『外見しか見なかったあなたへ。私はもう、選ぶ側です』

鷹 綾

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第3話 笑顔の裏に潜むもの

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第3話 笑顔の裏に潜むもの

 婚約破棄から一週間。

 王都の空気は、思った以上に早く日常へと戻っていった。
 ――少なくとも、表向きは。

 シルフィーネ・エルフィンベルクは、久しぶりに公爵家の馬車で王都の中心部へ向かっていた。
 必要最低限の用事を済ませるためとはいえ、外出を選んだのは彼女自身の意思だった。

「いつまでも籠っていては、本当に“弱い令嬢”になってしまうもの」

 そう自分に言い聞かせて。

 だが、街に出た瞬間、否応なく突きつけられる。

 視線。
 囁き声。
 そして――わずかな好奇。

「あの方が……」 「ほら、例の婚約破棄された……」 「幼すぎる、って」

 直接向けられることはない。
 けれど、背中越しに刺さる言葉は、確かにそこにあった。

 ――慣れている。
 そう思おうとした瞬間。

「まあ……シルフィーネ様?」

 鈴を転がしたような声が、背後からかけられた。

 振り返った先に立っていたのは、伯爵令嬢アメリアだった。

 淡い色合いのドレスに、丁寧に結い上げられた髪。
 どこから見ても、非の打ち所のない“社交界の華”。

「こんなところでお会いするなんて、偶然ですわね」

 にこやかな笑顔。
 けれど、その瞳の奥にあるものを、シルフィーネは見逃さなかった。

「……ごきげんよう、アメリア様」

「お加減はいかが? 婚約破棄のあとだもの、きっとお辛かったでしょう?」

 心配しているような口調。
 だが、その言葉の裏には、奇妙な期待が混じっている。

 ――どれほど落ち込んでいるのか。
 ――どれほど惨めなのか。

 そう、確かめたい目だった。

「お気遣いありがとうございます。私は、変わりありません」

 シルフィーネがそう答えると、アメリアは一瞬、驚いたように瞬きをした。

「……まあ。お強いのですね」

 次の瞬間、彼女は微笑みを深める。

「でも、無理をなさらないで。ご自分では気づかなくても、周囲は心配しているのですもの」

 その“周囲”の中に、誰が含まれているのか。
 言われずとも分かる。

「ライオネル様も……とても気にしておられましたわ」

 ぴくり、と胸の奥が反応した。

「新しい立場になっても、責任感のある方ですから。過去を簡単に切り捨てられないのですって」

 それは、慰めの言葉ではない。
 むしろ、暗に告げている。

 ――あなたは、もう“過去”なのだと。

「……そうですか」

 それだけを返すと、アメリアは少しだけ唇を歪めた。

「ええ。ですから……」

 彼女は一歩、距離を詰める。

「どうか、これ以上彼を困らせないでくださいね?」

 柔らかな声。
 しかし、その言葉は、はっきりとした警告だった。

 シルフィーネは、しばしアメリアを見つめ返す。

 美しい令嬢。
 正しい立場。
 誰からも祝福される未来。

 けれど――。

「困らせるつもりは、ありません」

 静かに、しかし確かに言い切る。

「私はもう、彼とは無関係ですから」

 その瞬間、アメリアの表情が、ほんの一瞬だけ歪んだ。

 嫉妬。
 焦り。
 そして、苛立ち。

 それらが隠しきれず、表に滲んだ。

「……そう。でしたら、安心ですわ」

 すぐに取り繕った笑顔に戻り、彼女は一礼する。

「お互い、良い未来を歩みましょうね」

 そう言い残し、アメリアは人混みの中へ消えていった。

 残されたシルフィーネは、その背中を見送りながら、胸の奥に小さな違和感を覚えていた。

 ――あの方は、勝ったはずなのに。

 なぜ、あんなにも必死なのだろう。

 幼く見える自分。
 すでに捨てられた存在。

 それでもなお、目の前から排除しなければならない理由が、彼女にはあるように思えた。

「……気のせい、ではないわよね」

 シルフィーネは、そっと息を吐く。

 アメリアの笑顔の奥に潜んでいた“何か”。
 それは、まだ形を成していない――けれど、確かに危ういものだった。

 この出会いが、ただの偶然で終わらないことを、
 彼女は直感的に悟っていた。
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