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しおりを挟むジルベルト様と一度食事をとった事のある部屋まで案内されている間、私と並んで歩くジルベルト様と、その少し前を歩くアスタロトを見ていて、私は不思議に思ったので尋ねてみる事にした。
「ジルベルト様達は、宙を飛んだり一瞬で移動したりできるのでしょう、歩くこともあるのですね」
アスタロトはちらりと私の方を振り向くと、肩を竦めた。
「鳥だって四六時中空を飛んでいるわけじゃないでしょ、リディスちゃん。魔力の無駄遣いをするとちょっと疲れるってこともあるし、あまり頼りすぎていると体力が落ちちゃうからね。普段はあまり、使わないようにしているんだよ。有事の際に少し動いただけで息切れしちゃうなんて、格好悪いでしょ」
「なるほど、私たちでいえば、文明の利器に頼りすぎず、己を磨くことも忘れないという事ですね。素晴らしいですわ」
「今はもうろくに争いもないけど、魔族の中には血の気の多い者も多かったからね。特に新しく王が変わった時なんかは、変革を求めて騒乱が起きたりするんだよ。ジルベルトはもちろん強いけど、敵意のある者を王の元まで辿り着かせない程度には、僕もリアも、シュゼルも強いよ」
「争いごとが多かったのですね」
「そうそう。武器があれば、戦いたくなるでしょ。それと一緒。魔力量が多くても、頭が悪い者もいるからね」
「……お前の事は、必ず守る。危険な目には合わせない」
ジルベルト様が独り言のように小さな声で言うので、私は繋いでいた手に両手でしがみ付いた。
自分で言っておいて盛大に照れているジルベルト様をにやにや見つめていると、アスタロトが苦笑交じりに「若君のそんな姿を見る日が来るなんてねぇ」と呟いた。
食堂には既にリアが着席していて、私たちが入室すると軽く会釈をしてくれた。
入り口で待っていたメルクルが深々と礼をすると、私の座った席の背後に控える。
他にも人蝶族の女性が数人、メルクルと同じような繊細なレースで作られた、飾りは少ないが美しいドレスに身を包んでいる。
メルクルが言っていたように、彼女の羽が一番大きくて美しい。他の人蝶族の方の羽もそれぞれ綺麗ではあるのだが、メルクルの持つものに比べると、一回りか二回り羽の大きさが小さい。
「リディちゃ……、様。何か食べられないものなどありましたら、メルクルに教えてくださいね」
「ありがとうございます。好き嫌いは無いと、思いますけれど、何かあれば伝えますわね」
人蝶族のメイドたち、という言い方で良いのだろうか。
彼女たちは煌びやかで、給仕をしてくれるだけで、今までになく部屋が華やかに見える。
部屋もところどころ草花が飾られていて、四面体だった簡素な灯りが、豪華な燭台やシャンデリアへと姿が変わっている。
テーブルには良く磨き上げられた銀のスプーンやフォークが並び、アスタロトやリアのグラスには、お酒だろうか、発泡性の飲み物が注がれた。
人蝶族の羽がきらきら光り、金色のディナーカートからひとりでに皿が浮かび上がる。細い指先が、優雅な手つきでお皿を手にすると、それぞれの前に並べてくれる。
食事の準備をしてくれているだけなのに、幻想的な光景だった。メルクル以外の方の名前は分からないが、近々挨拶ができると良い。
皿を並べ終わると、メルクル達はアスタロトに指先で扉を示されて、一度部屋を下がった。彼女達に指示する事が慣れているその仕草からして、確かに人蝶族の方は長い間お城のメイドをしていたのだと分かる。
お皿の上にはパンや、スープや、お魚のソテーや、あまり見たことのない宝石のような果物、薄切りにされたお肉に白乳色のソースをかけたもの、などが並んでいる。今までの食事とは質も量もまるで違っていて、空腹なのだけど、見ているだけで満腹になりそうなほどには贅沢だ。
残すのは申し訳ないけれど、最近あまりまともに食べて居なかったので、全部は食べられそうにない。
「さぁ、リディスちゃん、召し上がれ。木精達が材料を集めて、火精達が作ったものだから、きちんとしているよ」
私の正面に座っているアスタロトが、微笑んだ。
いつも体に巻き付いている蛇は、アスタロトの隣の椅子で休んでいる。頭だけをテーブルに置いているのが可愛らしい。
「はい、いただきますわ」
暫く食事の前の挨拶をするのを忘れていたことを思い出し、私は両手を組み合わせると目を伏せる。
祈る相手は、豊穣の女神エルヴィーザ様と言われているのだが、本当に心から祈っている者などは今はいないだろう。形骸化した祈りであっても、食事の前の礼儀だと教えられているので、行うと何となく落ち着くものだ。
お祈りを終えると、ジルベルト様が私の組んでいた手を取って、二人に見せた。
「一応、もう知っているとは思うが、リディスを正式に俺の花嫁とすることにした」
ジルベルト様の指先が、私の手の甲の紋様を撫でる。嫌な訳ではないのだが、なんだかぞわぞわして、肌が粟立つように落ち着かない。それが何なのか理解する前に、ジルベルト様の手は離れてしまった。
「知っていますよ。改めて、リディスさん。俺たちの主、ジルベルト様の花嫁になった事にお喜びを申し上げます。俺は、人狼王リア。王を守護する者です。あなたがジルベルト様の花嫁である限り、永久の忠誠を誓い、あなたを守ります。よろしくお願いしますね」
姿勢を正して、リアが言った。
その様子を見て、アスタロトが悩まし気に眉を寄せる。
「僕もそれ、やった方が良いの? 仕方ないなぁ。……リディスちゃん、若君……、僕たちの主である、ジルベルトの花嫁になってくれて、ありがとう。僕は、傀儡師アスタロト。一応、人蛇族の王なんだけど、他の人蛇族が僕のいう事を聞くわけじゃないから、そう名乗るのはちょっと違う気がするんだよね。王の法を守る者だよ。リディスちゃんがジルベルトの花嫁である限り、永遠の忠誠を誓ってあげる」
「アスタロト、君の話は長くて、分かり辛いですよ。決まり事なんだから、もっと端的にできないものですか。言葉づかいにも品がない」
「久々に帰ってきたのに、うるさいなぁ、リアは。ねぇ、リディスちゃん。かしこまらなくても良いよね、リディスちゃんはいつもの僕の方が好きでしょ?」
リアに注意されて、アスタロトは嫌そうに視線を逸らす。
そして皿の上の花型に切られたトマトをフォークでつつきながら、私に助けを求めるように言った。
「ええ、いつものアスタロト様で構いませんわ。アスタロト様も、リア様も、ありがとうございます。こういったことは、毎回行う決まりですの?」
「今までまともな花嫁なんていなかっただろ、俺も初めて知ったんだが」
グラスを傾けながら、ジルベルト様が言った。
リアとアスタロトは顔を見合わせると、愉快そうに笑う。
「そうなんだよねぇ。ずっと昔に、王がちゃんと花嫁を娶った場合は、その方を特別扱いすることに決めたんだよ。だって、沢山の側妃たちと同じ扱いをしたら、失礼でしょ。王にとって特別な相手は、僕たちにとっても特別だろうって話になったんだよね。でも、折角そう決めたのに、ハインゾルデ様は突然いなくなってしまったし、その後はルシスと、ユールでしょ。ねぇ、リア」
「そうですね。実際、こういった挨拶をしたのははじめてなんです。ユールの相手は姉さんだけでしたけど、リディスさんとジルベルトのように穏やかな関係ではありませんでしたしね。決めごとが出来るというのは、嬉しいものですね。本来ならシュゼルもこの場に居なくてはいけないんですけど、話し合いをした時も、あれはいなかったですから仕方ありません」
「僕と、リアとクライブで決めたんだよね、確か。懐かしいねぇ」
私は目の前に置いてあるスープ皿にスプーンを入れる。
スープは赤い色をしていて、小さく切った野菜が煮込まれている。今日は朝から、リアの館で振舞われた果物しか食べていなかったので、優しい味のスープが胃の中に染み渡るのを感じてほっとした。
「クライブは私の小さなときから一緒にいたのですけれど、魔族の方だと知っているのは代々のフォンテーヌ公爵家当主だけだったようですわ。私がこちらに来るときに、吸血族だと教えてくれましたの」
「あの血塗れクライブがねぇ。変わるものだね」
アスタロトが頷く。
きっと昔のクライブは、お嬢様尊いの舞いを定期的に踊るような性格ではなかったのだろう。
吸血というからにはきっと沢山の血を飲んでいたのだろうし、血塗れというのもそこから来ているのかもしれない。
「ということはだよ、リディスちゃん。僕たちと、リディスちゃんの為に世界を繋げたクライブ、滅多に話をしないシュゼルが話したっていうんだから、多分シュゼルも、君を認めた訳だ。王の古い側近である僕たち全員に認められたリディスちゃんは、堂々と王妃になれるって事だよ」
「そうですね。リディスさんがただの無力な人間の娘だったら、俺たちも敬意を払ったりはしません。……ジルベルトに渡すのは惜しいですけれど、俺たちは君を、心から歓迎しますよ」
「それは、ありがとうございます。こうして迎え入れてくださったこと、失望させないように、努力いたしますわ」
食事の手を止めて、軽く礼をする。
ジルベルト様の手が、私の髪を撫でた。
「お前は、そのままで良い」
「そうだよリディスちゃん。もう十分だよリディスちゃん。リディスちゃんは、毎日元気な顔を僕に見せてくれて、時々、アスタロト様大好きって言ってくれたらそれで良いんだよ」
「リディスさん、大丈夫ですよ。時折俺とも共に過ごしてくれるなどしてくれるだけで、俺は十分です」
「なんでそうなるんだ。リディスを認めるのは良いが、必要以上に構うのはやめろ。リディスも、この毒蛇と根暗狼には近づくなよ」
忌々し気にジルベルト様がアスタロトとリアを睨みつける。
彼らは全く気にしていない上にジルベルト様が怒っているのを楽しいんでいるように見える。
「ジルベルト様が冷たい時などは、お話し相手になってくださいましね」
「リディス!」
向けられた好意を拒絶する必要もないので、微笑んで返事をすると、ジルベルト様に叱られてしまった。
想像だけで嫉妬してくださるとはとても器用だ。
「さて。若君を揶揄うのはこれぐらいにしておいて、そろそろ本題に入ろうかな」
少しだけ生真面目な声音で、アスタロトが言った。
「食事をしながら聞いていて」というので、遠慮なく私はお魚のソテーを口に運ぶ。
癖のない白身魚と、柑橘系の風味のするソースが舌の上で交わり、爽やかな香りが口の中に広がった。
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