新世界に恋の花咲く〜お惣菜酒房ゆうやけは今日も賑やかに〜

山いい奈

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1章 新世界でお店を開くために

第11話 あらためて、これからも

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 月曜日のお昼になり、由祐ゆう新世界しんせかいのあの店舗の前に立っていた。閉じられているふたつの鍵。今の由祐は、それを開けることができる。

 実は、先日この店舗を内覧し、茨木童子いばらきどうじと別れたあと、不動産仲介業者に電話をし、この店舗を借りることを決めたのだ。ついさっき契約を交わし、鍵を受け取ってきた。

 だが中に茨木童子がいるのなら、急に開けるのは失礼だし驚かせるだろうから、由祐はドアをこんこんとノックする。

 返事は無い。鍵が開く気配も無い。数分待ってみたが何も起こらなかったので、由祐は鍵を使った。解錠して、そっとドアを開ける。真っ暗な空間の中、目が慣れてくると、カウンタの奥では前と同じに茨木童子が座っているのが薄っすらと見えた。

「何や、由祐か」

「はい、こんにちは。電気点けますね」

 由祐はショルダーバッグからスマートフォンを出して懐中電灯モードにし、厨房に回ってブレーカーを上げた。そしてその横にあるスイッチで電気を点ける。ぱっと店内が明るくなった。相変わらず店内は薄汚れているが、もうすぐ手を入れる予定である。

 由祐はサブバッグから携帯用のウェットティッシュを取り出し、カウンタの一部、茨木童子の近くの一帯を丁寧に拭く。そこに荷物を置いて、自分も腰掛けた。

 そうして並んでみると、あらためて大柄なあやかしだなと認識する。座高が由祐より高い。きっと立ち上がったらかなりの身長差があるだろう。腰から下の脚も長そうである。

 由祐もそう小柄な方では無いのだが、この体格のまま人間に化けて外を歩けば、かなり目立つと思う。美形だし。

「茨木童子さん、わたし、ここでお酒を出すお店をやります。せやから、これからもよろしくお願いします」

 由祐は言って、ぴょこんと頭を下げた。茨木童子は「おう」と鷹揚に応える。

「せいぜい励め」

「はい。で、今日はあらためて挨拶させてもらおうと思って、これ、持ってきました」

 由祐が言いながらサブバッグから出したのは、日本酒の4号瓶。包まれている緩衝材を外す。「雪の茅舎ゆきのぼうしゃ」の純米吟醸だ。一昨日深雪みゆきちゃんに試飲させてもらった辛口の日本酒である。

 「雪の茅舎」は秋田県の齋彌さいや酒造店が製造している。辛口だというが甘口好きからも人気が高いらしい。フルーティでくせが少なく、するりと飲めてしまう。なのに価格がお手頃で、とても嬉しい逸品だ。

「お、気が利くや無いか」

 茨木童子の端正な顔がぱっと輝く。本当にお酒が好きなのだなと思わせる、華々しい笑顔。

「今日はおつまみも作ってきました。簡単なもんですけど」

 タッパーは保冷剤を付けて、お弁当箱用の保冷バッグに入れてからサブバッグに入れていた。ナイロン袋に収めていたアルミ製の取り皿と割り箸も出して、タッパーの蓋を開けた。

「もやしと豆苗のごま和えです」

 もやしも豆苗もお値段が上がりにくい、家庭のお助け食材だ。新世界での飲食商売ではあまり高値を付けたく無いので、お店を始めてからも活躍するだろう。

 もやしはひげ根を取ってあるので、見た目も綺麗だ。例えお手軽食材を使ったとしても、下ごしらえなどの手抜きはしたくない。

 そうして処理をしたもやしと豆苗を、クッキングペーパーを敷いた耐熱ボウルに入れ、レンジで加熱。出た水分を拭き取ったら、熱いうちにお砂糖とお醤油と細かく砕いた削り節を加えて混ぜ、粗熱が取れたらすり白ごまをたっぷりとまとわせる。

 シンプルだがほっとする味、家庭の味だ。由祐の家庭は子どものころに失われているし、今も独り身である。でもお母さんは生前には晩ごはんを作ってくれていて、それが由祐のベースになっているのだと思う。

 お母さんの味の記憶は年々薄くなってしまっているが、きっと身体が覚えている。だから由祐はこうしてお料理を続けてこれているのだと思っている。

「お前が店で出したいんは、こういうやつか?」

「そうですね。新世界らしさって言えばどて焼きぐらいしか無いかもですけど、新世界で串かつで勝負するんはむしろ難しいでしょうし、設備も大掛かりになりますし、何よりひとりでやるつもりなんで。あまりやりすぎて手が回らんくなるんも本末転倒ですし。こういう作り置きできるお惣菜と抹茶スイーツと、どて焼きと豚の角煮と、メインになるもんを日替わりで何品かって思ってます」

 由祐は言いながら、サブバッグからハンドタオルで包んだものを取り出す。広げると、出てきたのは大振りな陶器製のぐい呑みがふたつ。由祐が好きな緑色と、茨木童子のイメージの濃い赤色。

「今日は、ぐい呑みを持ってきたんです」

 この店舗で茨木童子にお酒の美味しさを教えてもらった帰り道、由祐は天王寺てんのうじまで歩き、あべのハルカス近鉄百貨店の食器フロアで、この酒器を買ったのだ。由祐にしては奮発したつもりだ。

 動物園前どうぶつえんまえ駅から天王寺駅は1駅。大阪メトロ御堂筋みどうすじ線の上を走る道路を歩けば10分程度の距離である。

 あべのハルカスは今現在、日本で2番目に高いビルである。東京の麻布台あざぶだいヒルズに日本一のお株を奪われたのは2023年のこと。だが駅ビルとして日本一の高さの座は譲っていない。

「赤いのが茨木童子さんの。これで乾杯しましょ。わたし、お友だちに手伝ってもろて、いろんなお酒が飲めるって分かったんです。でも茨木童子さんとは、やっぱり日本酒がええかなって。ごま和えも食べてくださいね」

 由祐は「雪の茅舎」の栓を開け、赤のぐい呑み、そして緑のぐい呑みに注ぐ。お酒が満たされた赤いぐい呑みを、茨木童子は持ち上げた。穏やかな表情で手の中のそれを見る。

「ええ酒器や。色はおれのイメージか」

「はい。勝手に選ばしてもらいました。少しでも気に入ってもらえたら嬉しいです」

「おう。ほな、乾杯しよか」

「はい」

 由祐も緑のぐい呑みを手にし、軽く掲げた。

「あらためて、これからどうぞよろしくお願いします」

「おう」

 ふたりは軽くぐい呑みを重ね合わせ、茨木童子は一息で、由祐はちびりとぐい呑みを傾けた。すっきりとした爽やかな風味がふわりと広がり、全身がほっこりと暖かくなる気がする。

 茨木童子は手酌でおかわりを注ぎ、また一息で飲み干すと、取り皿を使わずに割り箸でタッパーから直接ごま和えを口に入れた。もぐもぐとゆっくりと咀嚼して。

「旨いな。これやったらいけるわ」

 そう言ってもらえ、由祐は確信めいたものを得て、心の中でガッツポーズを作るのだった。
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