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第六章 三千世界と須弥山を徹底解明する!
しおりを挟む読者の皆さんは、仏教用語で三千世界とか須弥山とか、聞かれた事は無いだろうか?
日月神示の書物では至るところで出てきます。従いまして、この章では、特別にその三千世界と須弥山について解説したいと思います。
【第五章 三千世界と須弥山を徹底解明する】
三千大千世界は、仏教の世界観における宇宙の単位である。特に大乗仏教においては、一人の仏が教化する世界のことであり、宇宙は無数の三千大千世界から成る。仏教の世界観では、須弥山を中心として日・月・四大州・六欲天・梵天などを含む世界を一世界とし、一世界が1,000個集まったものを小千世界といい、小千世界が1,000個集まったものを中千世界といい、中千世界が1,000個集まったものを大千世界という。大千世界を三千大千世界ともいう。略して三千世界といい、三千界ともいう。小学館の『精選版 日本国語大辞典』は「三界」を三千大千世界の略とするが用例を示していない。
《一世界とは?》
仏教の世界観では、 須弥山を中心としてその周りに四大州があり、さらにその周りに九山八海があるとされる。これを一つの小世界(一世界)という。小世界は、下は風輪から上は色界の初禅天までの領域であり、左右の大きさは鉄囲山の囲む範囲である。
この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。
1つの三千大千世界は1人の仏が教化できる範囲であるともされるため、1つの三千大千世界を1仏国土とも呼ぶ。
我々が住んでいる世界を包括している仏国土の名前は娑婆である。阿弥陀如来が教化している極楽という名前の仏国土は、サハー世界の外側、西の方角にあるため西方極楽浄土と呼ばれる。薬師如来の東方浄瑠璃世界や阿閦如来妙喜世界なども同様にサハー世界の外に存在する。
須弥山は、古代インドの世界観において世界の中心にそびえる想像上の聖なる山です。仏教やヒンドゥー教の宇宙観に登場し、その頂上には神々が住むとされます。
【須弥山を徹底解明する】
須弥山はサンスクリット語の「Sumeru」の音訳で、「妙高山」とも意訳される。大海の中にそびえ立ち、その周囲を九山八海が取り囲む構造をしているとされています。
【須弥山の構造と世界観を徹底解明する】
1. 高さ
須弥山の高さは水底から頂上まで合計16万8千由旬(約117万6千キロメートル)とされ、途方もないスケールで描かれています。
2. 周囲の世界
須弥山の周囲には、鉄囲山と呼ばれる山々が取り囲み、その内側には八つの山と八つの海が交互に存在する。人間の住む世界は、この須弥山の南にある大陸とされています。
3. 居住者
須弥山の頂上には帝釈天が住み、山腹には四天王が位置しています。日月がその周囲を巡るとも言われています。
【須弥山に由来するものを徹底解明する】
須弥壇は寺院の本堂にある仏像を安置する壇は、須弥山を模して作られたため「須弥壇」と呼ばれます。
カイラス山はチベット仏教では、カイラス山が須弥山と同一視され、聖地とされています。
日本庭園は日本庭園の石組では、中央に突出した岩を須弥山に見立てることがあります。
須弥山は、古代インドの世界観の中で中心にそびえる山です。インド神話のメール山、スメール山(su- は「善」を意味する、美称の接頭辞)の漢字音訳語です。
古代インドの世界観の中で中心にそびえる聖なる山であり、この世界軸としての聖山はバラモン教、仏教、ジャイナ教、ヒンドゥー教にも共有されています。この山は、地球の北半球という説もあります。
インドで形成された宗教のうち、とりわけ仏教が中国や日本に、ヒンドゥー教がインドネシアなどに伝播するに伴い、この世界観も伝播しました。ジャワ島にはスメル山という名の山もあり、別名はマハ・メル山(偉大なるメル山を意味する)といいます。仏教が説いた須弥山の概念は、近世以前の東アジアの人々の世界観に大きな影響を与え、頂上にある忉利天と並び、詩や物語の題材となっています。須弥山を主題として扱った日本の文学作品の例としては、『梁塵秘抄』『今昔物語集』『拾遺往生伝』『日本霊異記などが挙げることが出来ます。
仏教の世界観では、須弥山をとりまいて七つの金の山と鉄囲山があり、その間に八つの海がある。これを九山八海という。
「須弥」とは漢字による音訳で、意訳は「妙高」という。
玄奘(注釈1)の頃から須弥山がチベット高原、それを取り巻(四大大陸は南アジア、西アジア、北アジア、東アジアと考えられてきた。なお、須弥山の頂上には帝釈天が住んでおり、その上空には修行を極めた者のみが行ける世界が広がっているとされたため、インドの行者はガンジス川を遡ってチベットを目指したのだ。
(注釈1)
玄奘は西暦602年~664年3月7日迄生存した。彼は、唐代の中国の訳経僧。玄奘は戒名であり、俗名は陳褘諡は大遍覚で尊称は法師や三蔵など。玄奘三蔵と呼ばれ、鳩摩羅什(注釈2)と共に二大訳聖、あるいは真諦と不空金剛を含めて四大訳経家とされる。
(注釈2)
鳩摩羅什は西暦344~413年、一説に西暦350年~409年とも)は、亀茲国現在の中華人民共和国新疆ウイグル自治区クチャ市出身の西域僧、後秦の時代に長安で約300巻の仏典を漢訳し、仏教普及に貢献した訳経僧です。最初の三蔵法師。後に玄奘など、多くの三蔵法師が現れましたが、鳩摩羅什は玄奘と共に二大訳聖と言われています。
ヒンドゥー教の聖典の一つである『ヴィシュヌ・プラーナ』によれば、世界の中心にはジャンブー・ドヴィーパ(ジャンブー洲)と呼ばれる円盤状の大陸があり、その中央にそびえる黄金の山がメール山であるとされる。地表部の高さは84,000ヨージャナ、地表下の深さが16,000ヨージャナあり、頂上部の直径が32,000ヨージャナ、基礎部の直径が16,000ヨージャナと上に行くほど広くなる漏斗形をしている。山の形状については聖典によって異なり、『ヴァーユ・プラーナ』では東面は白色、南面は黄色、南面は黒色、北面は赤色をした四面体であるという。メール山の東西南北には控え壁となる高さ10,000ヨージャナの山があり、それぞれの山頂には高さ1,100ヨージャナの大樹が生えている。
メール山の山頂には差し渡し14,000ヨージャナに及ぶブラフマー神の都城があり、その東西南北、東南、南西、西北、北東の8方向に護世神たちの住む都市が広がっている。
5世紀頃までに成立した『倶舎論』によれば、(論は人師の説なので厳密には仏説とは見なされるが)風輪の上に水輪、その上に金輪がある。また、その最上層をなす金輪の最下面が大地の底に接する際となっており、これを金輪際という。なお、このことが俗に転じて、物事の最初の最後までを表して金輪際と言うようになった。皆さんが宴会などの席で話しのネタにすれば一躍人気者になること請け合いだ。
金輪のうえ、鉄囲山の内縁にたたえた海水に浮かぶ須弥山に向かって、東には半月形の毘提訶洲、あるいは勝身洲)南に三角形の贍部洲(南洲あるいは閻浮提)、西に満月形の牛貨洲(ごけしゅう)、北に方座形の倶盧洲がある。南に位置する贍部洲は我々が住んでいる世界のインド亜大陸を示している。
また、贍部洲と須弥山の間には、外縁から内部の順に、尼民達羅山、象耳山、馬耳山、善見山、檐木山、持軸山、そして持双山が須弥山を囲むように聳えている(九山八海)。
須弥山中腹には日天と月天が回っている。須弥山の高さは八万由旬と言われ中腹には、下から恒憍天、持鬘天、堅手天、そして四大王天がおり、ここを住みかとしながら四洲を守っているという。これらの住みかは四層状になっていて、山の中腹から四周にはみ出たヴェランダ構造になっているとされている。四天王の眷属たちは、他の山々や、太陽や月に植民している。さらにその上の山頂の忉利天には帝釈天と他三十二天が住むという。
須弥山の頂上から80,000ヨージャナ上には、夜摩天とその眷属が住み処とする空中宮殿がある。さらにその天宮の上には、同様の構造を持つ兜率天、化楽天、他化自在天の住み処があるとされる。
須弥山には甘露の雨が降っており、それによって須弥山に住む天たちは空腹を免れる。
カイラス山はチベット仏教で須弥山と同一視され、周囲の山々を菩薩に見立てた天然の曼荼羅とみなし、聖地とする。
日本庭園には須弥に見立て中央に突出する岩を須弥山に例える石組をする。
上記解説中の距離を表している「ヨージャナ」について解説したい。
由旬、サンスクリット名はヨージャナ योजन yojana)は、古代インドにおける長さの単位である。踰繕那とも書く。「くびきにつける」の意で、牛に車をつけて1日引かせる行程のこと。牛にくびきを付けるのが普及したのは、主に牛耕の為なので、一日の田畑の耕しの距離とも考えられる。
古代インドでは度量衡が統一されておらず、厳密に「1ヨージャナは何メートル」とは定義できないが、一般的には約11.3キロメートルから14.5キロメートル前後とされる。また、仏教の由旬はヒンドゥー教のヨージャナの半分とも言われ、仏教の経典のひとつ 阿毘達磨倶舎論(倶舎論)の記述などでは普通1由旬を約7 ~8キロメートルと解釈する。上記のように、仮に牛耕の距離と仮定すると、その距離は大幅に減少して、100m以下の可能性もある。
古くから様々な定義があり、例えば天文学書アールヤバティーヤでは「人間の背丈の8,000倍」となっている。他にも「帝王の行軍の1日分」「 牛の鳴き声が聞こえる最も遠い距離の8倍」などの表現がある。
また、「32,000ハスタ」とする定義もある。ハスタとは本来「手」の意味だが、古代インドでは長さの単位として用いられており、この場合は「肘から中指の先までの長さ」(キュビット)と定義される。以下のように倍量単位が続く。4ハスタが1ダヌ(dhanu「弓」)または1ダンダ(daṇḍa「棒」)、2,000ダヌが1クローシャ(krośa)、2クローシャが1ガヴユーティ(gavyūti)、2ガヴユーティが1ヨージャナ。仮に1ハスタを45センチメートルとした場合、1ヨージャナは14.4キロメートルとなる。
一方、仏教では1拘盧舎(倶盧舎ともいう。クローシャ。500尋と同じともいわれるが1,000弓(ダヌ。4,000ハスタと同じ。倶舎論では500弓)そして4拘盧舎(倶舎論では8倶盧舎)が1由旬とされている。
阿毘達磨倶舎論では、物質的量の最小を「極微」とし、7極微(中心に1極微とその前後左右上下に1極微ずつ)を1微、7微を1金塵、7金塵を1水塵、7水塵を1兎毛塵、7兎毛塵を1羊毛塵、7羊毛塵を1牛毛塵、7牛毛塵を1隙遊塵(隙間から差し込む光の中に浮遊して見える塵ほどの粒子の大きさ)、7隙遊塵を1蟣(シラミの卵ほどの粒子の大きさ)、7蟣を1蝨(シラミほどの粒子の大きさ)、7蝨を1麥(麦)、7麥を1指、7指を1節、24指を1肘、4肘を1弓、500弓を1倶盧舎、8倶盧舎を1由旬としている。
由旬を使ってその大きさが示されているものとしては、須弥山の高さが8万由旬、太陽の直径が51由旬、月の直径が50由旬、大気の層の厚さが160万由旬などがある。ただし、太陽と月は天球上の見かけ上の大きさを示したものであり、実際の大きさは太陽の方が遥かに大きい。
折角の機会なので太陽の大きさについて解説する。
太陽の直径は地球の約109倍。体積では地球の約130万倍、質量では約33万倍に相当する。
太陽の大きさは次の通りである。
太陽の直径は約139万2,000kmである。
これは地球の直径約1万2,714kmと比較すると、約109倍の大きさになる。
太陽の体積と質量はどうであろうか?
太陽の体積は地球の約130万倍、質量は地球の約33万倍である。太陽系全体の質量の99.8%を太陽が占めている。
太陽との大きさの比較について解説します。
地球をビー玉に例えると、太陽は直径1m程度のボールに相当する。NASAの画像では、太陽の内部に地球が109個収まる様子が示されている。
太陽と月との比較について解説します。
地球から見ると太陽と月は同じくらいの大きさに見えますが、これは太陽が月よりも約400倍遠くにあるためだ。実際には太陽は月の約400倍の大きさがある。
月の明るさは太陽の1/60である。
これが「月明かり」というものだ。
宇宙には太陽より大きな星がある。これを恒星という。
宇宙には太陽よりも大きな星が多数存在する。例えば、ベテルギウス、シリウス、ベガ、アンタレスなどが挙げられる。
我々人類はこの大宇宙の銀河系のそのまた、太陽系の中の地球に住んでいるのだ。
なんと神秘的な光景であろうか!
恒星とは、自ら光を発し、その質量がもたらす重力による収縮に反する圧力を内部に持ち支えるガス体の天体の総称である。古典的な定義では、夜空に輝く星のうちその見かけの相対位置の変化の少ないもののことを指すのだ。地球から一番近い恒星は、太陽系唯一の恒星である太陽である。
恒星を更に詳しくご説明します。
恒星ベテルギウスは、オリオン座にある恒星で、全天21の1等星の1つ。おおいぬ座のシリウス、こいぬ座のプロキオンとともに、冬の大三角を形成している。バイエル符号での名称はオリオン座α星である。
恒星ペテルギウスである。
惑星が地球を含む太陽系内の小天体であるのに対し、恒星はそれぞれが太陽に匹敵する、あるいは凌駕する大きさや光度をもっているが、非常に遠方にあるために小さく暗く見えている。太陽近傍の恒星のほとんどに同時に生まれた恒星が存在し連星を形成するが、太陽とペアとなる恒星が見つかっておらず仮説上の連星としてネメシスと名付けられている。
太陽系の太陽である。年齢は46億年である。寿命は50億年である。
我々が住んでいる地球である。
地球の衛星の月である。
銀河系または天の川銀河とは、太陽系を含む銀河の名称である。地球から見えるその帯状の姿は天の川と呼ばれる。
太陽系である。
この機会に中学生にタイムスリップしよう。
自転と公転は、どちらも天体の回転運動ですが、自転は天体自身が軸を中心に回転する運動、公転は天体が別の天体の周りを回る運動という違いがある。地球の場合、自転は1日(約24時間)で1回転し昼夜の変化をもたらし、公転は1年(約365日)で太陽の周りを1回転し季節の変化をもたらす。
自転についてご説明します。
自転は、
地球が地軸(北極と南極を結ぶ仮想の軸)を中心に、西から東へ向かって1日に1回転する運動である。北極側から見ると反時計回りである。
自転の周期と速度についてご説明します。
周期は約24時間で1回転する。
速度は1時間あたり約15度回転する。
自転による現象についてご説明します。
その特徴は昼と夜の繰り返し。
太陽や月、星が東から昇り西へ沈むように見える日周運動。
次は公転についてご説明します。
公転は地球が太陽の周りを1年かけて1周する運動です。太陽を中心に反時計回りに回る。
公転の周期と速度についてご説明します。
周期は約365日(1年)で1回転する。正確には約365.25日のため、4年に一度閏年で調整される。
速度は1ヶ月あたり約30度進む。
公転による現象についてご説明します。
季節の変化。
季節によって見える星座が変わる年周運動。
自転と公転の比較については以下の通りです。
項目 「A」自転 公転「B」
中心 地軸 太陽
周期 1日 1年
「A」方向は北極から見て反時計回り
「B」太陽を中心に反時計回り
主な現象「A」昼夜の繰り返し「B」季節の変化
出口王仁三郎はいう。
「大宇宙は神さま、神さまは大宇宙」
to be continued
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