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高級ブラシと名前を呼ぶ許可
しおりを挟む皇帝陛下の青銀色の髪は触ると硬いのかと思ったけれど、思ったよりも柔らかく艶やかだ。
ブラシの通りの良い綺麗な髪に、滑らかな木と獣毛で作られているブラシをあてる。
梳かすたびに艶が出るのが楽しくて、時間を忘れて頭のてっぺんから毛先まで、ゆっくりとブラシを流して髪を梳くことを繰り返した。
白黒猪の獣毛のブラシ。とてもいい。
高級なブラシだけあって、とかせばとかすほど艶が出る。
元々皇帝陛下の髪は、綺麗なのだろうけれど。
その綺麗な髪を、高級なブラシで梳かすことができることが楽しい。
妹たちの髪も、こうして手入れをしていた。
我が家には古びて毛先が抜け落ちたブラシしかなかったけれど。いつか妹たちの髪の毛をちゃんとしたブラシでとかしてあげたい。
(お姉ちゃん、頑張るわね。お金をたくさん稼いで、二人を素敵な男性と結婚させてあげなければ)
私と妹たちは年齢が離れている。
オリーブちゃんはまだ十一歳で、ローズマリーちゃんは九歳だ。
お母様が亡くなってから、私は二人の母親の代わりだった。二人とも、使用人の方々もいなくなってしまったから、ほぼ私が育てたようなもの。
幸せになってもらいたい。
それにしても、皇帝陛下の髪は、氷柱ハリネズミに似ているかと思ったけれど、触り心地はどちらかといえば白狼に似ている。
「ティディス」
「は、はい……っ」
不意に名前を呼ばれて、私はブラシを思わず手から滑り落とした。
せっかく今のところうまく行っていたのに、髪の毛を梳かすのに夢中になってしまった。
必要以上に丁寧に髪を融かしすぎた気がする。時間がかかりすぎたのだわ。
その上ブラシを落としてしまうなんて……!
床の上に落ちていくブラシを皇帝陛下が素早く、パシッと床に落ちる前に掴んで、私の手に戻してくださる。
「あ、ありがとうございます……申し訳ありません、ありがとうございます……」
「いや」
「急ぎますね、急ぎます……楽しくなってしまって、ごめんなさい」
「問題ない」
私はブラシを置いて、今度は口を濯ぐためにレモンの輪切りを浮かべた水さしの水をグラスに入れる。
皇帝陛下はグラスを受け取って、嗽をして、私が口の前に差し出したボウルの中へと水を吐き出した。
なんだかとても不機嫌――というよりは、なんとなく嫌そうな表情をしている。
何か不手際があったかしらと心配になったけれど、できる限り考えないようにした。
心配すればするほど、手が震えてしまいそうになるからだ。
私は立ち上がる皇帝陛下が寝衣をお脱ぎになるのを手伝いながら、寝衣を受け取った。
カートの下段にある洗い物用のカゴに、畳んで入れる。
クローゼットのある部屋に向かう皇帝陛下を追いかけて、今日のお召し物にお着替えするのをお手伝いする。
寝衣を脱ぐと、堂々とした立派な体躯が現れる。
筋肉の鎧を纏ったような体には傷ひとつない。長く戦場に身を置いていたというのだからもっと傷だらけなのかと思ったのだけれど、それだけ皇帝陛下がお強いということなのだろう。
白いパリッとしたシャツを羽織っていただいて、ボタンを閉める。
レイシールド様は私よりも背が高いので、少し大変だった。トラウザーズを着ていただき、ベルトを締める。
お部屋の中央に背もたれのない椅子があって、レイシールド様はそこに座ってくださる。
靴下と、膝丈のブーツ。足元に跪いて、ブーツの紐をキツくしめた。
シャツの首に棒タイを巻いて、金のピンで止める。
白に銀のボタンと飾りのある上着を着ていただいて、ボタンを閉める。
立派な体躯を上質なお洋服で包んだ皇帝陛下は、まさしく皇帝陛下という佇まいになった。
「皇帝陛下、何か、不足はありませんでしょうか……」
「ない」
私が尋ねると、皇帝陛下は短くおっしゃった。
それから少し考えるように目を伏せて、椅子から立ち上がる。
「ティディス」
「は、はい」
「レイシールド。俺の名だ。俺は皇帝陛下という名ではない」
「……は、はい……っ、申し訳ありません……!」
お名前を呼ぶのは不敬だと思っていた。
けれど、レイシールド様とお呼びしたほうがよいのかしら。
部屋を出ていく皇帝陛下──レイシールド様のあとを急いで追いかけながら、私は、そういえば一度も怒鳴られなかったと、不思議に思っていた。
侍女の皆さんから聞いた話とは、ずいぶん印象が違うように思う。
そんなに怖くない。
むしろ、優しいのではないかしら。
少なくとも、我が家に度々来る借金取りの方々よりはずっと優しいような気がした。
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