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2章 肉食野郎と秘密のお嬢さん
第1話 ビーフステーキの魅力
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10月、秋。雲が少なくなった青い空はすっかりと高くなり、ビジネス街である本町のビルの隙間から見える木々も柔らかく色付いて来た。四つ橋筋にある靱公園のバラ園では、きっと秋のバラが見頃だろう。
「すこやか食堂」は、お昼は11時から15時、夜は17時から21時までの営業である。オーダーストップはそれぞれ1時間前。定休日は日曜日だ。本町はビジネス街なので、軒並み休日になるのである。
ランチタイムは14時まで営業のお店が多いのだが、フレックス出勤で遅めにお昼ごはんを摂られる人もいるので、少し長めにしてあるのだ。
今は夜の時間帯。お仕事帰りと思しきグレイのスーツ姿の若い男性のお客さまは、お冷のグラスをこくりと傾けながらメイン料理のおしながきをじっと見つめて唸っていた。
おしながきは常に日替わりである。お肉を使ったものは竜田揚げやひと口とんかつに豚の生姜焼きなどが定番になっているが、魚介類は旬のものを使うので、毎日作り直している。
副菜になるお惣菜も日替わりなので、こちらも毎日おしながきを作る。ノートパソコンを使って柔らかなデザインフォントで作成し、プリンタで席数分出力するのだ。
「すこやか食堂」は厨房と対面になっているカウンタ席が8席に、ふたり掛けのテーブル席がふたつのこぢんまりとしたお店だ。お昼はともかく夜にお酒を出さないのは、この本町では不利だろうかと最初は思ったが、ごはんをしっかり食べてから飲みに行くという人も多く、ありがたいことにお客さまに恵まれた。
さて、おしながきを凝視する男性客である。初めて見るお客さまだったはずだ。お客さまはおしながきから視線を外すと、厨房で他のお客さまのための定食を整えているみのりに問い掛けた。
「あの、すいません、牛肉使こたもんて、スタミナ炒めとサイコロステーキしか無いんですか?」
「はい。今日はその2品になります」
スタミナ炒めは、牛のスライス肉を玉ねぎとにんにくの芽と一緒に甘辛く炒めたもので、サイコロステーキはサイコロ状の牛肉を焼いて、日替わりのソースを掛けたものだ。少し小さめにカットすることで、女性でも食べやすくなる様にしている。
今日のソースは大根おろしソースである。お醤油とみりんと日本酒を合わせて煮立たせ、大根おろしを混ぜ込んだものだ。お肉がさっぱりといただける。
「すこやか食堂」では基本、お箸のみで食べられるものをご用意しているのだ。
「こう、普通のステーキは無いですか? ナイフとフォークで切って食べるみたいな」
端的に言えば、できる。サイコロステーキ用の牛肉は業者さんから2センチ厚さのステーキ肉を仕入れて、お店でサイコロ状に切っているのだ。なので切る前のものがステーキそのものなのである。
「普通のステーキもできますよ。それでお出ししましょうか?」
みのりが笑顔で言うと、お客さまはぱぁっと顔を輝かせた。
「ほんまですか!? ほな、それでお願いします! おかずは茄子の煮浸しにしよかな。ごはんは白米で大で」
「はい。ステーキにソースはお掛けしてええですか?」
「はい」
みのりは手元の定食を仕上げ、お運びを悠ちゃんにお任せしたら、ステーキを焼くべく鉄のフライパンを出した。
これはお母さんが育てたものを譲り受けたのだ。みのりも大切に使い続けている。すっかりと油が馴染み、黒く光り輝いている。おしながきによってはコーティングされた使いやすいフライパンなども使うが、ステーキは鉄のフライパンで焼きたい。
「すこやか食堂」で仕入れているステーキ肉は、脂身の少ないもも肉である。脂身の美味しさは当然知っているが、ここは健康を意識した食堂なので、赤身肉に軍配があがる。
だが赤身なので少し歯ごたえが強め。なので柔らかくするために塩麹に漬け込み、真空パックにしてある。味付けにもなるので一石二鳥なのだ。
塩麹は無駄にならない様に最小限にしているが、焦げの原因にもなるし、塩分過多になってしまっては大変なので、余分はペーパーで拭ってあげる。いつもはそこでサイコロ状に切るのだが、今はそのまま焼き上げる。
フライパンは鉄製なので、まずはしっかりと温めてやる。そして中火に落とし、菜種油を引く。しっかりとなじませたらステーキ肉を置いた。じゅわ……と食欲をそそる音が立つ。
ステーキを焼くときには、お肉は常温にしておくのが良いとされている。だが飲食店で気を付けなければならないことのひとつに、食中毒がある。ステーキ専門店などなら時間も読めるだろうが、ここではいつご注文があるか分からない。とてもでは無いが生肉を常温で置いておくなんてリスクは取れないのだ。
その間に小鉢にお茄子の煮浸しを手早く盛り付けた。乱切りにしたお茄子を、お出汁と日本酒とみりん、お醤油と鷹の爪とごま油で調味した煮汁でじっくりと煮て、仕上げに香り付けのごま油。しっとりと煮汁を含んだお茄子がとろりとなって、味わい深い一品になっている。
「悠ちゃん、白ごはんの大とお味噌汁お願いできる?」
「はいよ」
ステーキは焼き始めたらあっという間である。火通りは豚肉や鶏肉ほど神経質になることは無い。それでも「すこやか食堂」では中まで火を通し、断面がほんのりピンク色になる様にしている。
焼き上がったステーキを角皿に移し、大根おろしソースを掛け、パセリの素揚げを添える。パセリは彩りの役目もあるが、苦味が苦手だと残されてしまうことも多い。なので素揚げにするのだ。それで苦味が和らぎ、食感もさくっとして食べやすくなるのである。
パセリにはビタミンやミネラルが豊富に含まれている。カルシウムやカリウム、鉄分の含有量はお野菜の中でも抜群だ。香り成分であるアピオールは消化促進の効果もある。ただし毒性があるので大量摂取は禁物。なので「すこやか食堂」でもひと房添えるだけだ。
「はい、ステーキの定食、お待たせしました」
白いごはんの大、お豆腐とわかめのお味噌汁、お茄子の煮浸し、そしてステーキ。それらをお客さまの前に置いて行く。そして普段あまり使わないナイフとフォークも。サイコロステーキなどをもっと小さく切りたいと言うお客さまも時折いるので、数セット用意しているのだ。
「ありがとう! 俺、血の滴るステーキが大好きやねん」
「あらららら、それやったら申し訳ありません、うちはミディアムなんですよ」
みのりは焦る。事前に焼き方を聞いておくべきだった。それだとお客さまのお好みはレアかミディアムレアでは無いか。
「すぐに焼き直しますね」
みのりが言うと、お客さまは「ええ、ええ」と手を振った。
「俺も言わんかったんやし、店の人が美味しいて思う焼き方がいちばんや。たまにはミディアムもええわ」
「あ、ありがとうございます」
みのりは頭を下げた。寛容なお客さまで本当に助けられた。みのりは接客の難しさをあらためて思い知った気がした。
お客さまはさっそくステーキにナイフを入れ、大きめのひと口大にしたそれを口に入れた。
「お、旨い。赤身やねんな。このソースもええわ。あっさり食える。何枚でもいけそうやわ」
「良かった、ありがとうございます」
みのりは心の底からほっとして、にっこりと微笑んだ。
「すこやか食堂」は、お昼は11時から15時、夜は17時から21時までの営業である。オーダーストップはそれぞれ1時間前。定休日は日曜日だ。本町はビジネス街なので、軒並み休日になるのである。
ランチタイムは14時まで営業のお店が多いのだが、フレックス出勤で遅めにお昼ごはんを摂られる人もいるので、少し長めにしてあるのだ。
今は夜の時間帯。お仕事帰りと思しきグレイのスーツ姿の若い男性のお客さまは、お冷のグラスをこくりと傾けながらメイン料理のおしながきをじっと見つめて唸っていた。
おしながきは常に日替わりである。お肉を使ったものは竜田揚げやひと口とんかつに豚の生姜焼きなどが定番になっているが、魚介類は旬のものを使うので、毎日作り直している。
副菜になるお惣菜も日替わりなので、こちらも毎日おしながきを作る。ノートパソコンを使って柔らかなデザインフォントで作成し、プリンタで席数分出力するのだ。
「すこやか食堂」は厨房と対面になっているカウンタ席が8席に、ふたり掛けのテーブル席がふたつのこぢんまりとしたお店だ。お昼はともかく夜にお酒を出さないのは、この本町では不利だろうかと最初は思ったが、ごはんをしっかり食べてから飲みに行くという人も多く、ありがたいことにお客さまに恵まれた。
さて、おしながきを凝視する男性客である。初めて見るお客さまだったはずだ。お客さまはおしながきから視線を外すと、厨房で他のお客さまのための定食を整えているみのりに問い掛けた。
「あの、すいません、牛肉使こたもんて、スタミナ炒めとサイコロステーキしか無いんですか?」
「はい。今日はその2品になります」
スタミナ炒めは、牛のスライス肉を玉ねぎとにんにくの芽と一緒に甘辛く炒めたもので、サイコロステーキはサイコロ状の牛肉を焼いて、日替わりのソースを掛けたものだ。少し小さめにカットすることで、女性でも食べやすくなる様にしている。
今日のソースは大根おろしソースである。お醤油とみりんと日本酒を合わせて煮立たせ、大根おろしを混ぜ込んだものだ。お肉がさっぱりといただける。
「すこやか食堂」では基本、お箸のみで食べられるものをご用意しているのだ。
「こう、普通のステーキは無いですか? ナイフとフォークで切って食べるみたいな」
端的に言えば、できる。サイコロステーキ用の牛肉は業者さんから2センチ厚さのステーキ肉を仕入れて、お店でサイコロ状に切っているのだ。なので切る前のものがステーキそのものなのである。
「普通のステーキもできますよ。それでお出ししましょうか?」
みのりが笑顔で言うと、お客さまはぱぁっと顔を輝かせた。
「ほんまですか!? ほな、それでお願いします! おかずは茄子の煮浸しにしよかな。ごはんは白米で大で」
「はい。ステーキにソースはお掛けしてええですか?」
「はい」
みのりは手元の定食を仕上げ、お運びを悠ちゃんにお任せしたら、ステーキを焼くべく鉄のフライパンを出した。
これはお母さんが育てたものを譲り受けたのだ。みのりも大切に使い続けている。すっかりと油が馴染み、黒く光り輝いている。おしながきによってはコーティングされた使いやすいフライパンなども使うが、ステーキは鉄のフライパンで焼きたい。
「すこやか食堂」で仕入れているステーキ肉は、脂身の少ないもも肉である。脂身の美味しさは当然知っているが、ここは健康を意識した食堂なので、赤身肉に軍配があがる。
だが赤身なので少し歯ごたえが強め。なので柔らかくするために塩麹に漬け込み、真空パックにしてある。味付けにもなるので一石二鳥なのだ。
塩麹は無駄にならない様に最小限にしているが、焦げの原因にもなるし、塩分過多になってしまっては大変なので、余分はペーパーで拭ってあげる。いつもはそこでサイコロ状に切るのだが、今はそのまま焼き上げる。
フライパンは鉄製なので、まずはしっかりと温めてやる。そして中火に落とし、菜種油を引く。しっかりとなじませたらステーキ肉を置いた。じゅわ……と食欲をそそる音が立つ。
ステーキを焼くときには、お肉は常温にしておくのが良いとされている。だが飲食店で気を付けなければならないことのひとつに、食中毒がある。ステーキ専門店などなら時間も読めるだろうが、ここではいつご注文があるか分からない。とてもでは無いが生肉を常温で置いておくなんてリスクは取れないのだ。
その間に小鉢にお茄子の煮浸しを手早く盛り付けた。乱切りにしたお茄子を、お出汁と日本酒とみりん、お醤油と鷹の爪とごま油で調味した煮汁でじっくりと煮て、仕上げに香り付けのごま油。しっとりと煮汁を含んだお茄子がとろりとなって、味わい深い一品になっている。
「悠ちゃん、白ごはんの大とお味噌汁お願いできる?」
「はいよ」
ステーキは焼き始めたらあっという間である。火通りは豚肉や鶏肉ほど神経質になることは無い。それでも「すこやか食堂」では中まで火を通し、断面がほんのりピンク色になる様にしている。
焼き上がったステーキを角皿に移し、大根おろしソースを掛け、パセリの素揚げを添える。パセリは彩りの役目もあるが、苦味が苦手だと残されてしまうことも多い。なので素揚げにするのだ。それで苦味が和らぎ、食感もさくっとして食べやすくなるのである。
パセリにはビタミンやミネラルが豊富に含まれている。カルシウムやカリウム、鉄分の含有量はお野菜の中でも抜群だ。香り成分であるアピオールは消化促進の効果もある。ただし毒性があるので大量摂取は禁物。なので「すこやか食堂」でもひと房添えるだけだ。
「はい、ステーキの定食、お待たせしました」
白いごはんの大、お豆腐とわかめのお味噌汁、お茄子の煮浸し、そしてステーキ。それらをお客さまの前に置いて行く。そして普段あまり使わないナイフとフォークも。サイコロステーキなどをもっと小さく切りたいと言うお客さまも時折いるので、数セット用意しているのだ。
「ありがとう! 俺、血の滴るステーキが大好きやねん」
「あらららら、それやったら申し訳ありません、うちはミディアムなんですよ」
みのりは焦る。事前に焼き方を聞いておくべきだった。それだとお客さまのお好みはレアかミディアムレアでは無いか。
「すぐに焼き直しますね」
みのりが言うと、お客さまは「ええ、ええ」と手を振った。
「俺も言わんかったんやし、店の人が美味しいて思う焼き方がいちばんや。たまにはミディアムもええわ」
「あ、ありがとうございます」
みのりは頭を下げた。寛容なお客さまで本当に助けられた。みのりは接客の難しさをあらためて思い知った気がした。
お客さまはさっそくステーキにナイフを入れ、大きめのひと口大にしたそれを口に入れた。
「お、旨い。赤身やねんな。このソースもええわ。あっさり食える。何枚でもいけそうやわ」
「良かった、ありがとうございます」
みのりは心の底からほっとして、にっこりと微笑んだ。
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