『外見しか見なかったあなたへ。私はもう、選ぶ側です』

鷹 綾

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第7話 一年後の風景

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第7話 一年後の風景

 ――一年が、過ぎた。

 季節は巡り、王都には再び春が訪れていた。
 街路樹は若葉を芽吹かせ、人々は何事もなかったかのように日常を営んでいる。

 ただ一人――
 シルフィーネ・エルフィンベルクだけが、その時間の流れから取り残されていた。

 公爵家の一室。
 厚手のカーテン越しに柔らかな光が差し込む寝室で、彼女は変わらず眠り続けている。

「……もう、一年ですか」

 医師が静かにそう告げると、公爵は深く頷いた。

「命に別状はない。だが、覚醒の兆しもない……」

 言葉を続けることができず、医師は視線を伏せる。
 もはや、それ以上の説明は必要なかった。

 希望は、完全には消えていない。
 だが、確かな保証もまた、存在しない。

「……ありがとうございます」

 公爵夫人は穏やかに礼を述べると、ベッド脇へと歩み寄った。

 眠る娘の頬に、そっと手を伸ばす。

「シルフィーネ。春よ。あなたが好きだった季節……」

 返事はない。
 長い睫毛が、微動だにすることもなく、影を落としている。

 それでも、彼女は語りかけることをやめなかった。

 今日は庭の花が咲いたこと。
 新しい噴水が完成したこと。
 そして――屋敷に、以前より人が来なくなったこと。

 婚約破棄と事故の噂は、やがて「過去の出来事」へと変わりつつあった。



 王都の社交界もまた、大きく様変わりしていた。

「あの公爵令嬢……まだ眠っているそうね」 「お気の毒だけれど、もう話題にもならないわ」

 同情は薄れ、興味は別の噂へと移る。

 人々は常に、新しい話題を求めるのだ。

 その中で、確実に立場を固めていたのが――
 伯爵令嬢アメリアだった。

 社交の場での立ち居振る舞いは洗練され、
 “次期侯爵夫人候補”として、その名は広く知られるようになっている。

「……順調ですね」

 そう声をかけられるたび、彼女は微笑みを返した。

「皆様のおかげですわ」

 完璧な答え。
 完璧な笑顔。

 だが、その裏で、彼女は決して“あの名前”を口にしなかった。

 ――シルフィーネ。

 眠り続ける公爵令嬢の存在は、
 勝者であるはずの自分にとって、消えてほしい“影”だった。



 一方、ライオネルはといえば――。

「……」

 執務室で書類を前にしながら、彼は何度も手を止めていた。

 仕事は順調。
 評価も悪くない。

 それなのに、心のどこかに引っかかるものがある。

 夜会で見た、あの背中。
 階段へと落ちていく瞬間。

「……一年、か」

 誰にともなく呟く。

 あの日以来、彼は一度も公爵家を訪れていない。
 見舞う資格はないと、自分で決めた。

 だが、その判断が正しかったのかどうか――
 答えは、未だに出ていなかった。



 そして、静かな寝室。

 変わらぬ光景の中で、
 変わらぬまま眠るシルフィーネの指先が――

 ほんのわずかに、震えた。

 誰にも気づかれないほど、小さな動き。
 それは、奇跡と呼ぶにはあまりにもささやかで、
 けれど――確かな“兆し”だった。

 止まっていた時間が、
 ゆっくりと、再び動き始めようとしている。

 眠り姫の目覚めは、
 まだ、誰にも知られていない。
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