『外見しか見なかったあなたへ。私はもう、選ぶ側です』

鷹 綾

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第6話 止まった時間、動き出す歯車

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第6話 止まった時間、動き出す歯車

 夜会での事故から、一か月が過ぎていた。

 シルフィーネ・エルフィンベルクは、依然として眠り続けている。
 呼吸は安定しており、命に別状はない――それだけが、医師たちの口から語られる事実だった。

 だが、それ以上のことは誰にも分からない。

「……まだ、変化はありません」

 そう告げられるたび、公爵夫妻は静かに頷くしかなかった。
 悲嘆に暮れることも、声を荒らげることもせず、ただ毎日、娘のもとを訪れる。

 それが、二人にできる唯一のことだった。



 一方、王都では別の“変化”が起き始めていた。

「……例の夜会の件、どう思う?」

「階段から落ちた、という話ですが……少し不自然では?」

 貴族たちの間で、ひそひそと囁きが広がる。

 シルフィーネが落ちた場所は、見通しの良い場所だった。
 足を滑らせるには、やや不自然な位置。
 そして何より――彼女は、慎重な令嬢として知られていた。

「誰かと、ぶつかったらしいぞ」 「背中を押された、という噂も……」

 噂は噂を呼び、やがて形を持ち始める。

 その中心に、伯爵令嬢アメリアの名が浮かぶのは、時間の問題だった。



「……気のせいよ」

 アメリアは、自室でそう呟き、鏡の前に立っていた。

 顔色は優れず、目の下には薄く影が差している。
 それでも、ドレスも髪も完璧に整えていた。

「私は、何もしていないわ」

 繰り返す言葉は、自分自身に言い聞かせるためのものだった。

 だが、夜になると夢を見る。

 階段。
 よろめく背中。
 そして、振り返った一瞬だけ合った、あの視線。

「……っ」

 息を荒くして目を覚ますたび、胸の奥が締めつけられる。

 ――違う。
 ――私は、ただ……。

 その続きを、彼女は言葉にできなかった。



 ライオネルもまた、落ち着かない日々を送っていた。

 婚約破棄は、すでに公の事実だ。
 新たな婚約者もいる。
 それなのに――。

「……」

 ふとした拍子に、シルフィーネの姿が脳裏をよぎる。

 夜会で見た、背筋を伸ばして歩く姿。
 自分に向けられた、あの静かな視線。

 ――あれは、本当に“幼い”令嬢だったのだろうか。

「……考えるな」

 そう自分に言い聞かせるほど、思考は深みにはまっていく。

 彼はまだ気づいていない。
 この時点ですでに、自分の足元が、少しずつ崩れ始めていることに。



 その頃。

 静かな寝室で、シルフィーネは眠り続けていた。

 外の世界が、彼女を中心に動き始めていることも知らずに。

 だが――

 その長い沈黙は、永遠ではない。

 止まった時間の向こう側で、
 彼女が目を覚ます“その瞬間”に向けて、
 運命の歯車は、確かに音を立て始めていた。

 眠り続ける公爵令嬢をよそに、
 世界は静かに、しかし確実に――
 次の章へと進んでいく。
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