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第二十八章 グレシャムの法則
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以前にもお話ししているが、司馬遼太郎という作家のことが私は大好きだ。
何故なら彼は生粋の関西人だからである。私は広島県人であるが、18歳までの話しである。高校を卒業後、大阪市立大学商学部に進学。卒業後はサンスター歯磨株式会社に勤務。一身上の事由で退職。次に転職したのが大阪府火災共済協同組合勤務。9ケ月後、フジテック株式会社に転職。以後、会社都合の退職日まで真面目に勤務した。
やはり私も司馬遼太郎と同じ関西人だと思っている。
関西人は関東人と比べると思いやりがあるというイメージがある。これは私のことであるが。このように出身地によってその特徴を言い当てようとしても分かる訳がない。例えば、「天皇」とは「少年をして竹槍で、敵兵を殺させ、少年もまた、死ぬという存在だったのである。」と喝破したエッセイのタイトルは「何故か、無題であった」
関東育ちの論評から「昭和ヒトケタ周辺世代の天皇に対する増悪と偏見」などはっきりと言ってくれ、と文句をつけたいのだと。
そして司馬遼太郎は乃木希典と同じようにもっとも嫌っていた、というより正確にいうと増悪の対象だった陸軍軍人は寺内正毅であったのだ。そのことが明確に記述されていたのがこの日露戦争をテーマにしていた「無能な乃木希典と有能な海軍軍人たち、山本権兵衛、東郷平八郎、秋山真之を対比して描いた小説『坂の上の雲』の『第三部あとがき』である。
通常は小説の「あとがき」と言えば、この場合なら第三部の内容か登場人物、あるいは取材事情などに触れるところだと思うのであるが、このことは極めて異例であり第三部にはまったく登場しない人物、寺内正毅のことが終始一貫語られているのだ。
まずは薩摩人である山本権兵衛を長とする海軍は当時としては極めて能力主義であったが長州人に牛耳られていたいた陸軍はそうではなかったのだ、という前置きから始まる。山本権兵衛は一八五二年生まれ。海軍の草創期に軍人になり、日露開戦時は海軍大臣としてロシアとの対抗策をあらゆる面で実行していた。
当時、引退を待つばかりであった東郷平八郎を連合艦隊司令長官に抜擢したのも山本であった。明治天皇が以外な人事に驚いて、その理由を山本に聞くと「東郷は運のいい男ですから」と答えたエピソードはあまりにも有名である。
寺内については、ある百科事典にも採用されていた。「重箱の隅をつつくような」男だと同じ長州の出身の児玉源太郎も言っていたと言うエピソードもある。
さらに念を押すように寺内は偏執的なほどの規律好きで、あったという。
例えば、士官学校時代、生徒隊長だった頃の話しであるが学校に近い場所に住み、
勤務が終わってからも、双眼鏡で、生徒たちが規律違反をしていないか監視をしていた。また、妻の襖の開け方もじっと観察して、少しでも間違うと、客の前であろうがなかろうが、大声で妻を叱りつけたのである。寺内が大臣になった後、何かの用事で陸軍士官学校を訪問したときのことを語った原文がある。
ある日、学校の校門に「陸軍士官学校」と陽刻された金文字の看板が青錆びて光沢を失っているの発見して、彼はすぐに校長の某中将を呼びつけ、大いに叱りつけたという。
寺内は規律主義者であった。
某校長の看板の手入れに対して、「このように青錆を生ぜしめ、殆ど文字が識別しかねるまでに放置しているとは、まことに不敬の至りである。さらに翻って思えば本校は日本帝国の士官教育を代表すべき唯一の学校であるにもかかわらず、その扁額に錆を生ぜしめるとは、ひとり士官学校の不面目ならず、わが帝国陸軍の恥辱であり、帝国陸軍の恥辱であるということは、わが大日本帝国の国辱である」と説論したのだ。
この愚かな形式論理はその後の帝国陸軍に遺伝相続され、わが帝国陸軍にあっては伍長に至るまで、この種の論理を駆使して兵を叱責し、自らの権威を打ちたてるという悪い風習が出来たのだ。これは世間いっばんに言われる悪貨は良貨を駆逐するということである。
つまり悪い人や悪い物が世にはびこると、良い人や良い物が世間の片隅におしやられてしまう喩えである。
悪質な貨幣が流通するようになると、良質な貨幣は貯蔵され、悪質な貨幣だけが市場に流通するという「グレシャムの法則」からの由来である。
これは日月神示の教えにもあるのだ。
何故なら彼は生粋の関西人だからである。私は広島県人であるが、18歳までの話しである。高校を卒業後、大阪市立大学商学部に進学。卒業後はサンスター歯磨株式会社に勤務。一身上の事由で退職。次に転職したのが大阪府火災共済協同組合勤務。9ケ月後、フジテック株式会社に転職。以後、会社都合の退職日まで真面目に勤務した。
やはり私も司馬遼太郎と同じ関西人だと思っている。
関西人は関東人と比べると思いやりがあるというイメージがある。これは私のことであるが。このように出身地によってその特徴を言い当てようとしても分かる訳がない。例えば、「天皇」とは「少年をして竹槍で、敵兵を殺させ、少年もまた、死ぬという存在だったのである。」と喝破したエッセイのタイトルは「何故か、無題であった」
関東育ちの論評から「昭和ヒトケタ周辺世代の天皇に対する増悪と偏見」などはっきりと言ってくれ、と文句をつけたいのだと。
そして司馬遼太郎は乃木希典と同じようにもっとも嫌っていた、というより正確にいうと増悪の対象だった陸軍軍人は寺内正毅であったのだ。そのことが明確に記述されていたのがこの日露戦争をテーマにしていた「無能な乃木希典と有能な海軍軍人たち、山本権兵衛、東郷平八郎、秋山真之を対比して描いた小説『坂の上の雲』の『第三部あとがき』である。
通常は小説の「あとがき」と言えば、この場合なら第三部の内容か登場人物、あるいは取材事情などに触れるところだと思うのであるが、このことは極めて異例であり第三部にはまったく登場しない人物、寺内正毅のことが終始一貫語られているのだ。
まずは薩摩人である山本権兵衛を長とする海軍は当時としては極めて能力主義であったが長州人に牛耳られていたいた陸軍はそうではなかったのだ、という前置きから始まる。山本権兵衛は一八五二年生まれ。海軍の草創期に軍人になり、日露開戦時は海軍大臣としてロシアとの対抗策をあらゆる面で実行していた。
当時、引退を待つばかりであった東郷平八郎を連合艦隊司令長官に抜擢したのも山本であった。明治天皇が以外な人事に驚いて、その理由を山本に聞くと「東郷は運のいい男ですから」と答えたエピソードはあまりにも有名である。
寺内については、ある百科事典にも採用されていた。「重箱の隅をつつくような」男だと同じ長州の出身の児玉源太郎も言っていたと言うエピソードもある。
さらに念を押すように寺内は偏執的なほどの規律好きで、あったという。
例えば、士官学校時代、生徒隊長だった頃の話しであるが学校に近い場所に住み、
勤務が終わってからも、双眼鏡で、生徒たちが規律違反をしていないか監視をしていた。また、妻の襖の開け方もじっと観察して、少しでも間違うと、客の前であろうがなかろうが、大声で妻を叱りつけたのである。寺内が大臣になった後、何かの用事で陸軍士官学校を訪問したときのことを語った原文がある。
ある日、学校の校門に「陸軍士官学校」と陽刻された金文字の看板が青錆びて光沢を失っているの発見して、彼はすぐに校長の某中将を呼びつけ、大いに叱りつけたという。
寺内は規律主義者であった。
某校長の看板の手入れに対して、「このように青錆を生ぜしめ、殆ど文字が識別しかねるまでに放置しているとは、まことに不敬の至りである。さらに翻って思えば本校は日本帝国の士官教育を代表すべき唯一の学校であるにもかかわらず、その扁額に錆を生ぜしめるとは、ひとり士官学校の不面目ならず、わが帝国陸軍の恥辱であり、帝国陸軍の恥辱であるということは、わが大日本帝国の国辱である」と説論したのだ。
この愚かな形式論理はその後の帝国陸軍に遺伝相続され、わが帝国陸軍にあっては伍長に至るまで、この種の論理を駆使して兵を叱責し、自らの権威を打ちたてるという悪い風習が出来たのだ。これは世間いっばんに言われる悪貨は良貨を駆逐するということである。
つまり悪い人や悪い物が世にはびこると、良い人や良い物が世間の片隅におしやられてしまう喩えである。
悪質な貨幣が流通するようになると、良質な貨幣は貯蔵され、悪質な貨幣だけが市場に流通するという「グレシャムの法則」からの由来である。
これは日月神示の教えにもあるのだ。
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