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レット・イット・ビー
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「日本って、どんなとこ?」
突然、圭が聞いてきたのは領事館へ行った数日後のことだ。学校に行ってないことは何も変わってないが、怯えて震えていた時期よりだいぶ気持ちは落ち着いたように見えてきていた。
「どんなとこ、か。言葉では難しいな。日本のどんなことを知りたい?」
ランチタイムが終わり、ちょうど一息ついていた。ステラは買い物に行っている。
「じゃあ、日本の学校ってニューヨークの学校と何が違う?」
店の片隅に置いているキーボードを触りながら、ボソリと圭がいう。
「勉強するところってことでは全く違いはないと思うよ。まあ俺も日本の高校しか行ったことないけど。どうした。なんか興味あるの?」
この間言ったことが気になるんだろうか。オブラートに包むようにそっと探ってみる。
「日本って、このお店からどれくらい遠い?」
圭司の問いかけには答えず、圭の質問がひとつ増えた。
「このお店から? そうだな、日本からだとこの店は地球のまるっきり反対側にあるお店になるから、毎日食べにくるわけには行かないくらいには遠いかな」
話が重くならないように——
「ふーん……」
それっきり、しばらく圭は黙っていたが、しばらくしてまたポツリという。
「それだけ遠かったら、あの人たちも来ない?」
「あの人たち?」
「銃を撃ってくること、ない?」
——それか。
「日本ではポリスと許可を受けたハンター以外、銃は持ってないんだよ。むしろ本物の銃を見たことある人さえ、日本人にはほとんどいないぐらいさ」ただしごく一部のアウトローな人たちを除けば——という軽口は、もちろん喉の奥深くまで飲み込んだ。
「日本なら、私、高校に行ける?」真っ直ぐにこっちを見ながら、冊子のようなものを店のカウンターに置いた。——横浜聖華国際学園。この間読んでいたやつだ。
「圭はアメリカ人だけど日本人でもあるんだよ。試験に合格すれば、もちろん行けるさ」できるだけ、柔らかく。
「圭司とステラも一緒?」
「いや、俺たちは一緒じゃない。俺の暮らす今の家はここだからね。でも、圭が日本の高校になら行けると思うなら、いや、圭が日本の高校に行きたいなら、安心して暮らせるところを必ず探すよ。だから俺やステラのことじゃなくて、圭が自分がこれからどうしたいのかだけを考えて決めたらいい。俺がアメリカへ渡ってきたときのようにさ」
「知らない国へ行くのは怖くなかった?」
「全然! もう夢しかなかったよ。ワクワクしてたかな」
圭司が優しくいうと、圭は小さく何度も頷いた。
圭司は圭の隣に椅子を置くと、そっとキーボードの鍵盤に指を置いてゆっくりと和音を押さえる。ピアノは上手なわけではないが、この曲だけは若い頃繰り返し練習をした。まだ指が覚えている。
「知ってるだろう、この曲。歌ってくれよ」
そう言うと、圭が微笑み、大きく息を吸い込んでから静かに歌い出した。
——レット・イット・ビー。そうさ、なすがまま、心のままに。君の人生だ。
⌘
圭司は指が震えていた。レストランで就職して一度だけ電話をした。あれから店が成功するまでと決めてから、一度も電話したことがない。
呼び出し音が5回ほど鳴って、「はい、高梨です」という声が聞こえた。
「あっ、あの」——いかん、落ち着け。もう一度。
「あの、圭司です。母さん?」
——どちらのケイジさんでしょう? あっ、警察の方?
「いや、息子の圭司です、母さん」
——母親と姉の声の区別がつかないような弟を持った覚えはありませんが。
「えっ? フーミン、なんでそこにいるの」
皮肉たっぷりに電話に出たのは、思いもかけず姉の史江だった。
——なんでって、今ここに住んでるからに決まってるじゃん。
「父さんか母さんは?」
——ほらほら、何年も電話さえもしないから、そんなこともわかんない。この親不孝もんめ。
ハラハラと笑いながら怒られた。
——父さんたちはさ、長年の夢だったとか言って、鎌倉へ引っ越しちゃったよ。だからこの家には私一人よ。
姉の史江とは7歳ほど離れている。両親は二人とも教師で共働きだったため、姉の史江が圭司のほとんど親代わりのように面倒を見たと言っても過言ではない。
「ああ、そういえば昔言ってたねえ。いよいよ引っ越したのか。じゃあフーミンだけで住んでるの?」
——で、何。
「何って?」
——あんたが突然電話してきて世間話のはずないよね。何か理由があんでしょ? 何? まさか借金?
「借金なんかないよ。店は順調だし」
——お店? なになに、アメリカでお店? あんたが?
「うん、日本食をメインにした小さなレストランというか」
——へえ、意外。
「あのな、用件はね、その家の俺の部屋って、まだ空いてるかな、とか」
——帰ってくるの? やっぱりお店がだめなの?
「いや、俺じゃなくて、その、娘が——」
——ちょっと待ったああああ! あんたいつの間に結婚したの! まさか私に内緒で? この姉不幸者! あー、信じられない。
電話の向こうから姉の驚きの声が止まらない。
「ちょっと落ち着いて。そうじゃないんだって。とにかく聞いて」
興奮が止まらない姉をなだめすかして圭司はこれまでのことを話したのだった。
突然、圭が聞いてきたのは領事館へ行った数日後のことだ。学校に行ってないことは何も変わってないが、怯えて震えていた時期よりだいぶ気持ちは落ち着いたように見えてきていた。
「どんなとこ、か。言葉では難しいな。日本のどんなことを知りたい?」
ランチタイムが終わり、ちょうど一息ついていた。ステラは買い物に行っている。
「じゃあ、日本の学校ってニューヨークの学校と何が違う?」
店の片隅に置いているキーボードを触りながら、ボソリと圭がいう。
「勉強するところってことでは全く違いはないと思うよ。まあ俺も日本の高校しか行ったことないけど。どうした。なんか興味あるの?」
この間言ったことが気になるんだろうか。オブラートに包むようにそっと探ってみる。
「日本って、このお店からどれくらい遠い?」
圭司の問いかけには答えず、圭の質問がひとつ増えた。
「このお店から? そうだな、日本からだとこの店は地球のまるっきり反対側にあるお店になるから、毎日食べにくるわけには行かないくらいには遠いかな」
話が重くならないように——
「ふーん……」
それっきり、しばらく圭は黙っていたが、しばらくしてまたポツリという。
「それだけ遠かったら、あの人たちも来ない?」
「あの人たち?」
「銃を撃ってくること、ない?」
——それか。
「日本ではポリスと許可を受けたハンター以外、銃は持ってないんだよ。むしろ本物の銃を見たことある人さえ、日本人にはほとんどいないぐらいさ」ただしごく一部のアウトローな人たちを除けば——という軽口は、もちろん喉の奥深くまで飲み込んだ。
「日本なら、私、高校に行ける?」真っ直ぐにこっちを見ながら、冊子のようなものを店のカウンターに置いた。——横浜聖華国際学園。この間読んでいたやつだ。
「圭はアメリカ人だけど日本人でもあるんだよ。試験に合格すれば、もちろん行けるさ」できるだけ、柔らかく。
「圭司とステラも一緒?」
「いや、俺たちは一緒じゃない。俺の暮らす今の家はここだからね。でも、圭が日本の高校になら行けると思うなら、いや、圭が日本の高校に行きたいなら、安心して暮らせるところを必ず探すよ。だから俺やステラのことじゃなくて、圭が自分がこれからどうしたいのかだけを考えて決めたらいい。俺がアメリカへ渡ってきたときのようにさ」
「知らない国へ行くのは怖くなかった?」
「全然! もう夢しかなかったよ。ワクワクしてたかな」
圭司が優しくいうと、圭は小さく何度も頷いた。
圭司は圭の隣に椅子を置くと、そっとキーボードの鍵盤に指を置いてゆっくりと和音を押さえる。ピアノは上手なわけではないが、この曲だけは若い頃繰り返し練習をした。まだ指が覚えている。
「知ってるだろう、この曲。歌ってくれよ」
そう言うと、圭が微笑み、大きく息を吸い込んでから静かに歌い出した。
——レット・イット・ビー。そうさ、なすがまま、心のままに。君の人生だ。
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圭司は指が震えていた。レストランで就職して一度だけ電話をした。あれから店が成功するまでと決めてから、一度も電話したことがない。
呼び出し音が5回ほど鳴って、「はい、高梨です」という声が聞こえた。
「あっ、あの」——いかん、落ち着け。もう一度。
「あの、圭司です。母さん?」
——どちらのケイジさんでしょう? あっ、警察の方?
「いや、息子の圭司です、母さん」
——母親と姉の声の区別がつかないような弟を持った覚えはありませんが。
「えっ? フーミン、なんでそこにいるの」
皮肉たっぷりに電話に出たのは、思いもかけず姉の史江だった。
——なんでって、今ここに住んでるからに決まってるじゃん。
「父さんか母さんは?」
——ほらほら、何年も電話さえもしないから、そんなこともわかんない。この親不孝もんめ。
ハラハラと笑いながら怒られた。
——父さんたちはさ、長年の夢だったとか言って、鎌倉へ引っ越しちゃったよ。だからこの家には私一人よ。
姉の史江とは7歳ほど離れている。両親は二人とも教師で共働きだったため、姉の史江が圭司のほとんど親代わりのように面倒を見たと言っても過言ではない。
「ああ、そういえば昔言ってたねえ。いよいよ引っ越したのか。じゃあフーミンだけで住んでるの?」
——で、何。
「何って?」
——あんたが突然電話してきて世間話のはずないよね。何か理由があんでしょ? 何? まさか借金?
「借金なんかないよ。店は順調だし」
——お店? なになに、アメリカでお店? あんたが?
「うん、日本食をメインにした小さなレストランというか」
——へえ、意外。
「あのな、用件はね、その家の俺の部屋って、まだ空いてるかな、とか」
——帰ってくるの? やっぱりお店がだめなの?
「いや、俺じゃなくて、その、娘が——」
——ちょっと待ったああああ! あんたいつの間に結婚したの! まさか私に内緒で? この姉不幸者! あー、信じられない。
電話の向こうから姉の驚きの声が止まらない。
「ちょっと落ち着いて。そうじゃないんだって。とにかく聞いて」
興奮が止まらない姉をなだめすかして圭司はこれまでのことを話したのだった。
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