悪役令嬢は反省しない!

束原ミヤコ

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王太子ラファエルと婚約者 1

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 リディスがいなくなった。
 文字通り、俺の前から消えてしまった。

 俺とリディスが会ったのは、俺が十歳の時だった。リディスは俺よりも二つ年下の八歳。
 フォンテーヌ公爵家は古くから王家とは親密な間柄で、王の良き友人であると同時に権力争いを和らげる重要な役目を担っていた。公爵家から王の正妃を娶る場合も往々にしてあったし、王の姉妹を嫁がせることも多かった。安直に言えば親戚、という関係だ。
 フォンテーヌ家の権力は王家に次いで強いが、彼らは大抵の場合自分の領地についてしか興味がなく、こちらが請わなければその力を貸してくれることは少ない。しかし、義理堅く誠実で、約束は必ず果たすという家柄なのだという。中央の政治の補助をする役割である宰相は、アンバー家が担っている。アンバー家が闇だとしたら、フォンテーヌ家は光だと、父から教えられたことがある。

 フォンテーヌ家の長男ソレイユとは、挨拶を交わしたことがあった。物腰の柔らかい落ち着いた人物だと記憶していたが、リディスが俺の婚約者に決まった時に「私のリディを不幸にするようなことがあったら、公爵家は二度と王家には従いませんよ」と反乱宣言をされたぐらい、妹を溺愛していた。
 正直少し面倒だなと思いながら、リディスに会ったことを覚えている。
 王家としては、フォンテーヌ家との繋がりを保っておきたかったようだ。しばらく婚姻関係を結ぶことが無かったため、年の近い俺とリディスの婚約は王家からの希望だった。
 婚約を結ぶ時期が遅くなったのは、ソレイユが認めなかったからだとも、リディスの母君が難色を示したからとも噂されていたが、俺には直接その理由を伝えられることはなかった。あまり興味もなかったので誰かに尋ねる事もしなかったから、本当の真相はいまだに分からない。

 王家の主催する茶会で、俺とリディスの婚約が発表された。
 窮屈な服を着せられた俺は王妃である母に連れられて、リディスと会った。彼女は、ソレイユが溺愛するのも理解できる程、美しい少女だった。
 真っ直ぐな銀色の髪に散りばめられた花々や、白と水色の薄い布が何枚も折り重なったドレスがリディスの可憐さを際立たせていた。まるで、物語の中の妖精のような少女だと思ったことを覚えている。

「はじめまして、ラファエル様。この度、恐れ多くもラファエル様の婚約者となりました、リディス・アマリア・フォンテーヌと申します。王太子様の婚約者に選んでいただいたからには、王妃として相応しい人間になるべく、己を律し、学び、国の人々の為に尽くしていきますわ」

 美しき妖精は、俺に優雅な礼をすると、凛とした声音ではっきりと言った。

「共に、良き国をつくっていきましょう」

 自分よりも年下の、まだ幼い少女が言う言葉とはとても思えなかった。
 婚約者と会う事を面倒だと思っていた自分が、急に恥ずかしくなってしまった。リディスはこれほど立派な事を考えているのに、他に兄弟がいない俺はそのうち王になることをただ漠然と受け入れていて、あまり深く考えてはいなかった。
 リディスの事も、王家が勝手に決めた婚約者だと思っていたし、俺が希望したわけでもないのに、ソレイユに釘を刺されたことについても苛立っていた。そのせいで、はじめから好意的な印象は抱いていなかった。
 公爵令嬢なんて、どうせドレスと宝石にしか興味のない、頭の悪い女だろうと思っていた。
 けれどその勝手な思い込みは、リディスの立ち振る舞いを見てすぐに、間違いだと分かった。

「俺……、私は、ラファエル・アルタ・エンデバラード。エンデバラード王家の、王太子です」

 話し方に気を付けなければ、リディスに呆れられてしまうかもしれない。
 子供じみた態度を改めなければ。リディスに認められるように、しなければ。
 そう思うと言葉が上手く出てこなかった。自分の事を『私』と言ったのは、ソレイユがそうしていたからだ。ソレイユと似た言葉づかいにすれば、リディスは王太子としての俺を侮蔑したりしないだろうと考えた。

「ええ、存じ上げておりますわ。末永く、お傍に置いてくださいましね」

 そう言って微笑むリディスは、とても愛らしくて綺麗で、俺はリディスを傍に置ける幸運に感謝せずにはいられなかった。
 多分あれは、淡い初恋だったのだろう。

 リディスはあまり自分から、俺の側に寄ってくるような性格ではなかった。
 黙っていても権力を欲する貴族令嬢たちが、俺を取り囲むのが常だったのだが、リディスだけは俺の婚約者であることを主張するわけでもなく、俺が誰と言葉を交わしていても気にするわけでもなく、そもそも用事がない限りは俺の元に訪れることもしなかった。
 かといって俺の事を嫌っているという訳でもなさそうで、挨拶をすれば輝くような笑顔で返してくれたし、最近起こった身の回りの事などもよく話をしてくれた。

 リディスは少し変わっていて、公爵家で働いている元冒険者という変わった経歴を持っている護衛の男と森に入ったり、生き物を観察したりするのが趣味らしかった。
 模擬刀をもって護衛だというノワールと、庭先で剣術の稽古をしていたこともある。

「危ない事をするのはやめたらどうだろう。リディスは私の婚約者なのだし、戦うようなことにはならないと思う」

 リディスに会うためにはフォンテーヌ公爵家に訪れるのが一番早いのだが、リディスの兄のソレイユや、執事長のクライブという青年が大抵傍に居るせいで、あまり二人きりの時間を過ごすことはできなかった。
 ある時、フォンテーヌ公爵家の庭にある東屋で二人で話をしている最中、気になって尋ねてみたことがある。俺だってリディスを守れるぐらいの剣術の心得はあるし、弓だってそれなりに使う事ができる。
 リディスが彼女自身を鍛えているのを見る度に、俺では不足だと言われているような気になってしまったのだ。

「ラファエル様。あなたの身に何かあった時は、騎士やあなたの護衛の兵士の力が及ばなかった時ですわ。最後にあなたを守ることが出来るのは、私ですのよ。私は女ですから、力では男の方に及ぶべくもありませんでしょうけど、できる事はやっておくのがあなたの隣に立つ私の責務というものです。ただ部屋の奥で身を隠しているばかりでは、王族の一員になるものとして、面目が立ちませんもの」

「……それなら私も、リディスを守ることが出来るように、もっと頑張らなくてはいけないね」

 リディスの言葉は理路整然としていて、感情的になっていた自分が子供じみているような気がした。
 それと同時にリディスが俺の婚約者として、妻になるものとして、考えて行動しているのが嬉しいと思う。
 リディスの手を取って必ず守ると誓うと、彼女は首を傾げた。

「ラファエル様、私を守ってはいけませんわ。王家にとっての私は、代替えできる者です。けれど、王太子であるあなたは、一人しかいませんのよ。あなたが失われることは、エンデバラード王家が潰えるということ。お気持ちは有難いのですが、私よりも大切なことがあること、忘れずにいてくださいましね」

 確かにリディスのいう事は正しいのだろう。
 浮かれていた自分が馬鹿みたいに思えた。
 そして、リディスは俺を嫌ってはいないが、特別愛しているわけではないのだと漠然と理解した。
 リディスが見ているのは王太子である俺だ。個人ではない。
 悔しかったし、悲しい様な気もした。傍に居てもどこか空虚で、俺の婚約者だというのに、手に入らない彼女に只管に焦がれた。
 十五歳になったら、あと数年したら名実ともに俺の物にできる。それまで彼女の心が誰かに奪われないように、見張っていなくてはいけない。

 それからは会うたびに「私のリディス」「愛しているよ」などと言ってみたものの、彼女は季節の挨拶程度にしか思っていないようだった。
 勿論「私もですわ」と返してくれるのだが、それは彼女が兄や執事にも返している言葉だ。
 いつかはきっと、伝わると思っていた。あと数年、あと数年と思いながらリディスとの時間を過ごしていた。

 十六歳になった俺は、王立学園で学ぶことになった。王立学園は王族や貴族の嫡子が学ぶ場所で、余程の事情がない限り、大抵の貴族の若者たちは三年程そこで過ごすことになっている。
 とはいえ、俺の基礎教育は全て終わっていたので、そこで過ごすことは、どちらかというと王家にとっては人脈づくりと情報収集に意味がある。
 あと一年でリディスは十五歳。卒業したら王として即位する予定であった俺は、さっさとリディスを娶り王城へ住まわせるつもりだった。

「私も、王立学園で学びたいですわ。ラファエル様と共に、学園での生活を送ってみたいのです」

 そうリディスが言いだしたので、予定が狂ってしまった。
 けれどリディスの頼みを拒否することはできない。俺は物分かりが良くて優しい婚約者だと、リディスに思われている。今更、彼女を早く手に入れる事しか考えていないとは、気づかれたくない。
 焦ってはいけない。今までだって待っていた。それがあと数年伸びるだけだ。

 そう、思っていた。

 それなのにリディスは、彼女が王立学園へと登校する初めての日。
 迎えに行った私の前で、まともに会話も交わすことが出来ないまま、消えてしまった。

「ラファエル様。……ご安心を。あなたには近く、そのお心を癒してくださる方があらわれますわ。それでも私が欲しいとおっしゃるのなら、私の帰りを待っていてくださいまし」

 それだけを俺に言うと、まるで俺になど未練もなにもない様子で、いつもの美しい微笑みを浮かべるとリディスはいなくなった。

 リディスが、欲しい?

 当たり前だ、どれだけ我慢したと思っている。彼女に嫌われないように、暗い欲望を押し殺して、本来の自分を只管に隠して、彼女に気に入られるような優しい婚約者を演じていたのに。
 王太子としての俺ではなく、俺個人を見ようとはしない彼女を、傍から離れられないように早く囲い込んでしまいたかった。
 誰に対しても平等に接する彼女に苛立っていた。リディスは、俺のものじゃないのかと詰りたくなる時もあった。
 それなのに。
 どうして。
 意味が分からない。俺から逃げたのか。婚姻を先送りにしていたのは、本当は嫌だったから、なのか。
 許せない、と思った。
 美しく残酷な、リディス。俺の、婚約者。

 あれは、俺の物だ。



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