悪役令嬢は反省しない!

束原ミヤコ

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 カシャン、と床に落ちた食器が割れる音がした。
 視線を向けると、クライブが無表情でこちらを凝視している。なんでもそつなくこなす彼にしては珍しいことに、手に持ったティーセットを落としてしまったようだ。床には紅茶が溢れ、食器が散乱している。
 どこからともなく現れたメイド達が、クライブのちょっとしたミスなどまるでなかったことのように、散らばった食器と濡れた床をぴかぴかに綺麗にして、ささっと彼の手に新しいティーセットを持たせると、部屋から消えていった。相変わらず我が家のメイド達は優秀である。
 クライブは我に返ったようだが、まだ動揺しているらしく、手を震わせながらティーセットを一先ずテーブルに置いた。

「どうしましたの、クライブ。体調がすぐれないのなら、部屋で休んでいなさいな」

「リディス様……、私ごときの体調まで慮ってくださるとは、なんとお優しい……、あなたは私の女神です、リディス様」

「クライブ。私は十分あなたの気持ちは知っていてよ。だから、無理をせず、下がりなさい」

 クライブは私の足元に膝をついて、恭しく私の手を取ると祈りを捧げるように額をつける。
 祈っていないでさっさと休んでほしいところなのだが、お兄様もメイド達も特になにも言ったりはしない。食器を落とすことは滅多にないが、クライブの私に対するこういった行動はわりと日常茶飯事だからだ。
 彼は俯いていた顔をあげると、私を切なげな瞳でみつめる。

「リディス様、魔族の王のもとへ行く、とおっしゃいましたか」

「そうなんだ、クライブ! ディスが、……魔族と人との橋渡しをしたいといって、聞かなくて」

 お兄様がとても情けない声で言った。
 麗しい造形の顔には悲壮感が張り付き、年頃の少女が見たら卒倒しそうな儚さを醸し出している。流石は私のお兄様だ。類稀なる造形美だと感嘆する。我が家のメイド達は慣れているので、お兄様の美貌にも惑わされないのが鼻が高い。どうやら彼女達は、私とお兄様の禁断の兄妹愛派と、私とクライブの女神と下僕派と、私とラファエル様の王子様と婚約者派に分かれているらしいが、私の愛は平等であっても私の体はひとつしかないので、彼女たちの想いに全て答えらえないのが申し訳ないところだ。
 残念だが私にもできないことがある。流石に三等分に体を分けることはできない。
 王国では側妃は娶ることができるが、女性の重婚は禁止されている。だが、安心して欲しい。私が魔族の王の伴侶になりこの世界に君臨した暁には、その制度も変えてあげようと思っている。

「ラファエル様は、どうなさるのですか」

「お兄様と同じことを聞くのですね、クライブ。ラファエル様の婚約者でしたら、私以外にもいるでしょう。王国は今のところ安定していて平和です。愛らしい事だけが取り柄の女性が王妃になったとしても、王国は揺るぎませんわ。けれど、魔族の王の心を手に入れられるのは、王国においては私しかいませんでしょう。きっとラファエル様も、理解してくださいます。私の行いは、国益と大きく言ってしまえば世界の発展に繋がりますのよ」

「リディス様……、なんと、尊い……、このクライブ、これほどまでにリディス様にお仕えして良かったと、思った日はございません。早速彫刻家に発注して、街の広場にリディス様の像を建てなければ」

「私もそれは賛成だけれど、クライブ、ディスを止めてくれないのかい?」

 街の広間に私の像を建てる費用は別の事に使う方が有意義だろう。公爵家の財産は領地の民から収められている税なので、お兄様たちはそのあたりをきちんと理解して使って欲しいものだ。
 私の彫像はそれはそれは美麗だろうから建てたくなる気持ちも分かるが、そういうのは私が大陸を統べる王になったら存分にできるので、まだ早い。それにどうせ建てるなら、あと数年後の成熟した私の像にして欲しい。

「ソレイユ様、リディス様の尊い志を止める事など、私にはできません。国が閉じられて千年、魔族は人を恐れ、人は魔族を忘れ去りました。リディス様ならば、お互いを開かせ、一つの世界へと戻すことが可能でしょう」

「それは……、私だって、ディスの事は信じているよ。ディスほど、純真で努力家で真っ直ぐで公平な者はいない。それにこの愛くるしさだ、私とて時々、高貴な薔薇を落とす様に、手折りたくなる時もある」

 お兄様の気持ちはありがたいが、そういうのも私が法を変えるまでちょっと待っていて欲しい。
 今のままでは私の倫理観に抵触してしまうからだ。

「お兄様、安心してくださいまし。あなたのディスは、見事天命を果たしたら帰ってきますわ。お兄様やクライブを思う私の愛もまた、真実なのですから」

「あぁ、リディ……」

「私の女神……」

 お兄様は瞳を潤ませた。私は立ち上がると、椅子に座ってるお兄様の顔を胸に抱いて差し上げる事にした。大抵の場合お兄様はこれで言う事を聞いてくれるので、とても簡単である。
 クライブは床に膝をついて蹲っている。私の尊さに浸っているようなので、少しの間放っておいてあげようと思う。

「リディス様、あなたの下僕はあなたの為に、禁忌を犯すことを恐れません。あなたの為に、隠された扉を開きましょう」

 蹲っていたせいで乱れた髪を直しながら起き上がると、クライブは言った。

「どういうことですの、クライブ。あなた、魔族の事に詳しいようですけれど」

「ディスがもう少し大きくなったら、教えようと思っていたんだけどね。ディスは、クライブの事をどのぐらい昔から覚えている?」

 私はお兄様の頭を腕の中から離した。お兄様は名残惜しそうに私の両手を握り、小首を傾げる。

「私が小さなころから、一緒におりましたわ。……そういえば、クライブはずっとクライブのままだった気がしますわね」

 過去のクライブの事を思い出す。彼は大抵の場合無表情ではあるものの、時々私の足元に跪いたり、小さな私の体を抱き上げてリディスお嬢様尊いの舞いを踊ったり、私の尊さが彼の中で臨界点を突破すると、壁に頭をぶつけながら何やらぶつぶつと呟いたりしていた。小さな私はクライブの奇行が面白かったのだろう、それはもうクライブに懐いていたように思う。
 そういえばクライブの見た目はあのころから殆ど変わらない。とはいっても、クライブは私よりも十歳ぐらい年上なので、あまり変化が無くて当然と言えば当然なのだが。

「それはねディス、クライブが魔族だからだよ。クライブは我が家に遠い昔から仕えてくれている、向こうの世界に行かずにこちらに残った吸血鬼なんだ」

「あぁ、そうでしたのね。つまり、魔族の方というのは、年を取らないのね。初めて知りましたわ」

 なるほど、どうりで見た目が変わらない訳だ。
 白い肌や、お兄様には劣るものの綺麗な顔も深紅の瞳も、確かに言われてみれば『吸血鬼』という単語がぴったりくる。私は吸血鬼というものをよく知らないけれど、吸血というからには血を好んでいるのだろう。
 私は特別な力を持つ者を好むので、私の中のクライブの価値が上がった。
 だからクライブに微笑みかけてその手をきゅっと握りしめると、彼は多分また私の尊さにひれ伏したくなってしまったのだろう、きらきらと瞳を潤ませ始めた。
 話し始めてからだいぶ時間が経過している。ラファエル様が迎えに来てしまうと話が更に拗れる予感がしたので、私はクライブが自分の世界に浸ることを許さずに、握りしめた手の力を強くする。

「吸血鬼というのは、血を飲む、ということですの?」

「いいえ、リディス様。過去の大戦の後、消滅するほどの負傷をした私は、フォンテーヌ家の当時の御当主様に救われました。行き場を失い公爵家に置いてもらえることになった私は、人の血を飲まないと誓いました。血を飲まずとも、今は花の精気を吸うなどして細々と生きておりますよ」

「あら、それは優雅で良いですわ。蝶々の様に美しいのですね、クライブ。けれど、本来の食事をしないというのは辛いのでしょうね、どうしてもという時は、私の血をさしあげましてよ」

「……っ」

「さて、それでしたら話が早いですわ。丁度魔族の国への行き方が分からず、困っていたところですの。さぁクライブ、私を魔族の王のところへと、送ってくださいまし」

 クライブが遠くへ行こうとする気配を察知したので、私は彼の手を抓った。
 にこやかにそう要求すると、彼はこくこくと何度も頷く。

「ふふ、大変手間が省けましたわ。そうと決まれば準備をいたしましょう。荷造りはもう済んでおりますので、そうですわね、髪を結ってくださる?」

「……ディス、本当に行くの?」

「お兄様、私とお兄様の未来をよりよくするためですわ。お父様とお母様には、よろしくお伝えくださいな。王立学園に行くのも、魔族の国へ行くのもそう大きな違いはないのですけれど」

「リディ……、お兄様はどこにいても、お前を想っているからね」

 私はお兄様に抱きついた。
 そうすればお兄様がなんでも言う事を聞いてくれることを、良く知っているからだ。

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