元男装傭兵、完璧な淑女を演じます。――嫁ぎ先はかつての団長でした!?

中野森

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立ち直る心

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 メリンダの胸の中で、どれほど泣き続けていただろう。いつしか涙は枯れ果て、私は彼女に支えられながら、自分の部屋へと戻っていた。

 ベッドに身を投げ出し、締め付けるような胸の痛みに必死に耐える。息を吸うたびに、心の奥が軋むように痛んだ。

「奥様、お水をお持ちしました」
 差し出された水を一口含むと、渇ききった心がほんの少し潤うような気がした。冷たさが喉を落ちていくのを感じながら、私は最後まで飲み干し、大きく息を吐いた。

「お食事はどうされますか?」

「ごめんなさい……今は食べられそうにないわ」

「何か必要なものはありますでしょうか」

 必要なもの――。何もかも忘れて今すぐ眠ってしまいたい。
 けれど、どうしてもキースから言われた言葉が頭の中で繰り返され、心を苛み続ける。

 こんなとき、どうすればいいのだろう。

 ――初めて人を斬った日。眠れずにいた私に、アランが声をかけてくれたことを思い出す。
『そういう時は鍛錬に限る。体が疲れれば勝手に眠れるし、剣を振っている間は余計なことを考えずにすむ』
 そう言って、疲れ果てて眠くなるまで一緒に剣を振ってくれた。

 アランのことを考えたくないのに、彼との思い出がいまの私を支えている。
 その事実が、可笑しくもあり、悲しくもあり、泣き笑いのような心地になる。

 私は一度息を整えてから、小さく呟いた。
「木剣……」

 メリンダが一瞬、戸惑うように目を見開いた。

「無心で剣を振れたら、すべてを忘れられる気がしたの。……ごめんなさい。伯爵夫人が剣を振り回すなんて、外聞が悪いわよね。忘れてちょうだい」

「いえ、奥様。必ずや、用意してまいります!」
 強い決意のこもった声でそう告げると、メリンダは踵を返し、部屋を飛び出していった。

 ほどなくして戻ってきた彼女の手には、木剣があった。
「ルシアン様より、予備の木剣をお借りして参りました」

「ありがとう、メリンダ。ルーにもお礼を言わなくちゃね」

 再び一人きりになり、私は木剣を握りしめて振りはじめた。
 アランとの思い出が蘇り、また涙が溢れそうになる。けれど、剣を振り続けるうちに、だんだんと頭の中が真っ白になっていった。
 汗と涙を混ぜながら木剣を振り続け、やがて疲労に押しつぶされるように眠りへと落ちた。

 ――翌朝。
 一晩ぐっすり眠ったせいか、心は幾分か軽くなっていた。胸の奥の痛みはまだ消えないが、それでも前へ進もうという活力が戻ってきている。

「メリンダ、昨日は取り乱してしまってごめんなさい。もう大丈夫だから」

「それは何よりでございます。私たちは奥様の味方ですから、何でもお申し付けくださいね」

 変わらぬ調子で接してくれるメリンダの言葉が、胸に沁みた。

 朝食を済ませた後、いつものように散歩という名の鍛錬を行った。
 屋敷へ戻ろうとしたところで、メリンダが声をかけてくる。
「大奥様が、離れでお茶会をなさらないかとのことです」

 きっと昨日のことを耳にし、気を遣ってくださっているのだろう。その心遣いが嬉しかった。

「まぁ、それは楽しみね!急いで向かわなくっちゃ」

「……奥様のお御足は素晴らしく、ついていくのが大変でございます。できれば、ゆっくり向かっていただけますと助かります」

 あまりに真剣な表情で言うので、思わず笑みがこぼれる。
「ふふっ。仕方ないわね。メリンダのために、ゆ~っくり向かうことにしましょう」

 離れに着くと、カーラとルシアンがあたたかく出迎えてくれた。

「クラリスちゃん、待ってたわ!おいしい紅茶とお菓子を用意してあるの」

「お義母さま、ありがとうございます!」

「姉上、後で俺の剣、見てくれる?」

「ええ、もちろんよ!」

 紅茶をすすりながら、カーラと談笑する。

「そういえばお義父さまはお出かけなのですか?」

「ええ、朝からアランのところへ行ったわ。まったく、監督不行き届きね。いい、クラリスちゃん。キースのお馬鹿が何を言ったか知らないけど、気にしちゃだめだからね!」

「お義母さま……ありがとうございます。一晩寝たら落ち着きました。もう大丈夫です!」

「それならよかったわ!さぁ、今日はおいしいお菓子をたくさん食べましょうね」

 他愛もない話で場が和んでいたその時、外が騒がしくなった。

「この、姉上をよくも泣かせたな!絶対に許さない!」
 ルシアンが木剣を振り下ろし、キースに迫っていた。

「ルー、だめよ!」
 私は慌てて声をあげる。キースは家同士の関係で側近を務めていると言っていたのだから、それなりの家の出なのだろう。ルシアンにお咎めがあってはいけない。

「でも……!!!」

「そう、もっとやってもいいのではなくて?」

「お義母さまも煽らないでください!」

 私はルシアンの前で屈み込み、目線を合わせる。
「私は大丈夫だから、ね?」

「……姉上がそう言うなら」

 キースに視線を向けると、そこには変わり果てた姿があった。
 顔のあちこちが腫れ上がり、目や口元には大きな青あざ。──端整だった顔が、見る影もない。

「ぶっ……なにその顔! イケメンが見る影もないじゃない!」
 笑ってはだめだと思うのに、こみ上げてくるのを止められず、お腹を抱えて大笑いしてしまった。

 キースは腰を深く折り、頭を下げた。
「クラリス様。この度は大変失礼な発言をいたし、誠に申し訳ございませんでした」

 あまりの態度の変わりように、私は目を瞬かせるしかなかった。

「これは……アランにひどく叱責されまして。許していただけるまで帰ってくるなと」

「ええ……」
 困惑の声が漏れる。

「姉上、これお貸しします!」
 ルシアンが先ほど振っていた木剣を差し出してくる。

「いやいや、それはさすがに……」

「クラリス様、俺にできることは何かないでしょうか!」
 キースが必死に言った。

「まず、その“クラリス様”というのをやめてちょうだい。気持ち悪いわ!」

「き、気も……」
 キースがショックを受けたように顔を歪める。

「そうねぇ……その顔で立ってるだけでもおかしいから、しばらくそこで立っててくださる? ぶぶっ」

「わかりました、クラリス様!」
 ”様”はやめてって言ったのに、やめてくれないようだ。

 その夜。そろそろ寝ようかと身支度をしていたところ、メリンダの声がした。

「奥様、まだ起きておりますか?」

「ええ、起きてるわよ」

 静かに扉が開き、花束を抱えたメリンダが入ってきた。
「旦那様から花が届きました。明日にしようかとも思ったのですが、早くお持ちした方が良いかと思いまして」

「え……旦那様から……? 嬉しいわ!」

「花瓶にうつしますね。……あ、手紙も一緒にありましたので、先にお渡ししておきます」

 受け取った封筒を開き、心臓が少し早鐘を打つ。そこには丁寧な筆致の文字が並んでいた。

 ――
『クラリスへ
 話は聞いた。キースが君に無礼を働いたようで、本当に申し訳ない。直接君に謝りたいが、今取り掛かっている仕事が佳境でどうしても家に帰れず、手紙で失礼する。

 好みがわからなかったが、花を用意した。気に入ってくれると良いのだが。

 あと、キースを向かわせたから煮るなり焼くなり好きにしてくれ。遠慮は無用だ。

 アレクサンダー』
 ――

 読み終えた瞬間、胸がじんわりと熱を帯びた。
 花瓶を抱えて戻ってきたメリンダに、楽しげに告げる。
「キース、煮るなり焼くなりしていいそうよ」

「いいですね、料理長に用意してもらいます」
 メリンダが右手を握りしめながら力強く言った。

「ふふふ、でも食べてもまずそうだし、やめておきましょう」

「何もしないなんて、奥様はお優しすぎますよ」

「アラン様を想っての行動だとわかるもの。それに、彼が私の分まで懲らしめてくれたみたいですし。……まぁ、しばらくは、あの無惨な顔をたっぷり笑ってあげましょうか」
 メリンダと顔を見合わせ、二人して小さく笑い合う。

 アランに想い人がいたことは、正直まだ消化しきれていない。
 だが、アランの妻は紛れもなく私なのだ。
 長い時を過ごす中で、少しずつでも彼を振り向かせられたらいい。
 私の取り柄は負けず嫌いなところだ。勝負は、始まったばかり。

(覚悟しててくださいよ、団長!)

 ふと窓の外に目をやると、夜空に澄んだ月が輝いていた。
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