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9.攻め視点
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全て、こいつが悪い。
完全な言いがかりだって分かっているし、人として最低なことをしているのは理解している。
非は自分にあるというのに本当に俺は最悪な男だ。
だけどそう思わずにはいられなかった。
目の前ですやすやと穏やかな顔をして眠る青年を見下ろして、俺は忌々しさに唇を噛んだ。
痩せてパサついた髪をした青年と出会ったのは、もうかれこれ1年は前のことだ。
俺は薄汚れた人の多い街で金貸しの仕事をしている。
違法な金利にクズとしか言いようがない客たち。
面倒ごとも多いけれど辞める気もなくただ淡々と働いていた。
普通に働くよりもずっと金になるうえに、辛うじてヤクザにはならなくて済む。
汚い沼に足を突っ込んで生きているような生活だけれど不満はなかった。
いつの間にか部下もできて気が付いたら上に立たされていたけれど、それにも特に感慨はなくただ日々を消耗していた。
部下の面倒を見て、金に困った客を上手く使って金を搾り取って。
楽しいとか、辛いとか、別に心を動かされることはなかった。
まあまあ大きな駅の近くにあるドラッグストア。
やたら白々しく光る蛍光灯が眩しいそこは深夜までやっていて、特に気に入っていたわけじゃないけれど時折立ち寄っていた。
だがそこで働く店員なんて、最初は気にもしていなかった。
なのに……いつの夜だっただろうか、何かトロくさいのがいるな、と思った。
眠気覚ましのドリンクを手に取ってレジに並ぶと、レジ前の長蛇の列ができていた。
いつもそれなりにテキパキと客をさばいている店で、一体どういうことだとレジ先に視線を向けると、若い男が困ったような顔をして何やら一生懸命に外国人に薬の説明をしていた。
明かな片言で、頭を掻きながらそれでも丁寧に説明している。
それを聞いている外国人は分かっているのかいないのか、あれこれと店員に詰め寄っている。
ああ、長蛇の列の原因はこれか。
見た目はそこらの軽い大学生みたいな店員なのに、要領が悪いな。
それが頭に浮かんだ正直な感想だった。
隣のレジの女は一人で多くの客をさばかなくてはいけなくて面倒だという顔をしているし、俺の目の前の客はなかなか進まないレジに苛ついてる。
俺もいつもだったら苛ついていただろう。
ただ、なぜか何となく、困った顔でもたついている店員を見ていた。
ようやく列が動いて、俺の目の前の客がレジに辿り着く。
仕事終わりらしいスーツ姿の太った中年オヤジは、待たされたことがそれほど気に障ったのだろうか。
『英語の勉強くらいしておけ』だの『手際が悪い』だの唾を飛ばす勢いで喚いている。
それに店員は、ただすみませんと頭を下げてオヤジが買おうとしている安い栄養ドリンクを袋に詰めていた。
どうせそれ飲んで風俗にでも行くだけだろうに、会計が終わってもなかなかオヤジはレジ前から離れようとしない。
見苦しく騒ぐ中年。
誰もそれを止めようとしない店内。
頭を下げることしかできない店員。
どうにもため息をつきたい気分だった。
「おい、おっさん。後ろ詰まってんだ、早くしろよ」
後から声をかけると、どうやら興奮状態だったらしいオヤジが振り向いた。
俺のことも怒鳴りそうな勢いだったのに、頭一つほど大きい俺から見下ろされて本能的に気圧されでもしたんだろうか。
レジ前から袋をひったくるように取るとあっさりとその場を後にした。
残されたのは、下を向いたままの店員とそのつむじを見下ろす俺。
肩を落とした青年は俺の方を見もしないで、小さな声で呟いた。
「……お待たせして、すみませんでした」
別に、気まぐれでしたことだ。
彼が謝る必要もない。
それに礼を言われようとしたわけじゃない。
本当にただ薄汚いオヤジがうるさくて早く立ち去れと思っただけだ。
なのに、なんでだろうか。
パサついた髪をした青年が、こちらを見ないことを少しだけ残念に思った。
それ以来、なんとなくその店の前を通りがかると彼を目で探すようになった。
青年はいたりいなかったり。
それにこちらを気にする様子もない。
その要領の悪い店員が重たそうなものを持たされてたり、忙しそうにレジを打っているのを時折目にした。
ただ他の客に怒鳴られているのはそれ以来なかった。
そのことになぜかほっとして、なんでほっとするのかも分からなかった。
それからまた月日が経って、俺は体調を崩した。
と言ってもただの風邪だろう。
体が怠くて重くて悪寒がして全身が痛い。
ままならない体に舌打ちするような気持ちで仕事を終えて帰路につく。
時間はもうすでに深夜だった。
こんな時間じゃ普通の病院はやっていないし、もとから風邪なんてひかないから何をしていいのか分からない。
頼れる相手もいない。
親兄弟とはとっくに縁が切れているし、部下にこんな弱みは見せられない。
時々会ってセックスする女は何人かいたけど、看病してくれなんて言ったら嗤われるだけだろう。
しかも彼女たちはキャバや風俗に出勤中で暇をしているとは思えない。
そうだ、誰にも頼ることはできない。
頼るなんて、弱みを見せるなんてできない。
今まで一人でなんとかなってきたし、この程度のことで他人に頼るほど俺は弱くなんてないはずだ。
倦怠感を抱えながらなんとかドラッグストアに辿り着き、何を買っていいのかも分からないけれど風邪薬と栄養ドリンクなんかを手に取ってレジへと足を進める。
とりあえず薬を飲んで寝ればよくなるだろう。
そう思ってレジに立つとそこに居たのはくだんの青年だった。
以前よりもてきぱきとした手つきで商品を袋にまとめた彼は、なぜか少しばつが悪そうな顔をしていた。
だけどそれを聞けるような間柄でもないし無言で金を払うと店を去った。
住んでいるマンションはこの近所。
タクシーを使おうとも思ったけれど、こんな時に限ってなかなか通りかからない。
歩いたほうが早い距離だ、と足を動かして……裏通りに入った時に、不意に体から力が抜けた。
目の前が暗くなる。
膝が地面につくのが分かる。
やばい。
そう思った時には、冷たいコンクリートに体を横たえていた。
耳元で喚かれる煩い声と、体を誰かに揺すられる感覚で目が覚めた。
気を失っていたのだと分かったのはその時だった。
目を開くと、そこに居たのはドラッグストアで働いていた青年だ。
なんで、とか。
自分はいったいどうしてこんなところに、とか。
なぜ彼がここにとか。
色々なことが頭に浮かんだが、倒れている俺よりも焦った様子で救急車を呼ぶという彼に首を横に振った。
タクシーで救急病院に行くことになり、てっきり俺をタクシーに詰め込んだら彼は帰るだろうと思ったのにわざわざ病院まで付いてきてくれて。
点滴を打たれて下がっていく熱に、彼は良かったと何度も言って立ち去った。
名前を聞きそびれたことタクシー代を払わなかったこと、礼すら言いそびれたこと。
それらに気が付いたのは、すっかり熱が下がった翌朝だった。
彼がどこで働いているのかは知っている。
俺が彼の顔を覚えていることに彼は気持ち悪いと思うかもしれないけれど、このままにしたくなくて直ぐに会いに行こうと思った。
なのに奇妙な感覚が胸に湧き上がって、なかなか店に近寄れない。
会って礼を言って……それから?
俺は一体なにをしたいと思っているんだ?
自分のことなのに分からない。
ようやく決心がついたのは1週間も経った後だった。
タクシー代すら渡すことを断られて、でもなんとか飯には行けることになって。
痩せたガキ相手だっていうのに女を口説くような店を予約して会う日を待った。
約束の日を迎えて、会って話をしても、彼はいたって普通の青年だった。
少し冷めた瞳で将来やりたいことなんて何もないという姿は寂し気だったけれど、他の話では明るく笑ってよくしゃべる。
話す内容も、見た目も別に普通の男だ。
特別顔が整っているわけでも色気があるわけでもない。
本当に、普通の青年だ。
なのに。
よれたTシャツで恥ずかしいと顔を俯ける様が。
美味い美味いと言って肉を口に放り込む姿が。
酒に酔って赤らめた目元が。
どうしようもなく可愛いと思った。
可愛いと思ってしまった。
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