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第二十一話
しおりを挟む「あー、もうお父様は黙ってて! 何なのよ、どいつもこいつも!」
お姉様は怒りの形相のまま、悪態をつく。
「リラジエが可愛い? 何言ってんのよ。そんな事あるわけないじゃない。今までの男達の反応だって…… あ、ほら! ねぇ、フレックス! 聞いて! 皆、酷いのよ。あなたからも言ってやってくれないかしら?」
お父様を振り払ったお姉様は、懇意にしている男性を見つけたのかその人の元に駆け寄って助けを求めようとした。
(あの人は見覚えがあるわ。何番目かのお姉様の交際相手で、私を嘲笑った人……)
だけど。
「……いや、馴れ馴れしく近付かないでくれないかな?」
「え?」
「いや、俺は社交界の毒薔薇……と呼ばれる女がちょっとどんな女なのかを知りたくて興味本位で近付いただけだし。助けを求められても困るよ、じゃ!」
「は? フレックス? ちょっ……」
そう言ってお姉様が助けを求めたフレックスと呼ばれた男性は逃げるように去って行く。
お姉様は、それならば! という顔をしてキョロキョロ辺りを見回すけど、誰一人としてお姉様と目を合わせようとはしなかった。
中には交際した事のある男性もいたはずなのに。
もともと同性からもそっぽ向かれていたお姉様に手を差し伸べる人は誰もいない。
「何で……どうして? どうして誰も私を見ないの……?」
お姉様はそれだけ呟いて、真っ青な顔で茫然とその場に立ち尽くしていた。
「……毒薔薇として好き勝手に振る舞ってきたツケが回って来た……な」
ジークフリート様が立ち尽くすお姉様を見ながらボソッと言う。
「こうなる可能性があったから、ミディアやマディーナ嬢を使って改心の機会を作ったのにな」
「……お姉様、暴言吐いて喧嘩を売っていたとミディア様から聞きました」
「うん、僕も聞いた。あのお茶会は、前にも話したようにリラジエのデビュー時に“毒薔薇の妹”なんていうリラジエに対する周囲からの目線を変えさせる為に、レラニアに自分自身がどう思われているのか自覚させる事が大きな目的だったけど、本当はもう一つ理由があったんだ」
「……え?」
驚いて顔を上げた私に、ジークフリート様が寂しそうに微笑む。
そして、そっと私の頬に手を触れた。
「リラジエがそんな顔をすると思ったからだよ」
「……?」
どういう意味かしら?
「社交界の毒薔薇として振る舞い過ぎた事で、手のひら返しされていつか孤立無援となるであろうレラニアのそんな姿を見たらきっとリラジエは悲しむ……そう思ったんだ」
「…………私、悲しんでますか?」
今、私は悲しんでいるの?
お姉様のあの姿を見て? ……自分でもよく分からない。
私の困惑が伝わったのか、ジークフリート様がふっと笑って私の額に優しいキスを落とす。
「リラジエは優しいからね。酷い扱いをたくさん受けて来たはずなのに、君は絶対にレラニアを責めたり憎んだりしないんだ」
「……」
「優しすぎる……君をそう言う人もいるかもしれないけど、僕はそんなリラジエが大好きだ。愛しくて愛しくてたまらない」
チュッ
そう言いながら、ジークフリート様がもう一度私の額に優しくキスをする。
私が顔を上げると彼はいつものように優しい目で私を見つめていた。
「…………私、何でお姉様にここまで嫌われているのか知らないままなんです」
私が自分でも気付かない内にお姉様に何かしたのかな?
それとも、理由なんてものは無くて、ただただ私の事が気に入らないのかな?
例え血の繋がった姉妹であってもどうしたって合う合わないはあるものだから、仕方ない事なのかもしれない。
でも……
「だから……」
「うん。行っておいで?」
「ありがとうございます、ジークフリート様」
ジークフリート様が優しく微笑んで後押ししてくれた。
この人は、本当に私の事を考えてくれる人だと思った。
今、私が抱えているモヤモヤした気持ちを分かった上で、こうして後押ししてくれているのだから。
だから私も微笑み返して歩き出す。
──お姉様の元へと。
「……お姉様」
私の声に、それまで茫然自失だったお姉様がピクリと反応を示す。
「…………なぁに? 馬鹿にしに来たの? それともみじめだと嘲笑いにでも? 本当に嫌な子ね? さぁ、思いっきり馬鹿にして笑って罵りなさいよ! どうせ、そうしてやりたい気持ちでいっぱいなんでしょう?」
どうやら、まだ減らず口を叩ける程の元気はあったらしい。
やっぱりお姉様は逞しいのだな、と思う。
しかし、何だか生気の抜けた様子のお姉様の美貌はかなりの半減だ。
(萎れた薔薇って感じね。枯れては……いないかな)
「そうですね。正直、お姉様の自業自得ですし、ざまぁみろって思ってます」
私はお姉様の目を見つめてはっきりとそう口にする。
「なっ!」
「反面、悲しいなとも思ってます」
「……はぁ? アンタ何言ってんの? バカなの?」
お姉様は心底嫌悪する表情を浮かべた。
だけど、身体がプルプル震えている。
それは、多分怒りとは違う震えだと思った。
「アンタのそういう所が嫌い! 大っ嫌いよ!! 昔っからそうやって大人しいいい子のフリして……!」
「……」
「そうやってアンタはいつだってお母様に構われてた……!!」
「……?」
まさか、ここでお母様が登場するなんて思わなかった。
「レラニア……お前」
お父様も驚いたのか唖然とした表情で呟いた。
「でも、お母様が亡くなって……そうしたら、お父様も周りも私をチヤホヤするようになって……ふふ……」
「……」
「なのに、どうしてかしら……いつも私の心は……心の隙間は埋まらなかったわ……そうよねぇ……だって皆、お母様を見るような目で私を見てたんだもの……ふふ、あはは、あはははは」
「……」
狂ったように笑うお姉様はちょっと怖かった。だけど……
私から見ればお父様や周りの人に可愛がられ溺愛されている様に見えたお姉様。
それを羨ましいと思った事は一度や二度では無いわ。
だけど、そんな羨ましく見えたお姉様もお姉様で苦しい思いを抱えていて。
それは少しずつ少しずつ蓄積されてどんどん歪んでいった。
……毒として。
「お姉様」
「うるさい! 話しかけないで頂戴! アンタの声を聞くとイライラするのよ!」
「私のこと嫌いですか?」
「決まってるでしょ、大っ嫌いよ!!」
「私のどこが嫌いですか?」
「はぁ? バカじゃないの? そういう所に決まってるでしょ!? だいたいアンタの……」
そこからのお姉様は如何に私の事が嫌いなのかを延々と語り始めた。
こんなにあるの?
と、逆に驚いた。
「……レラニア、頼む。そこまでにしてくれ。それに違う。お前は誤解している……ルミアは」
「お父様!」
「リラジエ……?」
見兼ねたお父様が間に入って来ようとしたけど、私は黙って首を横に振る。
止めては駄目。
だって、お姉様の本音が聞けるのはきっとこれが最初で最後だと思うから。
私は知っておくべきだと思うの。
──そして、この日のお姉様の醜聞は、
“毒薔薇様のご乱心”と呼ばれしばらく世間を騒がせる事になる。
「アボット伯爵」
「ジークフリート殿……」
ジークフリート様が、私達の元へとやって来た。
そろそろ、頃合いと思ったのかもしれない。
「まず、保留にされていたリラジエへの求婚の件だが……」
「ジークフリート殿には本当に申し訳ない事をしました」
お父様が深々と頭を下げて謝罪する。
ジークフリート様は、ふぅ、とため息をつきながら言った。
「もし、リラジエを未だにあそこで項垂れている無神経男と婚約させていたら僕もどんな手段を取ったかは分かりませんが……」
ジークフリート様の視線の方向を見ると、グレイルが未だに項垂れていた。
グレイルずっとあのままなんだけど。大丈夫かしら?
さすがに心配になってくる。
「あなたを責めるとリラジエが悲しむので、僕からはこれ以上の追求はしません。まぁ、僕が何かしなくても、あなたやレラニアにはそれなりのお咎めはあるでしょうから」
「……」
確かに、パーティーの正式な開始前とはいえ、ここまでの騒ぎを起こした罪は大きいわ。
それなりのお咎めはある……んだと思う。
(どうしよう、我が家が取り潰しになってしまったら……)
そんな私の不安が伝わったのか、ジークフリート様は私の頭を撫でながら耳元で優しく囁いた。
「さすがに、取り潰しとまではいかないし、させないよ」
「そうですか……?」
「リラジエが悲しむ顔は見たくないからね」
とりあえず、その事にホッと安堵する。
ジークフリート様は私に微笑みかけた後、再度お父様の方を向いて言った。
「ですが、それとは別に僕の要求を二つほど聞いてもらおうかと思います」
「……そ、それは?」
ジークフリート様がニッコリと笑う。
……? 何だかジークフリート様のその笑顔が黒く見える気がする。
「もちろん、僕とリラジエとの婚約の手続きを早急に開始して貰うのは言うまでもありませんが、このままリラジエを我がフェルスター侯爵家に迎え入れる許可を頂きたい」
お父様が「えっ」と驚く。
私は、あっ! と思う。
ジークフリート様は以前話してた事を実行しようとしているんだわ。
「申し訳無いけれど、もうこれ以上リラジエを伯爵家に置いておきたくないんでね。僕の大切な人をそこの女に傷つけられるのはもう御免だ」
そう言って冷たい視線でお姉様の方を見た。
「……っ!」
お姉様はビクッと肩を震わせた後、一瞬、何かを言いかけたけど何も言わずに口を噤んだ。
「分かり……ました。リラジエをよろしくお願いします……それで、もう一つの要求とは?」
お父様があまり良くない顔色で尋ねた。明らかに怯えているわね。
侯爵令息に脅される伯爵家当主のお父様……
何とも言えない気持ちになる。
だけど……ジークフリート様は、何を要求しようとしているのかしら?
「そこの女……レラニア嬢のこれからを僕の言う通りにしてもらいたい」
「え?」
「は?」
「……ちょっ!?」
私、お父様、お姉様の順で驚きの声を上げた。
「リラジエは優しいから、そこの女を許そうとしていますが、残念ながら僕は彼女を許せそうにない」
「ジ、ジークフリート様……?」
な、何を言い出したの? ジークフリート様!!
「だから、僕なりに考えたそれなりの罰を、ね。そこの女に与えたいんだ」
ジークフリート様がそれはそれは素敵な笑顔を浮かべて言った。
───この時、私はようやく知ったわ。
いつだって私の前では優しくて、甘くて、時々可愛い所も見せてくれていたジークフリート様のあの姿は、本当に私の前だけだったんだって事を!
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