悪役令嬢は反省しない!

束原ミヤコ

文字の大きさ
47 / 53

しおりを挟む


 迷いの森に、誰かが入り込んだようだと悩まし気にジルベルト様が言ったのは、翌朝の事だった。
 私はベッドの上で目を擦りながら、ぼんやりとそれを聞いていた。
 少しだけ体が重たいのは、昨日の夜長い間魔力を注がれていたからだろう。私の手の平の刻印から茨の蔦が伸びて、手首をまるで楔のようにぐるりと覆っている。輝くような赤色はどことなく禍々しく、それでいて神聖さを感じさせた。

「森は広大なのでしょう、入り込んだことがすぐにわかりますの?」

「結界を張り巡らせてるせいで、魔力の揺らぎみてぇなものを感じるからな。……だが、これは……」

 ベッドの上で上体を起こして、眉間に皺を寄せるジルベルト様を、私は覗き込んだ。

「どうされました?」

「王の気配がする。……エンデバラードが、お前を迎えに来たようだ、リディス」

 現エンデバラード王は、ラファエル様のお父様であるラジエル・アルタ・エンデバラード様だ。
 口数少なく温厚な方で、政はほとんど宰相のウィリス・アンバーに任せていて、最近は式典の時ぐらいにしか姿を見たことがない。
 王妃様が三年程前にご病気でお亡くなりになってしまい、それから元気をなくされたという話だ。
 ラファエル様はあまり落ち込んでいた様子はなかったように思う。共に葬儀に参列したけれど、少しだけ寂しそうに「しばらく前から伏せっていたから仕方ない」と言っていた。
「私にはリディスがいてくれるから、大丈夫だよ」と、微笑んでいた事を思い出す。
 あの時の私は、ラファエル様が私以外の方に心を傾ける事など考えてもいなかった。

 それにしても、ラジエル王が自ら迷いの森に入るとは考え難い。高齢ということもあるし、保守的な方だという印象が強いからだ。
 だとしたら、既にラファエル様に王位を譲られたのかもしれない。どの道ラファエル様は王立学園を卒業されたあと、私と婚姻を正式に結んだら王として即位することが決まっていた。
 それが数年早まっただけなので、そう驚く事ではないのかもしれない。

「王とは、特別なのですか?」

「エンデバラード王家は、女神エルヴィーザと、異種族の王ハインゾルデと共に神から創り出されたものだからな。かつての大戦で俺たちが負けたのは、王家の力のせいでもある」

「王家の力……」

「あぁ、封魔の力ともいう。人の王、王家の嫡子には、俺たちの魔力を消し去る力がある。つまり、王直々に迷いの森に入れば、結界は意味を為さずに森を抜けられるってわけだ。今までそんな物好きはいなかったけどな」

 そんな話は聞いたことがなかった。
 ラファエル様と、アンバー家のハミルトンは知っていたのだろう。おそらく女神の器であるシンシアさんのことも。
 ジルベルト様は私の手首を掴み引き寄せると、茨の楔へと唇を落とした。

「リディス、……お前を、エンデバラードには渡さねぇ」

「私、あなたにこの身を捧げると決めてまいりましたのよ。ラファエル様のお気持ちがどうあれ、あなたの側を離れたりはしませんわ」

「……顔を見たら、帰りたくなるかもしれねぇだろ」

「そんなことで不安になる程、私を愛しておりますのね。とてもお可愛らしいですわ」

 不服そうにジルベルト様が言うので、私はその頭を抱きしめてさしあげながら髪を撫でる。
 ここまできて心変わりをするような不実な私ではないのだけど、私がラファエル様から離れた本当の理由をジルベルト様は知らないので、不安になるのも仕方ない。
 ジルベルト様は私を甘やかすのも好きだが、私に甘やかされるのも好ましく思っているようで、頭を撫でたり抱きしめたりしても嫌がることはない。
 しばらく癖のある髪の感触を楽しみながら、ラファエル様のことを考える。
 ラファエル様がなんの当てもなく、ただ私を追い求めて迷いの森に足を踏み入れた、というのは考えにくい。
 激情で行動するには日数が経っているし、ラファエル様はエンデバラード王家を継ぐ自覚がきちんとあった筈だ。ラファエル様がいなくなれば王家は潰えてしまうのだから、無謀な行動をとろうとしたらハミルトンが止めるだろう。

 勝算があるとするならば。
 たぶんきっと、女神の器を、シンシアさんを連れてきている。
 それにしては、ジルベルト様の反応が薄い。
 エンデバラード王の気配が分かるのであれば、エルヴィーザ様の魂を持つシンシアさんのこともわかりそうなものなのだけど。

「世界を繋ぐ。お前の望みを叶えるなら、どうせそのうち、向き合わなきゃならねぇことだった。……良い機会だ、向こうから来てくれるんなら、丁寧に出迎えてやるか」

 体を離した私をじっと見据えて、ジルベルト様が言う。強い意志を感じさせる瞳は自信に満ち溢れ、燃え立つように輝いている。

「はい。ジルベルト様……、私を離さないでくださいまし」

 ふと過る嫌な予感は、過去の記憶を思い出してしまったからだろう。
 学園の日常でも、夜会でも、学園の式典でも――ラファエル様の隣には常にシンシアさんが、彼に守られるようにして侍っていた。
 あの時は分からなかったけれど、私がシンシアさんを虐げていたという身に覚えのない罪を、ハミルトンのようにラファエル様も信じていたのならば、シンシアさんを私から守るように傍に置いていたということも理解できる。
 影でシンシアさんを虐げながら、表では堂々とシンシアさんに話しかけて意見をする私は、さながら稀代の悪女といった様相だっただろう。もちろん私は影でこそこそとシンシアさんを虐げる様なことはしていないのだけど、皆が信じてしまえばそれは真実になってしまうのだから仕方ない。
 今回のラファエル様は、シンシアさんに心を奪われてはいないのだろうか。
 去る者ほど追いかけたくなると聞いたことがある。私が離れようとしたせいで躍起になっているだけなのかもしれない。

「……リディ」

 低く甘い声で名を呼ばれたと思ったら、体をベッドに押さえつけられていた。
 優しく触れた唇の狭間から、熱い舌が私の唇を割って入ってくる。
 私の舌を絡めとり、貪り、ぬるぬると擦りあわせられると、気持ち良さに何も考えられなくなってしまう。

「ん……ん……、」

 呼吸が苦しい。なにもかもを奪い取られるような激しく長い口づけが終わったころには、私は酸欠で息を切らしながら、ベッドの上でくたりと体の力を抜いていた。
 溢れた涙や流れ落ちた唾液を、ジルベルト様の指先が拭う。

「……何があったのかはもう聞かねぇが、お前がエンデバラードから逃げてここに来たんだとしたら、怖いんじゃねぇか。無理はしなくて良い、部屋で待ってろ」

 そういう訳ではないので、大丈夫だと首を振った。
「私も、一緒に」とお願いすると、ジルベルト様は困ったように笑った後、頷いた。


 ジルベルト様がリアやアスタロトと話をするといって身支度を整えると部屋を出ていき、変わりに入ってきたのはメルクルだった。
 彼女は「お城の中、いつもと様子が違うみたい」と不安気に言いながら、私の着替えを手伝い髪の手入れをしてくれた。
 黒と深い赤のドレスに着替えた私の左手に恐る恐る触れながら、メルクルは慈しむように手首に纏わりつく茨の楔を撫でた。

「あぁ、なんてひどい……、リディちゃん、痛くはないのかしら?」

「いえ、特になんともありませんわ」

「もし王の魔力をここまで浴びたら、メルクル達ならきっと気がおかしくなってしまうのよ。ここまでする必要があるのかしら……、ジルベルト様はリディちゃんを、魔族にしたいのかしら」

「人が魔族になる……?」

 そんなことはできるのだろうかと、私は首を傾げる。

「ごめんなさい、メルクルには分からないのだけれど、そんな気がしたの。だって今のリディちゃんの体から、強い魔力が感じられるのだもの」

 私はまじまじと手の甲の刻印を眺めてみるが、全く分からない。
 集中が足りないのかもと、意識を極力向けてみるけれど、ただ紋様があるだけでそれ以上の事はなにも起こらなかった。
 ジルベルト様に部屋から私を出さないように言いつけられているというメルクルに促されて、部屋で簡単な朝食を口にした後、メルクルの入れてくれた紅茶を飲みながら、椅子に座って他愛のない話をした。
 メルクルは私の国ではどういったドレスが流行っているのかを聞きたがり、紅茶の種類や、菓子の話など色々尋ねられた。
「リディスさん、一緒に来てください」とリアが呼びに来たのは、暫くしてからの事だった。




しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

【完結】転生したらラスボスの毒継母でした!

白雨 音
恋愛
妹シャルリーヌに裕福な辺境伯から結婚の打診があったと知り、アマンディーヌはシャルリーヌと入れ替わろうと画策する。 辺境伯からは「息子の為の白い結婚、いずれ解消する」と宣言されるが、アマンディーヌにとっても都合が良かった。「辺境伯の財で派手に遊び暮らせるなんて最高!」義理の息子など放置して遊び歩く気満々だったが、義理の息子に会った瞬間、卒倒した。 夢の中、前世で読んだ小説を思い出し、義理の息子は将来世界を破滅させようとするラスボスで、自分はその一因を作った毒継母だと知った。破滅もだが、何より自分の死の回避の為に、義理の息子を真っ当な人間に育てようと誓ったアマンディーヌの奮闘☆  異世界転生、家族愛、恋愛☆ 短めの長編(全二十一話です) 《完結しました》 お読み下さり、お気に入り、エール、いいね、ありがとうございます☆ 

ヒロインしか愛さないはずの公爵様が、なぜか悪女の私を手放さない

魚谷
恋愛
伯爵令嬢イザベラは多くの男性と浮名を流す悪女。 そんな彼女に公爵家当主のジークベルトとの縁談が持ち上がった。 ジークベルトと対面した瞬間、前世の記憶がよみがえり、この世界が乙女ゲームであることを自覚する。 イザベラは、主要攻略キャラのジークベルトの裏の顔を知ってしまったがために、冒頭で殺されてしまうモブキャラ。 ゲーム知識を頼りに、どうにか冒頭死を回避したイザベラは最弱魔法と言われる付与魔法と前世の知識を頼りに便利グッズを発明し、離婚にそなえて資金を確保する。 いよいよジークベルトが、乙女ゲームのヒロインと出会う。 離婚を切り出されることを待っていたイザベラだったが、ジークベルトは平然としていて。 「どうして俺がお前以外の女を愛さなければならないんだ?」 予想外の溺愛が始まってしまう! (世界の平和のためにも)ヒロインに惚れてください、公爵様!!

残念な顔だとバカにされていた私が隣国の王子様に見初められました

月(ユエ)/久瀬まりか
恋愛
公爵令嬢アンジェリカは六歳の誕生日までは天使のように可愛らしい子供だった。ところが突然、ロバのような顔になってしまう。残念な姿に成長した『残念姫』と呼ばれるアンジェリカ。友達は男爵家のウォルターただ一人。そんなある日、隣国から素敵な王子様が留学してきて……

気配消し令嬢の失敗

かな
恋愛
ユリアは公爵家の次女として生まれ、獣人国に攫われた長女エーリアの代わりに第1王子の婚約者候補の筆頭にされてしまう。王妃なんて面倒臭いと思ったユリアは、自分自身に認識阻害と気配消しの魔法を掛け、居るかいないかわからないと言われるほどの地味な令嬢を装った。 15才になり学園に入学すると、編入してきた男爵令嬢が第1王子と有力貴族令息を複数侍らかせることとなり、ユリア以外の婚約者候補と男爵令嬢の揉める事が日常茶飯事に。ユリアは遠くからボーッとそれを眺めながら〘 いつになったら婚約者候補から外してくれるのかな? 〙と思っていた。そんなユリアが失敗する話。 ※王子は曾祖母コンです。 ※ユリアは悪役令嬢ではありません。 ※タグを少し修正しました。 初めての投稿なのでゆる〜く読んでください。ご都合主義はご愛嬌ということで見逃してください( *・ω・)*_ _))ペコリン

転生しましたが悪役令嬢な気がするんですけど⁉︎

水月華
恋愛
ヘンリエッタ・スタンホープは8歳の時に前世の記憶を思い出す。最初は混乱したが、じきに貴族生活に順応し始める。・・・が、ある時気づく。 もしかして‘’私‘’って悪役令嬢ポジションでは?整った容姿。申し分ない身分。・・・だけなら疑わなかったが、ある時ふと言われたのである。「昔のヘンリエッタは我儘だったのにこんなに立派になって」と。 振り返れば記憶が戻る前は嫌いな食べ物が出ると癇癪を起こし、着たいドレスがないと癇癪を起こし…。私めっちゃ性格悪かった!! え?記憶戻らなかったらそのままだった=悪役令嬢!?いやいや確かに前世では転生して悪役令嬢とか流行ってたけどまさか自分が!? でもヘンリエッタ・スタンホープなんて知らないし、私どうすればいいのー!? と、とにかく攻略対象者候補たちには必要以上に近づかない様にしよう! 前世の記憶のせいで恋愛なんて面倒くさいし、政略結婚じゃないなら出来れば避けたい! だからこっちに熱い眼差しを送らないで! 答えられないんです! これは悪役令嬢(?)の侯爵令嬢があるかもしれない破滅フラグを手探りで回避しようとするお話。 または前世の記憶から臆病になっている彼女が再び大切な人を見つけるお話。 小説家になろうでも投稿してます。 こちらは全話投稿してますので、先を読みたいと思ってくださればそちらからもよろしくお願いします。

私を選ばなかったくせに~推しの悪役令嬢になってしまったので、本物以上に悪役らしい振る舞いをして婚約破棄してやりますわ、ザマア~

あさぎかな@コミカライズ決定
恋愛
乙女ゲーム《時の思い出(クロノス・メモリー)》の世界、しかも推しである悪役令嬢ルーシャに転生してしまったクレハ。 「貴方は一度だって私の話に耳を傾けたことがなかった。誤魔化して、逃げて、時より甘い言葉や、贈り物を贈れば満足だと思っていたのでしょう。――どんな時だって、私を選ばなかったくせに」と言って化物になる悪役令嬢ルーシャの未来を変えるため、いちルーシャファンとして、婚約者であり全ての元凶とである第五王子ベルンハルト(放蕩者)に婚約破棄を求めるのだが――?

転生してモブだったから安心してたら最恐王太子に溺愛されました。

琥珀
恋愛
ある日突然小説の世界に転生した事に気づいた主人公、スレイ。 ただのモブだと安心しきって人生を満喫しようとしたら…最恐の王太子が離してくれません!! スレイの兄は重度のシスコンで、スレイに執着するルルドは兄の友人でもあり、王太子でもある。 ヒロインを取り合う筈の物語が何故かモブの私がヒロインポジに!? 氷の様に無表情で周囲に怖がられている王太子ルルドと親しくなってきた時、小説の物語の中である事件が起こる事を思い出す。ルルドの為に必死にフラグを折りに行く主人公スレイ。 このお話は目立ちたくないモブがヒロインになるまでの物語ーーーー。

【完結】 異世界に転生したと思ったら公爵令息の4番目の婚約者にされてしまいました。……はあ?

はくら(仮名)
恋愛
 ある日、リーゼロッテは前世の記憶と女神によって転生させられたことを思い出す。当初は困惑していた彼女だったが、とにかく普段通りの生活と学園への登校のために外に出ると、その通学路の途中で貴族のヴォクス家の令息に見初められてしまい婚約させられてしまう。そしてヴォクス家に連れられていってしまった彼女が聞かされたのは、自分が4番目の婚約者であるという事実だった。 ※本作は別ペンネームで『小説家になろう』にも掲載しています。

処理中です...