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第二十七章
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この章では、岡田茂吉の御神書(医学の革命)について、これは、皆さまにお伝えしたい方が良いという項目について、ご紹介します。
病貧争絶無の世界
病貧争絶無の世界などとと言えば、それは理想であって、到底実現し得らるるものではないと世人は謂うに決まっている。然るに、我が運動はその可能を確信して憚らないのである。然らば、病貧争を絶無ならしむる、その根本は何であるかと謂えば、それは何といっても病気の絶滅である。先ず、人が病気に罹るとする、その為の費用と職務に就けない損失と、二重の負担は、病気が長引けば長引く程、弥が上でも累んで、大抵の財産は失くなってしまう。
長年汗で貯めた貯金も費い尽くし、親戚知人からは借りる丈は借り尽くし、去年まではいとも饒かに、平和に、楽しく暮らしていた家庭も、今は見る影もない。どん底に陥って終って、貧と病苦に喘いでいるという実例は世間余りにも少なくないのである。しかも一人の重病者が出来た場合、その本人のみかは、その家族全体が無限責任を負わさろている。親戚知人は固より、時に依っては勤め先までさえに、大なり小なりの痛手を被らせるのである。故に、病人一人が苦しむばかりでなく、四人も五人もの家族から外部の者にまで、打撃を与えるという結果は恐ろしい事である。死ぬ程の病人が、二、三人も続いたとしたら、先ず万以上の財産家と雖も、裏長屋へ引っ込むの止むを得ない境遇になるのは、数多くの実例が示している。人々が貯蓄をするのに、二つの目的がある。一つは財産を造ろうとするものと、一つは病気の場合の治療費に充てる為とである。前者は積極的で、後者は消極的であるが、この消極的貯蓄の方が断然多いことは誰でも知っている。故に貧乏の最大原因は病気であると断定しても否定は出来まい。次いで争いであるが、国と言わず、人と言わず、その最大原因は経済上からであることも、また、悉知の事柄である。故に、病貧争を絶無ならしむるとしなら先ず、根源である病気から解決付けてゆくのが本当の順序だ。病気のない人間、これが先決問題である。如何なる救いと雖も、それより他にありよう筈がない。而してこれを実現する力こそ、観音力を措いて外に絶対にないのである。故に、こんな素晴らしい事業は、釈迦、キリストと雖も夢想だもしなかった事であって、これを信じ得る人こそは、未だかってない幸福者であると言えよう。
観音力とは何ぞや
昔から妙智力又は観音力というが、勿論妙智力は観音力に包含されるものである。世に阿弥陀力とか、釈迦力、達磨力等という言葉はなく、ただ観世音菩薩だけがその力を唱えたということは不思議である共に、何らかの理由がなくてはならない筈である。これについて文献もなければ言い伝え如きものもない。
観世音菩薩(黄金)
私は以前からこのことについて疑問を抱いていたが、信仰が進むにつれて実にはっきり分かる事になったのでそれをら解説しよう。
それについては、いまひとつの疑問がある。これはよく聞かれるのであるが、観世音菩薩は男性であられるか、女性であられるかと言うことであるが、この事はまた観音力と密接不離の関係があって、実をいうと世尊は男であり女であり、いわば両性を備え給うておらるるのである。そうして男女は男は陽であり、女は陰であり、これも昔から誰も知っているが、これを火と水に分ければ男は火で女は水であり、火は経に燃え水は緯に流れる。この経緯が今までは本当に結張っていなかった。それが今度いよいよ結ばるという時が来たのである。という事は、私の常に唱える。夜の世界が昼の世界に転換することで、すなわち経緯十字形に結ぶことになったのである。又光とは火と水の密合であって、火素の量が多量であるほど光は火度を増すのである。この理によって昼の世界は火素の量が増えるから、光が強くなるのである。観音音菩薩の御働きが光明如来と現ぜらる所以である。次に最も重要なる点は、経緯を結合することによって真の力が発生する。力という字は経の棒と緯の棒とも結んで曲りその先端が撥ねる。これは結ぶことによって左進右退回転力が発生するという意味で、全く文字になるものの意義思わしむるのである。以上のごとく観世音菩薩に限り、経緯両性具備されるのは、経緯の結合によって力を生ずるのであるから、特に観音力という言葉が唱えらるる所以である。
序でに、今ひとつの重要事を書いてみよう。光明如来とならせ給うたその御働きの次は、弥勒の御活動をなされるのである。前述の如く、火は火と水であるが、これに土が加わることにより、火水土の御働きとなる。元来火と水だけでは霊の御働き丈で体がないが、これに土が加わって初めて火水土の三位一体の力を発揮されるのであって、これが如意宝珠あり、麻邇の玉である。又、火は五であり、水は六であり、土は七であるから五六七という数字をミロクと読むのである。彼の釈尊の予言にある、五十六億七千万年後常楽世界ともいうべき五六七の世が始まるということは、この五六七即ち火水土の順序正しき世界が出現するという事でなくて何であろう。如何に釈尊が大予言者と雖も実際の五十六億七千万年後というが如き天文学的数字の未来を予言し給う筈がない。それは何らの意味をもなさないからである。先ず予言の価値としては精々数千年位が実際に即する訳である。キリストの二千年後の予言等は最も適切な年数であろう。
観世音菩薩の五六七は応身弥勒の事で、応身弥勒である事は仏説の通りであるが、今後この応身弥勒の千変万化の御働きこそ、吾等刮目して見るべきものがあろう。そうして五六七の数も三六九の数も合計すれば十八である。十は結びであり、八は開ける数である。観世音菩薩の御本体は一寸八分の黄金と昔から定まっており、御堂は十八間四面という事なども、意義深きを思わしむるものがある。
日月神示の教えにも岡田茂吉のことは、記載されている。
つまり、私たち人間の身魂を浄霊により浄め、病気を治し、神の真理を伝える、という表記である。
岡田茂吉の浄霊法
病貧争絶無の世界
病貧争絶無の世界などとと言えば、それは理想であって、到底実現し得らるるものではないと世人は謂うに決まっている。然るに、我が運動はその可能を確信して憚らないのである。然らば、病貧争を絶無ならしむる、その根本は何であるかと謂えば、それは何といっても病気の絶滅である。先ず、人が病気に罹るとする、その為の費用と職務に就けない損失と、二重の負担は、病気が長引けば長引く程、弥が上でも累んで、大抵の財産は失くなってしまう。
長年汗で貯めた貯金も費い尽くし、親戚知人からは借りる丈は借り尽くし、去年まではいとも饒かに、平和に、楽しく暮らしていた家庭も、今は見る影もない。どん底に陥って終って、貧と病苦に喘いでいるという実例は世間余りにも少なくないのである。しかも一人の重病者が出来た場合、その本人のみかは、その家族全体が無限責任を負わさろている。親戚知人は固より、時に依っては勤め先までさえに、大なり小なりの痛手を被らせるのである。故に、病人一人が苦しむばかりでなく、四人も五人もの家族から外部の者にまで、打撃を与えるという結果は恐ろしい事である。死ぬ程の病人が、二、三人も続いたとしたら、先ず万以上の財産家と雖も、裏長屋へ引っ込むの止むを得ない境遇になるのは、数多くの実例が示している。人々が貯蓄をするのに、二つの目的がある。一つは財産を造ろうとするものと、一つは病気の場合の治療費に充てる為とである。前者は積極的で、後者は消極的であるが、この消極的貯蓄の方が断然多いことは誰でも知っている。故に貧乏の最大原因は病気であると断定しても否定は出来まい。次いで争いであるが、国と言わず、人と言わず、その最大原因は経済上からであることも、また、悉知の事柄である。故に、病貧争を絶無ならしむるとしなら先ず、根源である病気から解決付けてゆくのが本当の順序だ。病気のない人間、これが先決問題である。如何なる救いと雖も、それより他にありよう筈がない。而してこれを実現する力こそ、観音力を措いて外に絶対にないのである。故に、こんな素晴らしい事業は、釈迦、キリストと雖も夢想だもしなかった事であって、これを信じ得る人こそは、未だかってない幸福者であると言えよう。
観音力とは何ぞや
昔から妙智力又は観音力というが、勿論妙智力は観音力に包含されるものである。世に阿弥陀力とか、釈迦力、達磨力等という言葉はなく、ただ観世音菩薩だけがその力を唱えたということは不思議である共に、何らかの理由がなくてはならない筈である。これについて文献もなければ言い伝え如きものもない。
観世音菩薩(黄金)
私は以前からこのことについて疑問を抱いていたが、信仰が進むにつれて実にはっきり分かる事になったのでそれをら解説しよう。
それについては、いまひとつの疑問がある。これはよく聞かれるのであるが、観世音菩薩は男性であられるか、女性であられるかと言うことであるが、この事はまた観音力と密接不離の関係があって、実をいうと世尊は男であり女であり、いわば両性を備え給うておらるるのである。そうして男女は男は陽であり、女は陰であり、これも昔から誰も知っているが、これを火と水に分ければ男は火で女は水であり、火は経に燃え水は緯に流れる。この経緯が今までは本当に結張っていなかった。それが今度いよいよ結ばるという時が来たのである。という事は、私の常に唱える。夜の世界が昼の世界に転換することで、すなわち経緯十字形に結ぶことになったのである。又光とは火と水の密合であって、火素の量が多量であるほど光は火度を増すのである。この理によって昼の世界は火素の量が増えるから、光が強くなるのである。観音音菩薩の御働きが光明如来と現ぜらる所以である。次に最も重要なる点は、経緯を結合することによって真の力が発生する。力という字は経の棒と緯の棒とも結んで曲りその先端が撥ねる。これは結ぶことによって左進右退回転力が発生するという意味で、全く文字になるものの意義思わしむるのである。以上のごとく観世音菩薩に限り、経緯両性具備されるのは、経緯の結合によって力を生ずるのであるから、特に観音力という言葉が唱えらるる所以である。
序でに、今ひとつの重要事を書いてみよう。光明如来とならせ給うたその御働きの次は、弥勒の御活動をなされるのである。前述の如く、火は火と水であるが、これに土が加わることにより、火水土の御働きとなる。元来火と水だけでは霊の御働き丈で体がないが、これに土が加わって初めて火水土の三位一体の力を発揮されるのであって、これが如意宝珠あり、麻邇の玉である。又、火は五であり、水は六であり、土は七であるから五六七という数字をミロクと読むのである。彼の釈尊の予言にある、五十六億七千万年後常楽世界ともいうべき五六七の世が始まるということは、この五六七即ち火水土の順序正しき世界が出現するという事でなくて何であろう。如何に釈尊が大予言者と雖も実際の五十六億七千万年後というが如き天文学的数字の未来を予言し給う筈がない。それは何らの意味をもなさないからである。先ず予言の価値としては精々数千年位が実際に即する訳である。キリストの二千年後の予言等は最も適切な年数であろう。
観世音菩薩の五六七は応身弥勒の事で、応身弥勒である事は仏説の通りであるが、今後この応身弥勒の千変万化の御働きこそ、吾等刮目して見るべきものがあろう。そうして五六七の数も三六九の数も合計すれば十八である。十は結びであり、八は開ける数である。観世音菩薩の御本体は一寸八分の黄金と昔から定まっており、御堂は十八間四面という事なども、意義深きを思わしむるものがある。
日月神示の教えにも岡田茂吉のことは、記載されている。
つまり、私たち人間の身魂を浄霊により浄め、病気を治し、神の真理を伝える、という表記である。
岡田茂吉の浄霊法
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私はこの日月神示(ひつきしんじ)に出会い、研究し始めてもう25年になります。
日月神示が降ろされた場所は麻賀多神社(まかたじんじゃ)です。日月神示の最初の第一帖と第二帖は第二次世界大戦中の昭和19年6月10日に、この神社の社務所で岡本天明が神憑りに合い自動書記さされたのです。
殆どが漢数字、独特の記号、若干のかな文字が混じった文体で構成され、抽象的な絵のみで書記されている「巻」もあります。
本巻38巻と補巻1巻の計39巻が既に発表されているが、他にも、神霊より発表を禁じられている「巻」が13巻あり、天明はこの未発表のものについて昭和36年に「或る時期が来れば発表を許されるものか、許されないのか、現在の所では不明であります」と語っています。
日月神示は、その難解さから、書記した天明自身も当初は、ほとんど読むことが出来なかったが、仲間の神典研究家や霊能者達の協力などで少しずつ解読が進み、天明亡き後も妻である岡本三典(1917年〈大正6年〉11月9日 ~2009年〈平成21年〉6月23日)の努力により、現在では一部を除きかなりの部分が解読されたと言われているます。しかし、一方では神示の中に「この筆示は8通りに読めるのであるぞ」と書かれていることもあり、解読法の一つに成功したという認識が関係者の間では一般的です。
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なお、原文を解読して漢字仮名交じり文に書き直されたものは、特に「ひふみ神示」または「一二三神示」と呼ばれています。
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日月神示はその登場以来、関係者や一部専門家を除きほとんど知られていなかったが、1990年代の初め頃より神典研究家で翻訳家の中矢伸一の著作などにより広く一般にも知られるようになってきたと言われています。
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