24 / 33
第二十四巻
しおりを挟む私は日本に生まれて本当に良かったと思う。太古の昔、日本列島には縄文人がいた。縄文人に関する専門図書によると温厚で、愛情豊かで、お互いの人格を尊重し合った民族であった。彼らは大自然を崇め、大宇宙に神が宿ると信じていた。縄文祝詞の始まりである。
縄文人を単純な狩猟採集民として捉えるのは間違いで、彼らは高度な技術を持ち、複雑な精神文化を育み、物流ネットワークを構築していた。
彼等は狩猟・採集・漁労・栽培を主な生業とし、さまざまな動植物を利用し、土器や石器を使い、日本列島に本格的な定住生活を始めた。
何よりも子供から大人まで、男も女も日常生活の役割を決めて分担して、生活に役に立つ物を作った。古墳などから出土した矢尻を見てみると、武器に使ったのではないことが一目瞭然で分かる。彼らは魚などを獲るためにだけ使っていた。争うことを嫌い、平和を愛した。そうして、時は経過して、神武天皇の時代である。神󠄀武天皇は庚午年1月1日~神武天皇76年3月11日まで生存した。日本の初代天皇であり、在位は神武天皇元年1月1日 ~神武天皇76年3月11日とされる。一般的には、日本神話(『古事記』・『日本書紀』(記紀))の伝説上の人物とされることが多い。
筑紫日向に生まれ彦火火出見という。『日本書紀』記載の名称は神日本磐余彦天皇という。
天照大御神の五世孫であり、高御産巣日神の五世の外孫と『古事記』『日本書紀』に記述されている。奈良盆地一帯の指導者長髄彦らを滅ぼして一帯を征服(神武東征)。奠都した畝傍橿原宮(現在の奈良県橿原市)にて即位して日本国を建国したと言われる。
天孫(天照大御神の孫。皇孫(高皇産霊尊の外孫)ともいう)・瓊瓊杵尊の曽孫。彦波瀲武鸕鶿草葺不合命と玉依姫の第四子。『日本書紀』神代第十一段の第三の一書では第三子とし、第四の一書は第二子とする。兄に彦五瀬命、稲飯命、三毛入野命がいる。稲飯命は新羅王の祖ともされる。
『日本書紀』によると庚午年(『本朝皇胤紹運録』によると1月1日庚辰の日)に筑紫の日向で誕生。15歳で立太子。吾平津媛を妃とし、手研耳命を得た。45歳時に兄や子を集め東征を開始。日向から宇佐、安芸国、吉備国、難波国、河内国、紀伊国を経て数々の苦難を乗り越え中洲(大和国)を征し、畝傍山の東南橿原の地に都を開いた。そして事代主神(大物主神)の娘の媛蹈鞴五十鈴媛命を正妃とし、翌年に即位して初代天皇となる。『日本書紀』に基づく明治時代の計算によると即位日は西暦紀元前660年2月11日。皇后・媛蹈鞴五十鈴媛命との間には神八井耳命、神渟名川耳尊、後の綏靖天皇)を儲ける。神武天皇76年に崩御した。
景行天皇の時代に入ると九州の熊襲と東国の蝦夷の存在が大和朝廷を脅かす。そこで景行天皇は日本武尊に九州の熊襲討伐を命じた。日本武尊が16歳の時である。僅かな手勢を引き連れて行った。父親の景行天皇は日本武尊の武勇が怖かった。なんとか、息子を殺さねばと考えたのだ。そうしないと自分の身が危ないと考えた。日本武尊は見事に熊襲を征伐し、次に蝦夷征伐も果たした。しかし、滋賀県の伊吹山で父親の放った刺客に襲われ、生き絶えた。この話しは表には出てこない。闇に葬られた。他の伝説だけが残っている。
この日本武尊は景行天皇12年 ~景行天皇41年まで生存していたとされる。記紀などに伝わる古代日本の皇族(王族)である。
『日本書紀』では主に「日本武尊、『古事記』では主に「倭建命」と表記される。現在では、漢字表記の場合に一般には「日本武尊」の用字が通用されている。
第12代景行天皇の皇子で、第14代仲哀天皇の父にあたる。熊襲征討・東国征討を行ったとされる日本古代史上の伝説的英雄である。
次なる人物は三韓征伐を実行した、仲哀天皇の后で応神天皇の母である神功皇后である。仲哀天皇の没後新羅に出兵し、朝鮮半島の広い地域(三韓)を服属下においたとする日本における伝承である。神のお告げであったという逸話がある。
次は白村江の戦いである。この戦いは、天智2年8月(663年10月)に朝鮮半島の白村江(現在の錦江河口付近)で行われた百済復興を目指す日本・百済遺民の連合軍と唐・新羅連合軍との間の戦争のことである。
この戦いに日本と百済遣民は大敗をきした。
次に壬申の乱《じんしんのらん》である。天武天皇元年6月24日~7月23日に起こった古代日本最大の内乱である。
場所は美濃国、近江国、伊勢国、伊賀国、大倭国であった。
大海人皇子軍の勝利し近江朝廷の滅亡した。
当時を振り返ると大海人皇子軍と近江朝廷軍と言われる大友皇子率いる軍勢との戦いであった。両軍合わせて6万人とも8万人とも言われている。この戦さて大友軍は大敗した。
次の戦いは応仁の乱である。この戦いは、室町時代中期の応仁元年(1467年)に発生し、文明9年(1477年)までの約11年に及んで継続した日本の内乱。発生時の元号から一般に「応仁の乱」と呼ばれるが、戦が続いたことにより、応仁は僅か3年で文明へと改元されたため、応仁・文明の乱と称されることもある。
室町幕府管領家の畠山氏と斯波氏それぞれの家督争いに端を発し、8代将軍足利義政以降、足利将軍家の後継者問題も絡んで幕政の中心であった細川勝元と山名宗全の二大有力守護大名による権力闘争が激化し、幕府勢力が、細川氏率いる東軍と山名氏率いる西軍に分かれ、幕府の主導権をめぐって争った。さらに各々の領国にも争いが拡散し、11年にわたる大乱となった。最終的には西軍が解体されたことで終息したが、主要な戦場となった京都全域は壊滅的な被害を受けて荒廃した。
明応2年(1493年)の明応の政変とともに、室町幕府の権威が失墜して日本が戦国時代へ移行した原因とされる。
戦国時代にはいると小田原の北条早雲、美濃の斉藤道三、尾張の織田信長、今川義元、徳川家康、明智光秀、羽柴秀吉の時代へ突入した。
天正十年六月二日、京都の本能寺に於いて、天下統一を目前にした織田信長、家臣明智光秀に討たれ、命を落としたとの知らせを秀吉が受けたのは、中国地方の備中高松にいた時であった。秀吉は、信長の死を知るや否や、約一万の軍勢力を引き連れ、近畿地方へ取って返したのであった。六月十三日、山﨑の合戦において、光秀を倒し、主君信長の仇を討つことに成功したのであった。
一方、家康は僅かな供だけを連れて、近畿地方の堺にいたのである。
信長が本能寺で討たれたとき、家康は堺見物の最中であったのだ。
信長死後の混乱の中で家康は命からがら領国の三河へ脱出しなければならなかったのである。
六月十四日、三河に帰った家康は直ちに軍勢を集め、光秀を討つべく出陣したのであった。
しかし尾張の鳴海まで進軍したとき、すでに秀吉が光秀を倒したことを知らされたのであった。家康は仕方なく三河に引き上げる他はなかったのである。
家康は秀吉に出遅れたのであった。
秀吉と家康、この時点で信長亡き後の天下の行方をめぐって、秀吉は家康より遥かに有利になったのである。
秀吉は信長の家臣であった柴田勝家を討ち破り、覇権を確立して信長の所領のほとんどを受け継ぐ大勢力を築き上げたのである。
かつての武田信玄の領国、信濃と甲斐を攻略して、すでに滅亡していた武田家の家臣を大量に召し抱えていたのである。
天正十一年九月。秀吉は大阪に巨大な城🏯を築き始めたのである。
この大阪城🏯築城は秀吉こそが、亡き信長の跡を継ぐ天下人(てんかびと)であるという意志を暗黙のうちに天下に示す行為であったのだ。
しかし、秀吉に強い反感をもつ人物がいたのである。
その人物こそ、信長の息子、織田信雄(のぶかつ)である。
〈信雄〉
「我は父信長の実子である。秀吉如き百姓上がりの草履🩴取り如きに天下を渡してなるものか‼️」
「殿、さすれば如何?なさいます。」
「おぅ、そうじゃ。三河殿に秀吉討伐の軍を出していただこう。誰か、筆🖌️ど紙を持てぇ。」
「ははあ、ただいまぁ。」
ひとりの家臣が信雄に筆と紙と硯箱を手渡した。
信雄はすぐに書状をしたためたのたのである。
『三河殿、信長の血を引く我こそが、天下人になるに相応しく候う。
‥‥‥羽柴天下之儀恣之働(はしばてんかのぎほしいままのはたらき)
(訳:秀吉は天下を欲しいままにしている)
信雄は家康に急ぎの書状をしたたため、家康に加勢を求め、秀吉と信長亡き後、初めての天下取りの戦いが始まろうとしていた。
信雄が家康に書状を送ったのは天正一二年年(一五八四)一月のことであった。
白い雪が舞い降りる寒い時期であった。
小牧・長久手の戦いが始まった。天正12年(1584年)3月から11月にかけて、羽柴秀吉(1586年、豊臣賜姓)陣営と織田信雄・徳川家康陣営の間で行われた戦いである。尾張北部の小牧山城・犬山城・楽田城を中心に、尾張南部・美濃西部・美濃東部・伊勢北・紀伊・和泉・摂津の各地で合戦が行なわれた。また、この合戦に連動した戦いが北陸・四国・関東でも起きており、全国規模の戦役であった。名称に関しては、江戸時代の合戦記では「小牧」や「長久手」を冠したものが多く、明治時代の参謀本部は「小牧役」と称している。ほかに「小牧・長久手の役」・「天正十二年の東海戦役」という名も提唱されているのだ。
次に天下分け目の大合戦が起きた。
|関ヶ原の戦い『せきがはらのたたかい》である。安土桃山時代の慶長5年9月15日(1600年10月21日)に、美濃国不破郡関ヶ原(岐阜県不破郡関ケ原町)を主戦場として行われた合戦である。関ヶ原における決戦を中心に日本の全国各地で戦闘が行われ、関ヶ原の合戦・関ヶ原合戦とも呼ばれる。
徳川家康率いる東軍が勝利し、約260年の徳川幕藩体制が続いた。
そして、明治維新へと時代は変わる。この維新は19世紀後半の江戸時代末期(幕末)から明治時代初期の日本国内で行われた、一連の近代化改革である。封建制の幕藩体制を廃し、中央集権統一国家と資本主義社会への移行の出発点となった政治的・社会的な変革を指す。
明治に入るとロシア、フランス、ドイツ、アメリカ、イギリスが列強として中国の清国へ進出をはじめた。日本も列強には負ける訳にはいかない。日本は清国に戦争を仕掛けた。日清戦争てまある。
日清戦争は、1894年(明治27年)7月25日から1895年(明治28年)4月17日にかけて日本と清国の間で行われた戦争である。なお、正式に宣戦布告されたのは1894年8月1日で、完全な終戦は台湾の平定を終えた1895年11月30日とする見方もある。李氏朝鮮の甲午農民戦争を皮切りに、李氏朝鮮の地位確認と朝鮮半島の権益を巡る争いが原因となって引き起こされ、主に朝鮮半島と遼東半島および黄海で交戦し、日本側の勝利で終わった。
戦勝国であるにもかかわらず、三国干渉により日本は三国に従った。このことが引き金となり、ロシアと戦争をすることになった。日露戦争の始まりであった。1904年(明治37年)2月[注釈 3]から1905年(明治38年)9月にかけて大日本帝国(日本)とロシア帝国との間で行われた戦争であった。
日本という国は不思議な国である。日月神示では、神の国という。私はこの日本列島は神に守られていると確信している。
20
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記
颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。
ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。
また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。
その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。
この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。
またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。
この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず…
大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。
【重要】
不定期更新。超絶不定期更新です。
【戦国時代小説】 甲斐の虎•武田信玄と軍師•山本勘助
蔵屋
歴史・時代
わたしは、以前、甲斐国を観光旅行したことがある。
何故、甲斐国なのか?
それは、日本を象徴する富士山があるからだ。
さて、今回のわたしが小説の題材にした『甲斐の虎•武田信玄と軍師•山本勘助』はこの甲斐国で殆どの戦国乱世の時代を生き抜いた。そして越後の雄•上杉謙信との死闘は武田信玄、山本勘助にとっては人生そのものであったことだろう。
そんな彼らにわたしはスポットライトを当て読者の皆さんに彼らの素顔を知って頂く為に物語として執筆したものである。
なお、この小説の執筆に当たり『甲陽軍鑑』を参考にしていることを申し述べておく。
それでは、わたしが執筆した小説を最後までお楽しみ下さい。
読者の皆さんの人生において、お役に立てれば幸いです。
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
還暦の性 若い彼との恋愛模様
MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。
そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。
その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。
全7話
日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-
ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。
1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。
わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。
だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。
※アルファポリス限定投稿
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる