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5章 前に進むために
第6話 ひとつのことを乗り越えて
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桑原さんと立花さんと別れ、茨木さんと由祐は「ゆうやけ」に向かって歩いていた。月曜日だが観光客で人通りが多い新世界である。
茨木さんは人間に変化したままなので、遠慮無く話し掛けることができる。
「茨木さん、あの場所の前の経営者が、わたしの父やって分かってはったんや無いですか?」
「何でそう思う」
「桑原さんから聞いたとき、驚いてへんかったから」
茨木さんは一瞬気まずそうな顔になったあと、またいつもの無表情に戻る。
「知っとった。洋祐とお前は同じ血の匂いがしたからな」
「血、の匂い……」
その過激とも言えるワードに、由祐はぽかんとしてしまうが。
「忘れたか? 俺は人間の血ぃ飲んで、鬼であることを自覚したあやかしやぞ。血ぃには縁がある」
「あ……」
そうだった。茨木童子とは、そうして誕生したあやかしだった。
「それやったら、何で言うてくれへんかったんですか?」
「聞かれへんかったから」
茨木さんの応えに、由祐は一瞬唖然としてしまう。すると茨木さんは珍しく弱った様に頭を掻いた。
「いや、それは詭弁やな、済まん。ただな、お前から生まれの話聞いて、何かわけがあるんやろうなて思った。おれが軽々しく介入するんはあかんやろって」
「それは、そうですね」
茨木さんには最初から、由祐が私生児で、父親のことは何も知らないと言っていたから、状況を汲んでくれたのだろう。確かに由祐も言われても、混乱するだけだっただろうから。
今回のことがあるまで、由祐の世界にお父さんはいなかった。だが今は亡くなったと知れたお父さんがいて、腹違いのお兄さんがいる。それをどう受け止めたら良いのか、まだ気持ちの整理はできていないが、それも徐々に落ち着いていくのだと思う。
「それもやけど由祐、お前、こっちに来てええんか?」
「はい。今日は飲みたい気分です。付き合ってください」
茨木さんは意外だと言う様に瞬きをしつつも。
「そりゃあ構わへんけど、やけ酒とかやったら止めとけ、ろくなことにならんぞ」
「そんなんや無いですよ」
由祐は微笑む。そう、今由祐は、晴れ晴れ、とまでは言わないが、良い気分だった。半分とはいえ血の繋がった人がいてくれたことに、不思議と心強さを感じていたのだ。
由祐はきっと、家族との縁が薄い人間なのだと思う。だからこれから、誰かと新しい家族を作ることができるかも分からない。だがそれも由祐の一部である。それなら少ないかも知れないそれを、大事にしたら良いのだ。
「ゆうやけ」に着いて、2ヶ所の鍵を開ける。中に入ると、茨木さんは羽織っていた着物用コートを消し、いつもの最奥の椅子に掛ける。由祐もコートを脱いで、お店の壁のハンガーに掛けた。
厨房に入り、まずは茨木さんのために広口とっくりを出す。
「茨木さん、銘柄は何にします? 今回の報酬の「獺祭」も来てますよ」
「ゆうやけ」のお酒を仕入れるときに、一緒に頼んでおいたのだ。業者さんにはお手間を掛けるが、伝票は別に発行してもらった。これはあくまで由祐の自費である。
「ほな「獺祭」で」
「はい」
由祐はお酒の冷蔵庫から、白いラベルが貼られた黒い瓶を出す。紫色の組紐と濃紺の紙封を外し、栓を外してとっくりに注いだ。それに濃い赤のぐい呑みを添えて、茨木さんに出した。
「はい、どうぞ」
「おう」
「何か、おつまみもあった方がええですよね」
とはいえ今日は休業日。保存性の高い根菜や乾物ぐらいしか無い。そこで由祐は乾燥わかめを出してボウルで水戻しをし、玉ねぎを繊維に沿って薄切りにして、ボウルでしんなりするまで塩揉みをする。
玉ねぎからは水分が出てくるのでしっかりと絞って、戻したわかめと合わせて、うま味調味料とごま油とすり白ごま、一味唐辛子を加えて和えた。玉ねぎとわかめのピリ辛ナムルの完成だ。
取り皿、お箸を合わせて、カウンタに置いた。
「適当につまんでくださいね」
「おう」
さて、由祐はどの銘柄にしようか。そうして考えたうえ、自分の分として用意したのは。
「白州」のロックだった。ロックグラスに氷を入れ、半分ほど「白州」を注ぐ。
由祐はロックグラスをカウンタに置く。すると茨木さんが驚いた様に一瞬目を丸くして、だがすぐに元の無表情に戻った。由祐はカウンタを回って客席に行き、茨木さんの隣に腰を降ろす。
由祐がロックグラスに手を掛けたとき。
「由祐」
茨木さんの落ち着いた声。見ると、茨木さんがぐい呑みを掲げていた。由祐はふっと力を脱いて、ロックグラスをぐい呑みに合わせた。
氷が浮かぶ琥珀。由祐はロックグラスに口を付けて、こくりと口を付けた。それはゆっくりと由祐の喉を通ってお腹に到達して、じんわりと温かさを届けてくれる。
「美味しい、と思います」
由祐がぽつりと言うと、茨木さんは「そうか」と、素っ気ないとも言える声で言った。
ウィスキーが苦手だった。だがお父さんのことを知って、お母さんをあらためて思い出して、やっと今、ウィスキーをほんの少しだけど、美味しいと思える様になったのだ。
お母さんは若くしてこの世を去ったから、もしかしたら由祐の中でわだかまりの様なものがあったのかも知れない。自分だって悲しかったし、辛かった。
それでも今日のことで少しは吹っ切れたのか、意識が変わったのか、何か階段をひとつ登ることができた様な感覚だった。
またひと口、こくりと舐める様に味わう。やっぱり以前より美味しいと感じる。由祐は表情をほころばした。
茨木さんは人間に変化したままなので、遠慮無く話し掛けることができる。
「茨木さん、あの場所の前の経営者が、わたしの父やって分かってはったんや無いですか?」
「何でそう思う」
「桑原さんから聞いたとき、驚いてへんかったから」
茨木さんは一瞬気まずそうな顔になったあと、またいつもの無表情に戻る。
「知っとった。洋祐とお前は同じ血の匂いがしたからな」
「血、の匂い……」
その過激とも言えるワードに、由祐はぽかんとしてしまうが。
「忘れたか? 俺は人間の血ぃ飲んで、鬼であることを自覚したあやかしやぞ。血ぃには縁がある」
「あ……」
そうだった。茨木童子とは、そうして誕生したあやかしだった。
「それやったら、何で言うてくれへんかったんですか?」
「聞かれへんかったから」
茨木さんの応えに、由祐は一瞬唖然としてしまう。すると茨木さんは珍しく弱った様に頭を掻いた。
「いや、それは詭弁やな、済まん。ただな、お前から生まれの話聞いて、何かわけがあるんやろうなて思った。おれが軽々しく介入するんはあかんやろって」
「それは、そうですね」
茨木さんには最初から、由祐が私生児で、父親のことは何も知らないと言っていたから、状況を汲んでくれたのだろう。確かに由祐も言われても、混乱するだけだっただろうから。
今回のことがあるまで、由祐の世界にお父さんはいなかった。だが今は亡くなったと知れたお父さんがいて、腹違いのお兄さんがいる。それをどう受け止めたら良いのか、まだ気持ちの整理はできていないが、それも徐々に落ち着いていくのだと思う。
「それもやけど由祐、お前、こっちに来てええんか?」
「はい。今日は飲みたい気分です。付き合ってください」
茨木さんは意外だと言う様に瞬きをしつつも。
「そりゃあ構わへんけど、やけ酒とかやったら止めとけ、ろくなことにならんぞ」
「そんなんや無いですよ」
由祐は微笑む。そう、今由祐は、晴れ晴れ、とまでは言わないが、良い気分だった。半分とはいえ血の繋がった人がいてくれたことに、不思議と心強さを感じていたのだ。
由祐はきっと、家族との縁が薄い人間なのだと思う。だからこれから、誰かと新しい家族を作ることができるかも分からない。だがそれも由祐の一部である。それなら少ないかも知れないそれを、大事にしたら良いのだ。
「ゆうやけ」に着いて、2ヶ所の鍵を開ける。中に入ると、茨木さんは羽織っていた着物用コートを消し、いつもの最奥の椅子に掛ける。由祐もコートを脱いで、お店の壁のハンガーに掛けた。
厨房に入り、まずは茨木さんのために広口とっくりを出す。
「茨木さん、銘柄は何にします? 今回の報酬の「獺祭」も来てますよ」
「ゆうやけ」のお酒を仕入れるときに、一緒に頼んでおいたのだ。業者さんにはお手間を掛けるが、伝票は別に発行してもらった。これはあくまで由祐の自費である。
「ほな「獺祭」で」
「はい」
由祐はお酒の冷蔵庫から、白いラベルが貼られた黒い瓶を出す。紫色の組紐と濃紺の紙封を外し、栓を外してとっくりに注いだ。それに濃い赤のぐい呑みを添えて、茨木さんに出した。
「はい、どうぞ」
「おう」
「何か、おつまみもあった方がええですよね」
とはいえ今日は休業日。保存性の高い根菜や乾物ぐらいしか無い。そこで由祐は乾燥わかめを出してボウルで水戻しをし、玉ねぎを繊維に沿って薄切りにして、ボウルでしんなりするまで塩揉みをする。
玉ねぎからは水分が出てくるのでしっかりと絞って、戻したわかめと合わせて、うま味調味料とごま油とすり白ごま、一味唐辛子を加えて和えた。玉ねぎとわかめのピリ辛ナムルの完成だ。
取り皿、お箸を合わせて、カウンタに置いた。
「適当につまんでくださいね」
「おう」
さて、由祐はどの銘柄にしようか。そうして考えたうえ、自分の分として用意したのは。
「白州」のロックだった。ロックグラスに氷を入れ、半分ほど「白州」を注ぐ。
由祐はロックグラスをカウンタに置く。すると茨木さんが驚いた様に一瞬目を丸くして、だがすぐに元の無表情に戻った。由祐はカウンタを回って客席に行き、茨木さんの隣に腰を降ろす。
由祐がロックグラスに手を掛けたとき。
「由祐」
茨木さんの落ち着いた声。見ると、茨木さんがぐい呑みを掲げていた。由祐はふっと力を脱いて、ロックグラスをぐい呑みに合わせた。
氷が浮かぶ琥珀。由祐はロックグラスに口を付けて、こくりと口を付けた。それはゆっくりと由祐の喉を通ってお腹に到達して、じんわりと温かさを届けてくれる。
「美味しい、と思います」
由祐がぽつりと言うと、茨木さんは「そうか」と、素っ気ないとも言える声で言った。
ウィスキーが苦手だった。だがお父さんのことを知って、お母さんをあらためて思い出して、やっと今、ウィスキーをほんの少しだけど、美味しいと思える様になったのだ。
お母さんは若くしてこの世を去ったから、もしかしたら由祐の中でわだかまりの様なものがあったのかも知れない。自分だって悲しかったし、辛かった。
それでも今日のことで少しは吹っ切れたのか、意識が変わったのか、何か階段をひとつ登ることができた様な感覚だった。
またひと口、こくりと舐める様に味わう。やっぱり以前より美味しいと感じる。由祐は表情をほころばした。
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