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「──リネット、ルシアン」
続いて馬車内からおりてきたのは、ハワードとそう年の変わらない、見慣れない男性だった。その男はハワードをちらっと見ると、リネットの肩を抱き、ルシアンの手をとった。
「あなた?」
「おとうさま、どうしたのですか?」
リネットとルシアンの台詞に、ハワードは愕然とした。息すら忘れ、わなわなと震えはじめる。二人の視界にハワードを入れまいとするかのように、男はリネットたちとハワードの間に立った。
「早く馬車に入りなさい」
澄んだ声色に従い、リネットとルシアンが馬車に乗り込んでいく。あ。手を伸ばすハワードに、男が立ち塞がる。
「わたしの妻と子どもに、なにか用か」
「ふ、ふざけるな! あれは、ぼくの妻と子どもだ!」
馬鹿馬鹿しいとばかりに取り合うこともせず、男も馬車に乗り込み、扉を閉めた。怒鳴るハワードに構わず、馬車が動き出す。
「……リネット! リネット!」
掠れた声で、必死に名を繰り返し呼び続ける。とうに限界を迎えていた足がもつれ、転び、ようやくそれは止まった。
長く伸びた、ぼさぼさの髪、髭。痩せ細った身体。確かに六年前と比べれば別人かもしれないが、愛しい相手なら、すぐにわかるはずだろう。
──なのに、あの態度はなんだ?
(わざと無視した? それとも、ぼくと本気でわからなかった? いや、そもそも)
「ぼくのことを、忘れてしまったのか……?」
手を伸ばせば届く距離に、リネットはいた。でもリネットは、ちらりともこちらを見ようとしなかった。ただ『あなた』と、親し気に呼んだ男とルシアンだけをその瞳に映していた。
「リネットはもう、ぼくのことを愛していない……」
土埃が舞う中、ハワードは独り言のように呟きながら、上体を起こした。
小さくなっていく馬車を見詰める。声は届いたのか。届かなかったのか。それはわからないが、止まる気配はない。
「……は、はははははは」
涙を流しながら、ハワードは狂ったように笑いはじめた。街を行き交う人々が、遠巻きにこちらを見下ろしてくる。でももう、そんなこと、どうでもよかった。
辛くて苦しい日々から解放されるたった一つの希望だった。それが絶たれたハワードは絶望から、泣きながら笑い続けることしかできなかった。
「…………」
「リネット、どうした? もしかして、あの男に見覚えが?」
馬車内にて。顎に手を当て、黙考するリネットに、隣に座る男が心配そうに話しかける。リネットは、いいえ、とゆるりと頭をふり、小さく笑った。
「なんでもないわ。少し、気になっただけ」
「そうか。しかしあの男、きみとルシアンのことを、自分の妻と子だと──」
男の声に被さるように、二人の正面に座るルシアンが「あのひと、おかしなひとでしたね」と、首を捻っていた。
「ぼくのおとうさまは、おとうさまひとりだけなのに」
言葉に、リネットは嬉しそうに頬を緩めた。
「本当に変わった人だったわ。ね、あなた」
リネットは男の手に、自分の手を重ねた。男はその手を握り返すと、そうだな、と笑った。
それきり、あの男──ハワードについて、リネットがその名を口にすることも、語ることも、生涯なかった。
その後。
ハワードはファネル伯爵の領地から姿を消し、消息不明になったという。
─おわり─
続いて馬車内からおりてきたのは、ハワードとそう年の変わらない、見慣れない男性だった。その男はハワードをちらっと見ると、リネットの肩を抱き、ルシアンの手をとった。
「あなた?」
「おとうさま、どうしたのですか?」
リネットとルシアンの台詞に、ハワードは愕然とした。息すら忘れ、わなわなと震えはじめる。二人の視界にハワードを入れまいとするかのように、男はリネットたちとハワードの間に立った。
「早く馬車に入りなさい」
澄んだ声色に従い、リネットとルシアンが馬車に乗り込んでいく。あ。手を伸ばすハワードに、男が立ち塞がる。
「わたしの妻と子どもに、なにか用か」
「ふ、ふざけるな! あれは、ぼくの妻と子どもだ!」
馬鹿馬鹿しいとばかりに取り合うこともせず、男も馬車に乗り込み、扉を閉めた。怒鳴るハワードに構わず、馬車が動き出す。
「……リネット! リネット!」
掠れた声で、必死に名を繰り返し呼び続ける。とうに限界を迎えていた足がもつれ、転び、ようやくそれは止まった。
長く伸びた、ぼさぼさの髪、髭。痩せ細った身体。確かに六年前と比べれば別人かもしれないが、愛しい相手なら、すぐにわかるはずだろう。
──なのに、あの態度はなんだ?
(わざと無視した? それとも、ぼくと本気でわからなかった? いや、そもそも)
「ぼくのことを、忘れてしまったのか……?」
手を伸ばせば届く距離に、リネットはいた。でもリネットは、ちらりともこちらを見ようとしなかった。ただ『あなた』と、親し気に呼んだ男とルシアンだけをその瞳に映していた。
「リネットはもう、ぼくのことを愛していない……」
土埃が舞う中、ハワードは独り言のように呟きながら、上体を起こした。
小さくなっていく馬車を見詰める。声は届いたのか。届かなかったのか。それはわからないが、止まる気配はない。
「……は、はははははは」
涙を流しながら、ハワードは狂ったように笑いはじめた。街を行き交う人々が、遠巻きにこちらを見下ろしてくる。でももう、そんなこと、どうでもよかった。
辛くて苦しい日々から解放されるたった一つの希望だった。それが絶たれたハワードは絶望から、泣きながら笑い続けることしかできなかった。
「…………」
「リネット、どうした? もしかして、あの男に見覚えが?」
馬車内にて。顎に手を当て、黙考するリネットに、隣に座る男が心配そうに話しかける。リネットは、いいえ、とゆるりと頭をふり、小さく笑った。
「なんでもないわ。少し、気になっただけ」
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男の声に被さるように、二人の正面に座るルシアンが「あのひと、おかしなひとでしたね」と、首を捻っていた。
「ぼくのおとうさまは、おとうさまひとりだけなのに」
言葉に、リネットは嬉しそうに頬を緩めた。
「本当に変わった人だったわ。ね、あなた」
リネットは男の手に、自分の手を重ねた。男はその手を握り返すと、そうだな、と笑った。
それきり、あの男──ハワードについて、リネットがその名を口にすることも、語ることも、生涯なかった。
その後。
ハワードはファネル伯爵の領地から姿を消し、消息不明になったという。
─おわり─
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