日露戦争の真実

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第二十五巻

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 私はこの『日露戦争の真実』の執筆に当たり、秋山好古、真之兄弟と共に松山で生まれ育ち、そして東京に行き、日清戦争、日露戦争の国内、国際状況を見ながら詩歌という世界で生きた一人の男•子規にロマンスを感じた。また、肺結核という病魔と戦って死に絶えた。私は子規の生き様に感動を覚えた。私は祖父母が詩歌の世界にいたので、私自身も多くの歌人の詩歌に触れ、自ら和歌や短歌などを嗜むようになった。次の詩歌は私が今年の元旦に詠んだ歌である。

 『神知りて 人の幸せ 願うのみ
 神のつたへし 愛善あいぜんの道』
 
 私のこの詩歌には、日月神示国常立尊のお言葉をそのまま入れていると、思っている。日月神示国常立尊の教えを世の中の人々に伝えるのは、私しかいないと思っている。人々に何と言われようとも、この思い、この決断、この使命は日月神示国常立尊からの私に対するメッセージであり、「お前の使命である。お前の今まで見て来て経験したこと、また、学んだことのすべてを書籍にして伝えよ。」私はこのように大宇宙の大神さまから、日月神示国常立尊を通して、教えられたのだ、と。
さて、子規の話しである。
「柿くえば鐘が鳴るなり法隆寺」
私は子規の俳句が大好きである。
私は常々俳句は“おかしみの文芸“であると
思っていた。
そもそも、俳句の「俳」は「おどけ」とか、
たわむれ」という意味があるのだ。
まあ、私流の表現をすれば「ユーモア」に近いものだと思う。
さて、先程の句をもう一度詠んでみる。
「柿くえば鐘が鳴るなり法隆寺」
この句は子規の「おかしみ」の感情ではないかと思っている。
「柿を食べる」ということと「鐘が鳴る」ことの間には、何の必然的な関係もないし、気分上の関連もないと思う。
ということは、二つのことの間には、はっきりとした裂け目があり、ずれズレがある。
ここで“おかしみ“ということを考えると、よく分かると思うのだ。
 それは裂け目やずれズレから“シューッ“と噴き出てくるものだと思のだ。
このように考えてみると、このずれズレからくる“おかしみ“が私の気持ちを和ませてくれる、そして私の心をいやしてくれるのだ。
 私は以前夏目漱石の俳句を詠んだことがある。
まあ、漱石のモノマネだ。
「鐘つけば銀杏散るなり建長寺」
この句は子規の先程の句より数ヶ月前に詠まれた句だった。
 この二つの句を改めて詠んでみると、子規の句には味がある、と思う。
 漱石には人間の食べるという、欲望が詠まれていない。
 しかし子規の句には「柿を食べる」という
人間の欲望を詠んでいる。
私は二人の句を詠み比べてみて、そう思ったのだ。
 子規の俳句には、人間らしさがあると。
私は子規のことが益々好きになったのです。
子規の俳句の特徴としてはずれズレとか、意外性から生まれる面白さの違いがある。
 そうは言っても漱石の俳句にもユーモラスな句がたくさんある。まあ、私も好きな句がある。
 決して漱石の俳句を否定するものではない。
 子規の俳句には真面目な句が多いと思っている人が結構多いのではないかと思うが、
しかし、それは「誤解ですよ」と私はその人達に言いたい。
 ご承知のように子規は重い病にかかり、その病と戦いながら三十四歳という若さでこの世を去った。彼のそのようなイメージが、そのように思わせているのかも、知れない。
 子規は当時、すさまじい体の痛みにさいなまれながらも、子規の想像力が生んだ世界には、生き生きした生気があった。私はそのように思っている。
 子規にはそこから生まれてくる明るさがあった。
私の心の中にいる子規は「明るい子規」
「笑う子規」なのだ。
 子規の生涯には二十万ほどの句がある。そんなに句があるとは驚きだ。
 特に“おかしみ“の強い句と“笑える句“を私なりに選んでみた。
私は俳句に特に強いわけではありません。
 私は人間という者は自分勝手な都合のいい生きものであると思う。
何故なら日頃の所業しょぎょうを棚に上げ、正月二日の初夢は「どうか、一富士二鷹三茄子いちふじにたかさんなすびでと神棚にお願いするのだから。
この夢は昔から縁起の良い初夢とされている。初夢の意味には諸説あるが、富士は「不死、無事」、鷹は「高貴、高い」、茄子は「成す」にかかっているなどと言われ江戸幕府初代将軍の徳川家康ゆかりの地である駿河の国の高いものを並べたという説もあるくらいなのだから。
鷹は愛宕山、茄子は折戸なす。
いつの夢を初夢とするかも同様で、大晦日から元日、元日から2日の晩、2日から3日の晩などさまざまだ。
 一般的には、書き初めや初商いなど多くの新年の行事が2日に行われることから「2日から3日」に見る夢を初夢とする説が多い。
 一年の吉凶を占うことから、室町時代からは吉夢を見るために枕の下に宝船の絵を敷いて眠る風習も起こったという。
今年こそは「良い初夢を!」と願うのは、今も昔も変わらないのだ。
 私はある書物を読んだ時、次のような記述があったと記憶している。
それは江戸時代に枕の下に敷く七福神の宝船図を売り歩く商人が年末の風物詩になっていたとの記述である。
絵に書かれた回文の歌「長き夜の 遠の睡りの 皆目醒め 波乗り船の 音の良きかなながきよの とおのねぶりの みなめざめ なみのりふねの おとのよきかなを3度唱えて眠ると、良い初夢を見ることが出来ると
信じられていたのだ。
 さて、正岡子規の俳句である。
彼はこの初夢に関する句を詠んでいた。
「初夢の思いしことを見ざりける」
子規は幾ら初夢を見たいと思っても「見ないだろうなぁ」と思っていたことだろうよ。
いくら都合よく初夢を見たいと思っても
日頃の所業を棚に上げ、初夢に目出たいやつを見たいと思っても、そうは問屋がおろさない!
こんな時は逆に酷い夢を見るもんだ。
私はいつもそうである。
なんせ、邪神や悪神が私達に憑依しているのだから。
だから人間何ぞ、所詮偽善者だと思っている。
神さまが人間を偽善者にしたのだから。
何故か?それは人間が生きていく為に必要だからだ。
人間の欲求はすべてこの悪神や邪神により、食べたい欲求、金持ちになりたい欲求、いい女を手に入れたい欲求、生理的欲求、権力を持ちたい欲求、すべてこの悪神、邪神、獣の欲求なのだから。
この欲求がもしなかったなら、貴方も私も、人間は皆死んでしまうのだから。
このことは日月神示国常立尊からも伺い識ることが出来る。また、これが何度も私がいう所の出口王仁三郎でぐちおにさぶろうの教えなのだ。
(注釈1)
   正岡 子規まさおか しき
1867年10月14日〈旧暦慶応3年9月17日〉~1902年〈明治35年〉9月19日)まで生存した。
享年34歳。
日本の俳人、歌人、国語学研究家。子規は筆名で、本名は正岡 常規まさおか つねのり。幼名を處之助ところのすけといい、後にのぼると改めた。
 子規は俳句、短歌、新体詩、小説、評論、随筆など多方面にわたり創作活動を行い、日本の近代文学に多大な影響を及ぼした、明治を代表する文学者の一人である。
子規は松山の出身である。伊予国温泉郡藤原新町現在の愛媛県松山市花園町に生まれた。同地は伊予松山藩領で、父は藩士の正岡隼太常尚である。父親は1833年 から1872年)、母の八重(1845年 - 1927年)は藩儒大原観山の長女[2]で、長男であった。
1872年(明治5年)、幼くして父が没したために家督を相続し、大原家と叔父の加藤恒忠(拓川)の後見を受けた。外祖父である観山の私塾に通って漢書の素読を習い、翌年には末広小学校に入学し、のちに勝山学校に転校。少年時代は漢詩や戯作、軍談、書画などに親しみ、友人と回覧雑誌を作り、試作会を開いた。また自由民権運動の影響を受け[注釈 1]、政談にも関心を熱中したという。
1880年(明治13年)、旧制松山中学(現:愛媛県立松山東高等学校)に入学。1883年(明治16年)、同校を中退して上京し、漢文を学ぶため赤坂丹後町の須田学舎や、受験英語のために共立学校(現:開成中学校・高等学校)に入学。翌年、旧藩主家の給費生となり、東大予備門(のち一高、現:東大教養学部)に入学し、常盤会寄宿舎に入った。1890年(明治23年)、帝国大学哲学科に進学したものの、文学に興味を持ち、翌年には国文科に転科した。この頃から「子規」と号して句作を行う。
松山中と共立学校で同級だった秋山真之(後に日露戦争時の連合艦隊参謀)とは、松山在住時からの友人であり、また共通の友人として勝田主計がいた。東大予備門では夏目漱石、南方熊楠、山田美妙らと同窓だった。
大学中退後、叔父・加藤拓川の紹介で1892年(明治25年)に新聞『日本』の記者となり、家族を呼び寄せて文芸活動の拠点とした。1893年(明治26年)に「獺祭書屋俳話だっさいしょおくはいわ」を連載し、俳句の革新運動を開始した。1894年(明治27年)夏に日清戦争が勃発すると、翌1895年(明治28年)4月、近衛師団つきの従軍記者として遼東半島に渡ったものの、上陸した2日後に下関条約が調印されたため、同年5月、第2軍兵站部軍医部長の森林太郎(鴎外)らに挨拶をして帰国の途についた。その船中で喀血して重態に陥り、神戸病院に入院。7月、須磨保養院で療養したのち、松山に帰郷した。喀血した(血を吐いた)ことから、「鳴いて血を吐く」と言われているホトトギスと自分を重ね合わせ、ホトトギスの漢字表記の「子規」を自分の俳号とした。俳句分類や与謝蕪村などを研究し、俳句の世界に大きく貢献した。漱石の下宿に同宿して過ごし、俳句会などを開いた。
短歌(和歌)においても、「歌よみに与ふる書」を新聞『日本』に連載。『古今集』を否定して『万葉集』を高く評価して、江戸時代までの形式にとらわれた和歌を非難しつつ、根岸短歌会を主催して短歌の革新に努めた。根岸短歌会は、のちに伊藤左千夫、長塚節、岡麓らにより短歌結社『アララギ』へと発展していく。
やがて病に臥しつつ『病牀六尺』を書いた。これは少しの感傷も暗い影もなく、死に臨んだ自身の肉体と精神を客観視し写生した優れた人生記録として、現在まで読まれている。同時期に病床で書かれた日記『仰臥漫録』の原本は、兵庫県芦屋市の虚子記念文学館に収蔵されている。
 子規は1902年(明治35年)9月19日午前1時頃に息を引き取った。21日の葬儀には150名以上が参列し、生前に弟子へ遺言していた「静かな寺に葬ってほしい」という願いに合わせて、田端の大龍寺に埋葬され、現在も墓所がある。戒名は子規居士である。
子規はこの日露戦争に於いてもその結末を見届けることは出来なかった。まだ、ポーツマス条約が締結されていなかったからだ。
1905年9月5日、日露講和条約(ポーツマス条約)が調印された。同条約は、日本とロシアが10月15日批准を相互に通告して発効し、16日に公布された。ポーツマス条約では、ロシアは北緯50度以南の樺太(サハリン)を日本に譲渡する、ロシアは日本の韓国における軍事・経済上の卓越した利益を承認し、日本が韓国に指導・保護・監理の措置をとるのを妨げない、日露両国は満州から同時に撤退し、満州を清国に還付する、ロシアは、清国の承認を得て、長春・旅順口間の鉄道を日本に譲る、ロシアはロシア沿岸の漁業権を日本に譲る、などが定められた。この条約締結から120年が経過した。ロシアの北方四島の実行支配は今なお続いている。しかもロシアの民間人が2万人近く暮らしているのだ。北方四島は自然に恵まれ、海産物を始め漁業の盛んな島である。島を追い出された日本人は今どのようにして暮らしているのだろうか?私達日本人は領土を侵略され失うことがあるということを常に考えなければならない。過去の世界史が、また、歴史が史実が、物語ものがたっている。いつ、紛争が起き、世界大戦になるのか、わからないのだ。




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