理想の妻とやらと結婚できるといいですね。

ふまさ

文字の大きさ
7 / 35

7

しおりを挟む
 先ほどまではアンガスを擁護する声もあったが、いまはもう、アンガスに向けられるそれは、不信感しかない。

 やはり、みなの前でこいつの本性を暴いてよかったと、団長は胸中で呟き、手の中にある紙に視線を向けた。

「……その通りだ。こいつは自分の妻に、他の女性を愛していると公言していた。一部、居酒屋での会話を読み上げる。離縁したくなったかというエミリア・ブルーノの問いに、こいつはこう答えている。『そんなもの、シンディーさんに出会ってから常に頭の片隅にはあったよ』とな」

 アンガスは覚えのある台詞に、ぞっとした。本当にあのときの会話はすべて聞かれていたのだと、身をもって自覚したからだ。

「シンディーさんと出会った日って……もしかして、半年前の慰労会のことか? その日からずっとシンディーさんを好きだったってこと? 嘘だろ?」

 同期の質問に、アンガスは俯いたまま答えようとしない。

 こんな奴だったのか。倫理観の欠片もないと、アンガスを知る騎士団の男たちが軽蔑の言葉をアンガスに浴びせる。

 しかし。本題はむしろここからだった。

「違うのです、みなさん。この男はみなさんが想像するよりも、もっと最低な男なのです」

 静かに怒りを燃やすシンディーに、一人の騎士の妻がもらした「……いまので充分、最低かと」との呟きに、その通りですね、と頷きながら、自身の両手をみんなに見えるように前に出した。

「わたくしの手、荒れていないでしょう? 髪も、お肌も」

 ぴくん。真っ先に反応したのは、アンガス。けれど他のみんなは、シンディーがなにを言いたいのかまるでわかっていない様子だった。

 続いてシンディーは、テーブルの上に並べられた料理に手のひらを向けた。

「料理も、素敵でしょう? それはそうですよね。わたくしではなく、シェフが作っているのですから」

 アンガスが「……そうなのですか?」とキョトンとする。

 まるで、そんなこと考えもしていなかったと言わんばかりの表情に、シンディーは心の底から呆れた。





 シンディーも、エミリアと同じ。元貴族令嬢だった。ただし、団長──クリフトンとは、十五歳になってから出会った。お互いに一目惚れだったが、シンディーには、親が決めた婚約者がいた。

 当然、クリフトンとの仲は許可されなかった。貴族令息だったクリフトンが、爵位が継げる長男だったらまた親の意見も違ったかもしれないが、あいにくクリフトンは、長男ではなかった。

 クリフトンと一緒になるのなら、お前を除籍する。父親の条件をシンディーは迷うことなく受け入れ、クリフトンと結婚した。

 経緯こそ違うものの、エミリアたちと同じで、親からの援助は一切なし。家事も未経験。そんなところから、クリフトンとシンディーの新婚生活は、はじまった。

 使用人も雇えない。家事や他のこともすべて、自分でしなければならない。一気に生活が変わり、シンディーも苦労した。その経験があったからこそ、はじめてエミリアに会い、あいさつを交わしたとき、そっと手を見てみた。

 それは、きちんと家事を頑張っている手だった。

 エミリアが元貴族令嬢だということは耳にしていたから、よけいに親近感が湧いた。頑張って。愛する人が傍にいるなら、大丈夫よね。そんなことを、そっと心の中で呟いていた。

 ──だからこそ、許せなかった。

 エミリアとアンガスとの会話の記録を見て、アンガスが吐いた言葉の数々に、腹の底から怒りが湧いた。

(……酷い、なんてものじゃないわ)

『見た目にも気をつかえなくて、気配りもできないなんて。最低だな』

『……後悔するなよ。無能がっ』

 クリフトンから聞いた人物像とあまりにかけ離れていて、唖然とした。先にこれに目を通したクリフトンも、口元に手を当て、青い顔をしていたから、きっと同じ気持ち──いや、アンガスを知る者だからこそ、よりショックは大きかったろう。

 会話を実際に聞いて、こうして紙に文字として記録したのは、二人が信用する使用人たちだ。そこに疑いを持つ選択肢は、二人にはなかった。

「これが、真実……これが、本性」

 シンディーの、紙を持つ手が震えた。

 ──でも。






「手も髪もお肌も。荒れていないのは、使用人たちがわたくしの代わりに家事をしてくれているから。もっといえば、みんなを雇えるお金があるから。そして、それだけのお給金を稼いできてくれる旦那様がいるから」

 数年かかってしまったけどね、と団長が申し訳なそうにすると「そうでしたか?」と、シンディーは惚けたように頬を緩めた。

 クリフトンは優しかった。いつだってシンディーに感謝し、敬意をもって接してくれていた。シンディーと出会う前のアンガスも同じだったが、それはもう、シンディーの知るところではない。

「あなたは騎士として街に貢献し、手柄を立て、男爵の地位を授けられた。そのおかげでわたくしの手は、こんなにも綺麗になりました。ありがとうございます」

「いや、こちらこそありがとう。ずっと私を支えてくれて。昔のきみの手はいつも赤く腫れていて、とても申し訳なく思っていたよ」

 二人のやり取りに、アンガスだけが大量の冷や汗を流し、全身を小刻みに震えさせていた。

 遠回しに、責められている。それはすなわち、知っているということ。居酒屋での会話だけを把握しているなら、ありえないことまで。

(……言ってない。あの日はそんなこと、言ってなかった、よな……?)

 軽いパニックの中、必死で思い返す。でももう、頭が正常に回ってくれない。

 クリフトンとシンディーが冷たくアンガスを見詰めるが、アンガスは俯いているので、気付かない。その余裕もない。

「──そう。わたくしが身なりを気遣えるようになったのは、クリフトンが男爵位を授けられ、金銭的に余裕ができたから。その前は、エミリアさんたちと同じように、手も髪もお肌も荒れていました。でもそれは、家事を頑張っている証でもありました。なのに──」

 シンディーは、射るような鋭い視線をアンガスに向けた。

「あなたはわたくしとエミリアさんを比べては、エミリアさんに随分と酷い暴言を吐いていたそうですね」


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】離婚しましょうね。だって貴方は貴族ですから

すだもみぢ
恋愛
伯爵のトーマスは「貴族なのだから」が口癖の夫。 伯爵家に嫁いできた、子爵家の娘のローデリアは結婚してから彼から貴族の心得なるものをみっちりと教わった。 「貴族の妻として夫を支えて、家のために働きなさい」 「貴族の妻として慎みある行動をとりなさい」 しかし俺は男だから何をしても許されると、彼自身は趣味に明け暮れ、いつしか滅多に帰ってこなくなる。 微笑んで、全てを受け入れて従ってきたローデリア。 ある日帰ってきた夫に、貞淑な妻はいつもの笑顔で切りだした。 「貴族ですから離婚しましょう。貴族ですから受け入れますよね?」 彼の望み通りに動いているはずの妻の無意識で無邪気な逆襲が始まる。 ※意図的なスカッはありません。あくまでも本人は無意識でやってます。

あなたの絶望のカウントダウン

nanahi
恋愛
親同士の密約によりローラン王国の王太子に嫁いだクラウディア。 王太子は密約の内容を知らされないまま、妃のクラウディアを冷遇する。 しかも男爵令嬢ダイアナをそばに置き、面倒な公務はいつもクラウディアに押しつけていた。 ついにダイアナにそそのかされた王太子は、ある日クラウディアに離縁を突きつける。 「本当にいいのですね?」 クラウディアは暗い目で王太子に告げる。 「これからあなたの絶望のカウントダウンが始まりますわ」

幸せな人生を送りたいなんて贅沢は言いませんわ。ただゆっくりお昼寝くらいは自由にしたいわね

りりん
恋愛
皇帝陛下に婚約破棄された侯爵令嬢ユーリアは、その後形ばかりの側妃として召し上げられた。公務の出来ない皇妃の代わりに公務を行うだけの為に。 皇帝に愛される事もなく、話す事すらなく、寝る時間も削ってただ公務だけを熟す日々。 そしてユーリアは、たった一人執務室の中で儚くなった。 もし生まれ変われるなら、お昼寝くらいは自由に出来るものに生まれ変わりたい。そう願いながら

婚約者を交換ですか?いいですよ。ただし返品はできませんので悪しからず…

ゆずこしょう
恋愛
「メーティア!私にあなたの婚約者を譲ってちょうだい!!」 国王主催のパーティーの最中、すごい足音で近寄ってきたのはアーテリア・ジュアン侯爵令嬢(20)だ。 皆突然の声に唖然としている。勿論、私もだ。 「アーテリア様には婚約者いらっしゃるじゃないですか…」 20歳を超えて婚約者が居ない方がおかしいものだ… 「ではこうしましょう?私と婚約者を交換してちょうだい!」 「交換ですか…?」 果たしてメーティアはどうするのか…。

《完結》愛する人と結婚するだけが愛じゃない

ぜらちん黒糖
恋愛
オリビアはジェームズとこのまま結婚するだろうと思っていた。 ある日、可愛がっていた後輩のマリアから「先輩と別れて下さい」とオリビアは言われた。 ジェームズに確かめようと部屋に行くと、そこにはジェームズとマリアがベッドで抱き合っていた。 ショックのあまり部屋を飛び出したオリビアだったが、気がつくと走る馬車の前を歩いていた。

【短編完結】地味眼鏡令嬢はとっても普通にざまぁする。

鏑木 うりこ
恋愛
 クリスティア・ノッカー!お前のようなブスは侯爵家に相応しくない!お前との婚約は破棄させてもらう!  茶色の長い髪をお下げに編んだ私、クリスティアは瓶底メガネをクイっと上げて了承致しました。  ええ、良いですよ。ただ、私の物は私の物。そこら辺はきちんとさせていただきますね?    (´・ω・`)普通……。 でも書いたから見てくれたらとても嬉しいです。次はもっと特徴だしたの書きたいです。

私は王子の婚約者にはなりたくありません。

黒蜜きな粉
恋愛
公爵令嬢との婚約を破棄し、異世界からやってきた聖女と結ばれた王子。 愛を誓い合い仲睦まじく過ごす二人。しかし、そのままハッピーエンドとはならなかった。 いつからか二人はすれ違い、愛はすっかり冷めてしまった。 そんな中、主人公のメリッサは留学先の学校の長期休暇で帰国。 父と共に招かれた夜会に顔を出すと、そこでなぜか王子に見染められてしまった。 しかも、公衆の面前で王子にキスをされ逃げられない状況になってしまう。 なんとしてもメリッサを新たな婚約者にしたい王子。 さっさと留学先に戻りたいメリッサ。 そこへ聖女があらわれて――   婚約破棄のその後に起きる物語

私、女王にならなくてもいいの?

gacchi(がっち)
恋愛
他国との戦争が続く中、女王になるために頑張っていたシルヴィア。16歳になる直前に父親である国王に告げられます。「お前の結婚相手が決まったよ。」「王配を決めたのですか?」「お前は女王にならないよ。」え?じゃあ、停戦のための政略結婚?え?どうしてあなたが結婚相手なの?5/9完結しました。ありがとうございました。

処理中です...