが、王国は私抜きでは立てなかったようですね』

鷹 綾

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39話|過去の席

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39話|過去の席

 信頼は、静かに積み上がる。
 だが――それを壊そうとする声は、いつも遅れてやって来る。

 中立国との長期契約が公表されてから、王宮の空気は一変した。
 祝賀はない。
 だが、廊下の歩幅が揃っている。

 それだけで十分だった。

 そんな中、
 一通の来訪申請が、王宮に届く。

 差出人の名を見て、
 文官の手が、わずかに止まった。

「……ロネス殿下」

「どうした」

「旧派貴族連合より、
 正式な謁見の要請です」

 その名は、
 この数か月、沈黙を保っていた勢力だった。

 かつて、
 市場混乱の最中、
 最も声高に“譲歩”を叫んだ者たち。

「……今になって、か」

 ロネスは、短く息を吐いた。

「用件は?」

「“今後の協力体制について”とのことです」

 協力。
 便利な言葉だ。

 ロネスは、少し考え、
 そして頷いた。

「通せ」

 逃げない。
 だが、迎えにも行かない。

 それが、今の立場だった。

 謁見の間。

 旧派の代表たちは、
 丁寧な態度を崩さなかった。

 だが、言葉の端々に、
 過去の自信が滲む。

「このたびのご成功、
 まことにお見事でございました」

「王国の安定は、
 我々にとっても喜ばしいことです」

 ロネスは、
 表情を変えずに聞いていた。

「それで?」

 促すと、
 代表が一歩進み出る。

「今後は、
 我々も王宮の方針に歩調を合わせ、
 協力を――」

「条件は?」

 遮るように、ロネスが問う。

 一瞬、間が空いた。

「……それは、
 柔軟に調整を」

 その言葉で、
 すべてが揃った。

 ロネスは、静かに立ち上がる。

「過去、
 あなた方は“今なら折れる”と、
 私に助言した」

 代表たちの顔色が、わずかに変わる。

「ですが、
 我々は折れなかった」

 一歩、前に出る。

「その結果、
 今、ここに座っている」

 視線が、
 謁見の間全体を見渡す。

「協力を拒みはしない」

 だが、
 声は冷たくも、強くもない。

「ただし――
 席は、空いていない」

 沈黙。

 代表の一人が、言葉を探す。

「それは……
 我々が、遅れたという意味でしょうか」

「いいや」

 ロネスは、首を振った。

「あなた方は、
 自分で席を立った」

 それ以上、
 説明はなかった。

 条件の提示も、
 交渉も、
 起きない。

 謁見は、
 形式通りに終わった。

 一方、帝国宰相府。

 その一報は、
 簡潔に届く。

「……旧派、退けられました」

「当然だ」

 ハインリヒ・ヴォルフは、短く答える。

「今さら座れる席ではない」

 視線が、エルゼリアへ向く。

「どう思う?」

「正しいです」

 彼女は、淡々と頷く。

「席は、
 空けておくものではありません」

「恨みは?」

「残るでしょう」

「それでも?」

「それでも、です」

 夜、王宮。

 ロネスは、
 謁見の記録を読み返していた。

 言葉は、少ない。
 感情も、記されていない。

 だが、
 あの沈黙は、
 確かに、記録に残る。

「……過去の席、か」

 呟きは、静かだった。

 かつての王宮は、
 すべての席を空けていた。

 誰でも座れるように。
 誰も立ち去らないように。

 だが――
 それは、
 誰の席でもなかった。

 一方、帝国の夜。

 エルゼリアは、
 ふと、遠くを見つめていた。

 かつて、
 彼女が守ろうとした王宮。

 その王宮は、
 今、自分で選び、
 自分で拒んでいる。

「……もう、振り返らないわね」

 その言葉に、
 寂しさはない。

 39話は、
 大きな勝利の章ではない。

 だが、
 過去と決別する章だ。

 戻れないのではない。
 戻らないと、
 自分で決めた。

 王宮は、
 その決断を、
 誰の許可もなく、
 下した。

 物語は、
 いよいよ最後の章へ向かう。

 残るのは、
 たった一つの問い。

 ――この席を、
 誰が、
 次に受け継ぐのか。

 答えは、
 もうすぐ、
 示される。
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