悪役令嬢は反省しない!

束原ミヤコ

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 すっきり爽やかに目覚めた私は、掃除婦の部屋が十部屋は余裕をもって入りそうな大きな部屋の、中心に置かれた天蓋のあるこれまた大きなベッドの上で起き上がった。
 金色の細工がなされている枠組みに、金糸で模様の描かれた黒に近い赤色のシーツが敷いてある。部屋の四隅には、一際大きな四面体の灯りと、窓からは薄暗いけれど光が入ってきている。
 アスタロトに案内された部屋より装飾品は少ないが、その分整っている印象のある部屋だ。
 ふわふわと不可思議な感触のベッドから降りると、足元に置いてあったブーツを履いて私は部屋を出た。
 とても元気だ。
 昨日よりも寧ろ調子が良い。鼻歌でも歌いながら舞い踊りたいぐらいの調子の良さである。
 ジルベルト様は私の体の不調をきちんと治してくれたらしい。有難い事だと思う。
 とりあえず体に問題はなさそうなので、寝ている場合ではない。
 紋様を彫刻された深い色合いの木製の扉から外に出ると、窓のある回廊が続いている。今いる場所がどこなのか分からないが、掃除婦の部屋があるのは地下室なので階段を探して下の階層に降りていけば辿り着くだろう、たぶん。
 本当ならジルベルト様にきちんと挨拶をしてから部屋を出なければいけないのだろうが、掃除婦二日目にして仕事に遅れる訳にはいかない。ジルベルト様を待っている時間は、掃除婦リディスにはないのだ。
 それにベッドで寝転がって訪れを待つよりは、城を綺麗にしていた方がジルベルト様も嬉しいだろう。

 私は広い回廊をうろうろしながら階段を探し回った。
 先程の部屋がジルベルト様の私室だとしたらきっと最上階だろうから、地下室に辿り着くまでの階段の数を数えておけば、城の作りが大体わかる筈だ。
 時折空いている扉の中を確認しながら、私は地下室へと向かった。今日もクロネアさんは絶好調のようで、ぬめぬめした保護膜の残滓がところどころにこびりついていた。
 階層を繋ぐ階段は同一箇所に設けられていたので、左程迷わずに階層を降ることができた。二階には図書室があり、一階には調理場があるのを発見できたは大収穫だった。図書室も調理場も、人の気配はなく長い間使われていない印象だ。地底に作られた古代の遺跡の様に静まり返った城である。
 アスタロトは、かつてはもっと賑やかだったと言っていた。長い年月をかけて今の状態に落ち着いてしまったのだろう、あまり良い事ではない。

 一階から続く階段を降りると、地下室に辿り着いた。
 私が昨日磨き上げた地下室はとても清潔な状態を保っていたので、安堵する。
 一先ず自室へと戻り、簡単に髪を結った。長くて輝くような銀色の髪は相変わらず美しいが、掃除をするときにはちょっと邪魔だ。
 それから倉庫をもう一度漁ることにした。

「……できれば、制服があると良いのですけれど」

 小さな声で呟きながらきょろきょろと雑然と物が積み重なっている倉庫を見渡す。
 使っていなさそうな新しいモップを廊下に出して並べる。小瓶がいくつかあったので、昨日使った粉石鹸のようなものを小分けにしてそれも並べた。
 倉庫の中を掘り進んでいくと、奥にクローゼットがあるのを発見する。

「うん、十分使えそうですわね」

 クローゼットを開くと、黒を基調に白いエプロンやフリルがついた公爵家のメイドたちが着ているような服が数十着、ずらりと並んでいた。クローゼットの中にあるのが良かったのか、綺麗な状態だ。
 私は着られそうなサイズのものを両手に抱えると、自室のクローゼットに移動させた。
 試しに袖を通してみる。スカートは膝下まであって、白いエプロンは汚れたら取り換えることが出来る作りになっている。機能的で、素晴らしい。着替えも沢山あるし、当面困らなくて済みそうだ。
 鏡で確認してみると、そこにはメイド服を着用した麗しい美少女の姿があった。
 私は何を着ても似合ってしまうのだが、今の私は、お兄様の性癖を更に激しく歪めてしまいそうな格好をしていると思う。ここにお兄様が居なくて良かった。あやうく倫理観に抵触する事態になりかねない。

「さぁ、今日も一日頑張りましょう」

 気合を入れるために一人で呟く。
 午前中は一階を綺麗にして、午後からは森へ狩りに出なければいけない。
 食事の提供が無いと知れた以上、自分で何とかしなければ。アスタロト様に頼んだら、毎回毒で寝込むことになりかねないので、安全で美味しい食事は自分の手で作る必要がある。
 私は倉庫からみつけてきた布製の肩掛け鞄の中に、粉石鹸が入っている小瓶を入れて、取っ手付きの桶とモップを持つと、階段を上がった。今の私はどこからどう見ても完璧な掃除婦だ。素晴らしいと思う。

 一階には食堂があり、地下室にあるものよりも広くて美しい造形の水場もあったので、わざわざ地下から水を汲んでいく必要はないだろうと判断した。
 まず最初に取り掛かるべきなのは、一階にある広いホールだろう。そこは城の入り口がある。鉄製の大きな飾り扉と、その横に普段使い用の小さな扉があったので、間違いない。
 つまり正面玄関だ。玄関とは城の顔のようなものなので、一番美しく保たなければいけない場所である。
 昨日の廊下掃除で、私は完璧に掃除の心得を習得できた。
 さくさく水を汲んでくると、裸足になってモップを構える。午前中にはこの広いホールを片付けなければいけない。

「まだやっているの、人間の娘?」

 私が再び泡の大帝国を築き上げていると、天井から私の目の前に害水精ミズイロウミウシが落ちてきた。
 わざわざ嫌いな私の前に顔を出すとは、クロネアさんはきっと心のどこかで私のことが愛しくて仕方ないのだろう。昨日も今日も会いに来るなんて、私に対する好意が深い証拠だ。
 とはいえクロネアさんは害水精ミズイロウミウシの方なので、掃除婦の敵である。けれど敵対関係だからこそ燃え上がる愛情も世の中には存在するのもまた事実。
 もしかしたらクロネアさんは私に自分の痕跡を掃除してもらうと、ときめいてしまう変わった性癖をお持ちなのかもしれない。

「ごきげんよう、ミズイロウミウシの方」

「クロネアよ、クロネア。頭が悪いんじゃないの、あんた」

「私、幼いころから物の覚えが良く、教師の方々には神童だといわれておりましてよ」

「じゃあなんで私の名前を覚えられないのよ!」

「今日はどういったご用件ですか、クロネアさん」

 クロネアさんが愛しい私に名前を呼んでもらえない不満を爆発させているので、私はきちんと呼んであげることにした。
 私は愛情を出し惜しみしない主義なので、クロネアさんがたとえ掃除婦の敵といえども、それぐらいの欲求には応えてあげる心の広さは持ち合わせている。

「あんた、どうやったのよ……!」

 目的語がないので、なにをどうやったのかを聞かれているのかよく分からないが、もしかしたら掃除の事かもしれない。
 クロネアさんは地下室における自分の痕跡を綺麗さっぱり掃除した私に、感嘆しているのだろう。

「粉石鹸で泡の帝国をつくり、水で流してモップで磨き上げましたわ」

 掃除婦の仕事ぶりを褒められた私は、胸を張って掃除の心得を教えてあげる事にした。

「違うわよ、何言ってるのよあんた」

「……クロネアさんのはしたないものをどうやって掃除したのか、聞きたかったのではないのですか?」

「は、はしたなくなんてないわよ……!」

「アスタロト様が、クロネアさんのそれは、女性に指摘することができないって困っていたので、そういった身体的特徴なのだと理解しておりますわ。私としても、クロネアさん自身にとってはどうしようもない事を責めるつもりはありません。これからも存分にその、なんというか、……保護膜、を廊下中にこすりつけて頂いて、結構ですのよ……」

 私はクロネアさんの恥ずかしい事を指摘するのが申し訳なくなってしまい、そっと視線をそらした。
 あまり言いたいことではないのだが、クロネアさんが気にしてしまっては可哀想なので、きちんと大丈夫だという事は伝えておかなくてはいけない。

「……アスタロト様が、何か言っていたの?」

「私の口からは、申し上げられませんわ」

「教えなさいよ、アスタロト様はなんて言っていたのよ!」

「私、仕事があるので、申し訳ないのですが、クロネアさんには構っていられませんわ」

 クロネアさんが愛しい私と話をしたくて仕方ない気持ちも分かるが、私は忙しい。
 愛情を向けてくれるのはありがたいが、時には心を鬼にして、丁重にお断りする必要がある。
 きっと理解してくれるだろう。会話をやめて掃除に戻った私の傍を、クロネアさんはうろうろと動き回った。

「ジルベルト様だけじゃ飽き足らず、アスタロト様にまで媚びを売るなんて、なんて恥知らずな女なのよ」

「私を愛する方々に、きちんと愛情を返す事が媚びるというのなら、そうなのでしょうね」

「……誰もあんたなんか愛してないわよ」

「クロネアさん、隠さなくても良いのです。女性同士、道ならぬ感情を抱いてしまった事を、後ろめたく思う必要はありませんわ。私、どんな形の愛情でも受け入れることができましてよ」

「さっきから本当に何を言ってるのよ、あんた。どうしてこんなのが気に入られるのよ。私だって一度も、朝までジルベルト様とベッドを共にしたことはないのよ? どうしてなの、あんたなんて、何の変哲もないただの人間の娘じゃない!」

「あぁ、やっぱりあの部屋は、ジルベルト様の私室でしたのね」

 どうりで最上階にある筈だ。
 予想通りだったので、私は満足した。

「あんたは、ジルベルト様に……」

「……昨日の事なら、私、朦朧としていたので、よく覚えていないのです。何かが体の中に入ったような気は、するのですけど……、きちんとお答えできずに、申し訳ありませんわ」

 私の中の毒を、何かが内側からすっきり綺麗に洗浄してくれたような気がしたのだが、思い出せない。
 クロネアさんは、余程知りたかったのだろう、辛そうに両手で顔を覆った。

「クロネアさん。ジルベルト様は、優しい方なのですね」

 二百年の禁欲の日々にきっと思うところはあったのだろうが、苦しむ私を前にきちんと私への愛情と向き合う事にしたのだろう。あまり記憶はないのだが、不器用ながら、優しく私の名前を呼ぶ声を聞いたような気がする。
 クロネアさんたちの王は優しい方だと教えて差し上げるのは、良い事だ。

「なっ、なんでなの……、許せないわ、……あんたなんか、跡形もなく消滅させてやる……!」

 クロネアさんが呟くように言った。
 その途端に、彼女の足元からしゅうしゅうと音を立てて湯気が上がりはじめる。
 クロネアさんの保護膜のようなものから、その煙は立ち上っている。足元の床が、どろりと溶けた。どうやらクロネアさんの保護膜は、物を溶かす力があるらしい。
 彼女が私の周りをぐるぐるとうろついていたせいで、私の素足にもクロネアさんのそれがこびりついている。
 つまり、私の足はこの床の様に、溶けるという事だろう。
 気づいたものの、どうしようもない。床中から、しゅうしゅうと嫌な音が上がり始める。逃げる事などできそうにない。
 可愛さ余って憎さ百倍という言葉がある。
 この終わりもまた、仕方のない事かもしれない。

「リディスちゃん」

 私はふわりと抱きかかえられて、宙に浮かんでいた。
 私を抱えたアスタロト様が指先を動かすと、ホールの床に巨大な円形の紫色に光る不可思議な文様が浮かんだ。
 それは私の泡の帝国や、煙をたてる粘液を、一瞬にして消し去った。
 それからその紋様は、怒りに燃える目で私を睨むクロネアさんを中心に縮まり、球体へと姿を変えた。球体の中でじたじたと暴れるクロネアさんを包み込んで空に浮かび上がらせる。
 アスタロト様は私を抱いたまま美しく生まれ変わったホールの床にとん、と足を降ろした。

「千年ぶりの人間のお客様に、その態度はいけないよ、クロネア」

「アスタロト様……っ、私は、私はただ、ジルベルト様に……っ」

「ユールに選ばれなかった君が、必死に若君に縋ろうとするさまが哀れだったから、今まで大目に見ていたけど、もう終わりにしよう。君が本当に欲しかったのは、ユールだろう、若君じゃない」

「あぁ、ユール様……」

 クロネアさんは先代の王の名前を愛しそうに呼んだ。

「ありがとう、リディスちゃん。クロネアは少し壊れていたから、どうしたら良いのかずっと悩んでいたんだ。リディスちゃんのお陰で、閉じ込める理由が出来たよ」

「閉じ込めるのですか?」

「うん。若君の女性不信は半分ぐらいクロネアのせいだし。それに無意識に城中に魔力をまき散らすもんだから、対応に困っていてね。クロネアを怒らせると、リディスちゃんが見た通り溶けるんだよね、あれ。地下牢を溶かされたら困るし、あんまり触りたくないし、見ないふりしてたんだけど……、リディスちゃんを見ていたら、見ないふりはよくないなと思ってね」

「掃除婦の部屋だと思っておりましたけれど」

「本来あの場所は城で問題を起こしたものを閉じ込める地下牢だよ。ごめんね、リディスちゃん。地下牢なんかで寝泊まりさせて」

「いえ、とても快適でしたわ」

 クロネアさんは、球体の中でさめざめと泣いている。
 球体はクロネアさんの体から溢れ出る水分で満たされて、水分が溢れる程にクロネアさんの体は小さくなっていった。
 クロネアさんがミズイロウミウシと似ていると感じる最大の特徴である胴体は、いつの間にか魚のような形へと変わっていた。今のクロネアさんは、両手で抱えられるほど小さい、水色の体を持った半分魚の女性の姿をしている。

「水精は、本来水の中で生活するからね、城での暮らしは向いていないんだ。あれが元々のクロネアの姿だよ。クロネアは体を変化させて、なんとか長い時間城の中で動けるようにしていたけれど、体を変えるために大量の魔力を使わなきゃいけないから、他の水精を体に取り込む必要があった。おかげで、水精の数が随分と減ってしまってね」

「そうまでしてユール様の傍に居たかったと、いうことですのね」

「ユールの時はまだ、ここまで酷くなかったんだよ。クロネアは城のすぐそばの湖に住んでいたし、時々ユールが会いに行くだけで満足していた。哀れな事にクロネアは、自分に会いに来てくれていると勘違いしてしまったんだけど、ユールはただ水精が水の中を泳ぐ姿を見るのが好きだっただけなんだよ」

「そうですのね。アスタロト様、クロネアさんはどうなりますの?」

「さぁ、どうしようかな。湖の水精たちはクロネアのせいでいなくなってしまったし、城にいた他の者たちも嫌気がさしていなくなってしまった。挙句の果てに、僕の大事なリディスちゃんを、殺そうとしたしねぇ」

 アスタロトは抱き上げていた私の体を、優しく床におろした。
 毒を食べさせたいと思うほどに、私の事を想ってくれているのは有難いのだが、クロネアさんの気持ちも同情できるものなのであまり怒らないであげて欲しいと思う。

「私はアスタロト様のお陰でこうして無事なのですから、怒らないでさしあげて欲しいのですけれど。掃除婦の私が口をはさむことではありませんが、恋に破れた女とは、時に道を踏み外してしまうものだということを慮って、処遇を決めて欲しいと望みますわ」

「リディスちゃん。君も、恋に破れたことがあるの?」

「私が? ありませんわ」

「そう。まぁ良いや。じゃあさ、リディスちゃんはクロネアをどうしたら良いと思う?」

「……そうですわね。……目には目を、という言葉が、古い法典にありましてよ。クロネアさんは城を汚して回ったのですから、私と一緒に掃除婦になれば良いと思いますわ」

 自分で蒔いた種なのだから、自分で刈り取るべきだろう。
 それに掃除婦が二人になれば、効率よく城を綺麗にすることが出来る。

「あぁでも、クロネアさんは城では生活できないのですよね」

「自分の魔力が足りる範囲でなら、体を変化させなくても陸の上でも泳げるんだよ彼女たちは。そうだね、それは良いかもしれない。……ねぇ、リディスちゃん。そのかわり君はもう掃除婦でいるのはやめなよ。クロネアは水精なんだから、城を綺麗にするのは難しくないし、君が手伝ってしまったらクロネアの罰にならない」

「……それは、そうかもしれませんけれど」

 私としてもクロネアさんが綺麗にしてくれるというのなら、掃除の極意は習得できたので、掃除婦にはもう未練はない。

「それなら、私はアスタロト様に料理を作って差し上げますわ」

 私は掃除婦リディスから、料理長リディスへと転職することにした。



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