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第二十章
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ここでは、私の恩師に教えられたことをご紹介します。
『物を識るという事』
この言葉は世界に誇っていい日本語だ。この物を識る、という言葉の意味は『世の中の凡ゆることを経験し透徹し、実体を掴み、何らかの形によって表現するという意味だ。
ということを教えられました。その時この言葉の意味を私なりに考えてみました。ある問題に対して、こうすればこうなるという唯一つの急所を発見することだ。それに引き替え大人気ない議論を振り回して軽率な行動に出たり人から非難され軽蔑されてまた、識者という言葉をテレビのニュース番組でよく視聴するが、この識者という言葉があるが、これは物を識っている人を文化的に言った言葉なのだ、と。今回、私はこの物語を『世にも奇妙な世界・弥勒の世』と題しました。それは皆さんに 日月神示によって教えられている素晴らし世界を見て欲しいと思ったからです。それでは、その世界をご案内します。
《今度の建替が最終最後である!》
とあり、今度の建替が最終最後の大建替となり根本からあらゆる世界に及ぶ事とその後の大建直では、昔に存在したとされる神世以上の想像を絶する光の世界へ移行。そして、その世界が永遠に続くことが書記されている。
《ミロクの世の到来!》
そして、その世界の一端について神示には
「次の世がミロクの世、天も晴れるぞ、地も輝くぞ、天地一(ひとつ)となってマコトの天となりなりマコトの地となりなり、三千世界一度に開く光の御代ぞ楽しけれ、あな爽け、あなすがすがし、あな面白や。」( んめの巻(梅の巻)第十七帖)
《天も地も一つになる!》
「神代になりたら天地近うなるぞ、天も地も一つになるのざぞ、今の人民には分るまいなれど、神も人も一つ、上も下も一つとなって自ら区別出来て一列一平上下出来るのぢゃ。」(同巻第十六帖)
この奇妙な世界は、一つ目は『神代』であるという世界。
二つ目は『天地が近くなり、天も地も一つになった世界。
三つ目は、神も人も一つ、上も下も一つ、一列一平上下の世界。
この三つのことから考えてみました。それは『世界が一列一平になる』ことであると。 日月神示に記述されている『世界が一列一平なる』ということを教えてみましょう。
もしもこれを『一人の救世主や一つの権力者によって世界が支配されることを意味する』と解するならば、意味を取り違えています。何故、そのように思うのか?日月神示の教えでは、そのような救世主や権力者を完全に否定しているからです。
その救世主が皇族の誰かであらうと裏の支配者の誰かであらうと関係ない。
それ以前に解釈の構造を取り違へている。
日月神示(水の巻 第十一帖)
『神の一厘のしくみわかりたら世界一列一平になるぞ。』
一厘の仕組が判ったら世界が一列一平になる。
世界が一列一平とならない限り一厘の仕組は判らない!
つまり、世界一列一平とは
一人の支配者によって治められる世界ではなく、
一つの権力者やその組織によって支配される世界でもなく、
私一人ひとりが一厘の仕組のことを理解する、判ることによって
その一人ひとりにとっての世界が一列一平になることを意味するのであると。
それでは、一厘の仕組とはどのようなことなのか、ご説明しましょう。
日月神示(下つ巻 第二十一帖)
『神の最後の仕組と申すのは〇に ゝ(チョン)を入れることぞ。
〇も五ぞ ゝ(チョン)も五ぞ、どちらも、このままでは立ちて行かんのぞ。
一厘の仕組とは〇に神の国の ゝ(ちょん)を入れることぞ、
よく心にたたみておいて呉れよ。』
つまり一人ひとりが「ゝ(チョン)を看取する事によって神の仕組みは成就する。
そうして「ゝ(チョン)」における「世界一列一平」とは、縦に一列、万象一切不二(注釈1)なる唯一の根源に基づくがゆえに一列。
横に一平とは、
顕現(注釈2)としての一つの位相(例へばこの地上である物質界)においては無差別であるがゆえに一平となる。
(注釈1)
「不ニ」とは、仏教用語で対立する事柄も絶対的な視点から見れば対立がなく、一つのものであると説かれます。例えば、善と悪、美と醜、浄と不浄といった相反するものが一つとなる世界を意味します。
(注釈2)
神道では、神が依り代(鏡、剣、樹木など)に宿ることで、その存在が顕現すると考えられています。神や霊的な存在がこの世に姿を現すことを指す場合もあります。
罪の裁き主である国常立尊のことである。
上記の意味については、次の章で詳しくご説明します。
『物を識るという事』
この言葉は世界に誇っていい日本語だ。この物を識る、という言葉の意味は『世の中の凡ゆることを経験し透徹し、実体を掴み、何らかの形によって表現するという意味だ。
ということを教えられました。その時この言葉の意味を私なりに考えてみました。ある問題に対して、こうすればこうなるという唯一つの急所を発見することだ。それに引き替え大人気ない議論を振り回して軽率な行動に出たり人から非難され軽蔑されてまた、識者という言葉をテレビのニュース番組でよく視聴するが、この識者という言葉があるが、これは物を識っている人を文化的に言った言葉なのだ、と。今回、私はこの物語を『世にも奇妙な世界・弥勒の世』と題しました。それは皆さんに 日月神示によって教えられている素晴らし世界を見て欲しいと思ったからです。それでは、その世界をご案内します。
《今度の建替が最終最後である!》
とあり、今度の建替が最終最後の大建替となり根本からあらゆる世界に及ぶ事とその後の大建直では、昔に存在したとされる神世以上の想像を絶する光の世界へ移行。そして、その世界が永遠に続くことが書記されている。
《ミロクの世の到来!》
そして、その世界の一端について神示には
「次の世がミロクの世、天も晴れるぞ、地も輝くぞ、天地一(ひとつ)となってマコトの天となりなりマコトの地となりなり、三千世界一度に開く光の御代ぞ楽しけれ、あな爽け、あなすがすがし、あな面白や。」( んめの巻(梅の巻)第十七帖)
《天も地も一つになる!》
「神代になりたら天地近うなるぞ、天も地も一つになるのざぞ、今の人民には分るまいなれど、神も人も一つ、上も下も一つとなって自ら区別出来て一列一平上下出来るのぢゃ。」(同巻第十六帖)
この奇妙な世界は、一つ目は『神代』であるという世界。
二つ目は『天地が近くなり、天も地も一つになった世界。
三つ目は、神も人も一つ、上も下も一つ、一列一平上下の世界。
この三つのことから考えてみました。それは『世界が一列一平になる』ことであると。 日月神示に記述されている『世界が一列一平なる』ということを教えてみましょう。
もしもこれを『一人の救世主や一つの権力者によって世界が支配されることを意味する』と解するならば、意味を取り違えています。何故、そのように思うのか?日月神示の教えでは、そのような救世主や権力者を完全に否定しているからです。
その救世主が皇族の誰かであらうと裏の支配者の誰かであらうと関係ない。
それ以前に解釈の構造を取り違へている。
日月神示(水の巻 第十一帖)
『神の一厘のしくみわかりたら世界一列一平になるぞ。』
一厘の仕組が判ったら世界が一列一平になる。
世界が一列一平とならない限り一厘の仕組は判らない!
つまり、世界一列一平とは
一人の支配者によって治められる世界ではなく、
一つの権力者やその組織によって支配される世界でもなく、
私一人ひとりが一厘の仕組のことを理解する、判ることによって
その一人ひとりにとっての世界が一列一平になることを意味するのであると。
それでは、一厘の仕組とはどのようなことなのか、ご説明しましょう。
日月神示(下つ巻 第二十一帖)
『神の最後の仕組と申すのは〇に ゝ(チョン)を入れることぞ。
〇も五ぞ ゝ(チョン)も五ぞ、どちらも、このままでは立ちて行かんのぞ。
一厘の仕組とは〇に神の国の ゝ(ちょん)を入れることぞ、
よく心にたたみておいて呉れよ。』
つまり一人ひとりが「ゝ(チョン)を看取する事によって神の仕組みは成就する。
そうして「ゝ(チョン)」における「世界一列一平」とは、縦に一列、万象一切不二(注釈1)なる唯一の根源に基づくがゆえに一列。
横に一平とは、
顕現(注釈2)としての一つの位相(例へばこの地上である物質界)においては無差別であるがゆえに一平となる。
(注釈1)
「不ニ」とは、仏教用語で対立する事柄も絶対的な視点から見れば対立がなく、一つのものであると説かれます。例えば、善と悪、美と醜、浄と不浄といった相反するものが一つとなる世界を意味します。
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罪の裁き主である国常立尊のことである。
上記の意味については、次の章で詳しくご説明します。
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日月神示はその登場以来、関係者や一部専門家を除きほとんど知られていなかったが、1990年代の初め頃より神典研究家で翻訳家の中矢伸一の著作などにより広く一般にも知られるようになってきたと言われています。
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