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血と錯覚
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——なんの用事で行ったのかは知らないが、ニューヨークまで行って不慮の事故で命を落とすなんて、なんて悲しい人生なんだろう。
少し前、ニューヨークの事故の話を聞いて、そんなことを他人事のように呑気に思っていた自分に圭司は激しく怒っていた。紗英がアメリカに行ったのも、全ての発端は自分じゃないか。それなのに俺は——
神経が昂って眠れず空が白々と明ける頃、圭司がそっと階下に降りると史江がもう起きてダイニングテーブルで英語の本を読んでいた。この習慣は若い頃から変わらない。ソファだと寝てしまう、といつも言っていた。
「あら、早いのね」そう言って史江は眼鏡を下にずらし、上目遣いにこちらを見た。「まだ寝とけばいいのに」
「なんか眠れなくてな」
そう言って台所へ行き、コップに水を一杯汲むと一気に飲み干した。そして史江の顔をじっと見た。俺とフーミンは他人から見たらやっぱり似てるんだろうかとそんなことを考えた。
「なあ、姉ちゃん」
ずっと昨日から考えていた。姉にだけは相談した方がいいのか——
「何?」史江が本を閉じた。
「いや、いいや」つい言い淀んでしまう。
「あんたが姉ちゃんって呼ぶときって、絶対なんかすごく困ったときよね。どうせいつかバレるなら、今ここで喋っちゃったら?」
自分はそんなにわかりやすい、隠し事のできない人間なんだろうか。
「俺と圭は、本当は血が繋がってる——って言ったら、どう思う?」
散々悩んでやっと言葉にした。
「ふーん、別にどうも思わないけど」とあっさり受け流された。「だってあんたたちって、間違いなくもう本当の親子じゃん」
「本当? そう見える?」
「私はね、人間の信頼関係とかって血じゃないって思ってるから。あんたと私以外はね」とぺろっと舌を出す。「そういう意味じゃ、あんたと圭は、もうちゃんと親子をしてると思うけどね。疑うならあの子に聞いてごらんよ。あなたが思うパパはいったい誰だって」
なんかいろんなことを、全て見透かされているみたいだ。この姉には一生勝てそうもない。
「そりゃあ、父親は俺だって圭が絶対答えるという自信はあるよ」
「だったらもう悩むな。さっ、全部姉ちゃんに話してみ」
そう言って史江は両肘をテーブルについて両掌に顎を乗せ、話を聞くぞというようなポーズで身構えた。圭司にはもう洗いざらい史江に話すしか道は残されていなかった。
「一度だけ紗英ちゃんだったっけ? 私が結婚して住んでたとこに連れてきたことあるよね、確か」
「そうかな。よく覚えてない」
「いや、間違いなく来たね。だって、私は圭に初めて会ったとき、どこかで会ったことがある気がしたんだよね。そっか。そっか。彼女に似てたのか」
史江も感じてたってことだ。誰にも今まで言ったことはないが、実はずっと圭司は思っていたことがあった。あのニューヨークのゴミ箱の隙間で寒さに震える圭が顔を上げた瞬間——
まるで紗英が子供になってそこにいると錯覚しそうだった。その夜、短い夢に怒った紗英が出てきたのはきっとそのせいだ。今にして思えば、紗英が「早く気づいてよ」と言っていた気がするのだ。
「俺じゃなくて、彼女にやっぱり似てるかな」
「まあ、よくよく言われればあんたの面影もないわけじゃないけど、私はあの子は彼女によく似てると思うな」
ステラからは俺たちは似てると言われたが、そうさ、俺は圭は若い頃に別れた彼女——紗英——に似てるとずっと思っていた。だから引き取ろうと決めたわけじゃないが、少なくともそれだけはずっと思っていた。だけど、それは流石にステラには言えなかったのだ。
「で、これからどうすんの?」
「もうこっちにいる時間はないから、アメリカに帰ってから遺伝子検査を何処かに依頼してからにしようかと思ってるんだけど、どうかな」
ステラにはそう言った。だが史江は、
「私はうちの両親には、なんならずっと言わなくてもさっき言ったようにあんたたちはもう親子なんだから何も変わらないと思うよ。でもさ、紗英ちゃんのお母さんはどうだろ」
と、ちょっと天井を見て考え考えしながら話を続けた。
「娘さんを亡くし、連れ合いを亡くして今、何を心の支えにしてるんだろうね」と圭司を見据えた。「まだ不確かだけど……という前置きを添えて、そっと遠くからでも圭の姿を見せてあげてもいいのかなって思ったりもするよ。調べてはっきりしたらまた連絡するからとか言ってさ。だけどもし違ったらかえって残酷かなあ」
そうか、そういう考えもあるのか。その場合、説明をちゃんとしておかないと希望だけ持たせて、やっぱり違いましたじゃ許されない。
「じゃあ、圭を午後から学校を休ませてもらえるかな。午前中にもう一度向こうのお母さんにこれまでのことを話してみて、それでも姿を見ておきたいというなら——」
「そうね、わかった。学校には父親と過ごす最後の日だからって言って、午後からでも休ませて家にいるようにするわ」
そう話した頃、二階でゴソゴソと人が動き出す気配がした。ステラと圭が起きたらしかった。
少し前、ニューヨークの事故の話を聞いて、そんなことを他人事のように呑気に思っていた自分に圭司は激しく怒っていた。紗英がアメリカに行ったのも、全ての発端は自分じゃないか。それなのに俺は——
神経が昂って眠れず空が白々と明ける頃、圭司がそっと階下に降りると史江がもう起きてダイニングテーブルで英語の本を読んでいた。この習慣は若い頃から変わらない。ソファだと寝てしまう、といつも言っていた。
「あら、早いのね」そう言って史江は眼鏡を下にずらし、上目遣いにこちらを見た。「まだ寝とけばいいのに」
「なんか眠れなくてな」
そう言って台所へ行き、コップに水を一杯汲むと一気に飲み干した。そして史江の顔をじっと見た。俺とフーミンは他人から見たらやっぱり似てるんだろうかとそんなことを考えた。
「なあ、姉ちゃん」
ずっと昨日から考えていた。姉にだけは相談した方がいいのか——
「何?」史江が本を閉じた。
「いや、いいや」つい言い淀んでしまう。
「あんたが姉ちゃんって呼ぶときって、絶対なんかすごく困ったときよね。どうせいつかバレるなら、今ここで喋っちゃったら?」
自分はそんなにわかりやすい、隠し事のできない人間なんだろうか。
「俺と圭は、本当は血が繋がってる——って言ったら、どう思う?」
散々悩んでやっと言葉にした。
「ふーん、別にどうも思わないけど」とあっさり受け流された。「だってあんたたちって、間違いなくもう本当の親子じゃん」
「本当? そう見える?」
「私はね、人間の信頼関係とかって血じゃないって思ってるから。あんたと私以外はね」とぺろっと舌を出す。「そういう意味じゃ、あんたと圭は、もうちゃんと親子をしてると思うけどね。疑うならあの子に聞いてごらんよ。あなたが思うパパはいったい誰だって」
なんかいろんなことを、全て見透かされているみたいだ。この姉には一生勝てそうもない。
「そりゃあ、父親は俺だって圭が絶対答えるという自信はあるよ」
「だったらもう悩むな。さっ、全部姉ちゃんに話してみ」
そう言って史江は両肘をテーブルについて両掌に顎を乗せ、話を聞くぞというようなポーズで身構えた。圭司にはもう洗いざらい史江に話すしか道は残されていなかった。
「一度だけ紗英ちゃんだったっけ? 私が結婚して住んでたとこに連れてきたことあるよね、確か」
「そうかな。よく覚えてない」
「いや、間違いなく来たね。だって、私は圭に初めて会ったとき、どこかで会ったことがある気がしたんだよね。そっか。そっか。彼女に似てたのか」
史江も感じてたってことだ。誰にも今まで言ったことはないが、実はずっと圭司は思っていたことがあった。あのニューヨークのゴミ箱の隙間で寒さに震える圭が顔を上げた瞬間——
まるで紗英が子供になってそこにいると錯覚しそうだった。その夜、短い夢に怒った紗英が出てきたのはきっとそのせいだ。今にして思えば、紗英が「早く気づいてよ」と言っていた気がするのだ。
「俺じゃなくて、彼女にやっぱり似てるかな」
「まあ、よくよく言われればあんたの面影もないわけじゃないけど、私はあの子は彼女によく似てると思うな」
ステラからは俺たちは似てると言われたが、そうさ、俺は圭は若い頃に別れた彼女——紗英——に似てるとずっと思っていた。だから引き取ろうと決めたわけじゃないが、少なくともそれだけはずっと思っていた。だけど、それは流石にステラには言えなかったのだ。
「で、これからどうすんの?」
「もうこっちにいる時間はないから、アメリカに帰ってから遺伝子検査を何処かに依頼してからにしようかと思ってるんだけど、どうかな」
ステラにはそう言った。だが史江は、
「私はうちの両親には、なんならずっと言わなくてもさっき言ったようにあんたたちはもう親子なんだから何も変わらないと思うよ。でもさ、紗英ちゃんのお母さんはどうだろ」
と、ちょっと天井を見て考え考えしながら話を続けた。
「娘さんを亡くし、連れ合いを亡くして今、何を心の支えにしてるんだろうね」と圭司を見据えた。「まだ不確かだけど……という前置きを添えて、そっと遠くからでも圭の姿を見せてあげてもいいのかなって思ったりもするよ。調べてはっきりしたらまた連絡するからとか言ってさ。だけどもし違ったらかえって残酷かなあ」
そうか、そういう考えもあるのか。その場合、説明をちゃんとしておかないと希望だけ持たせて、やっぱり違いましたじゃ許されない。
「じゃあ、圭を午後から学校を休ませてもらえるかな。午前中にもう一度向こうのお母さんにこれまでのことを話してみて、それでも姿を見ておきたいというなら——」
「そうね、わかった。学校には父親と過ごす最後の日だからって言って、午後からでも休ませて家にいるようにするわ」
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