『「あんな化け物と結婚なんて嫌!」と妹が泣くので私が身代わりになりました。……あの、化け物どころか、国一番の美形で紳士な旦那様なんですけど?

ラムネ

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第11話『王都降臨』……ではなく、『嵐のち、愛の奇跡』

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「待っていて、ジークハルト様! 今、助けます!」

私はドレスの裾を破り捨て、カクテルグラスの破片が散乱する床を蹴り出しました。 履き慣れないハイヒールが足枷になるかと思いましたが、今の私には不思議と重さを感じませんでした。 体中にアドレナリンが駆け巡り、視界が極限までクリアになっていたのです。

「うう……マリア様……」 「愛しい人よ……」

会場は地獄絵図と化していました。 マリアが撒き散らした『愛欲の檻』の香りを吸い込んだ男性貴族たちが、虚ろな目で徘徊しています。 彼らは理性を失い、本能の赴くままにマリアを、あるいはその香りの発生源を求めて彷徨っているようでした。

「きゃあああっ! あなた、どうしたの!?」 「離して! 誰か!」

正気を保っている女性貴族たちが、豹変した夫や恋人に抱きつかれそうになり、悲鳴を上げて逃げ惑っています。 優雅だった舞踏会場は、一瞬にしてパニック映画のワンシーンへと変貌していました。

私の行く手を、数人の男性が遮りました。 彼らの目は濁り、口元からは涎が垂れています。

「……いい匂いだ……」 「こっちにも……女が……」

彼らは私の腕を掴もうと、ふらふらと手を伸ばしてきました。 本来なら恐怖で足がすくむ場面でしょう。 けれど、私は彼らを「敵」とは認識しませんでした。ただの「障害物」です。

「退いてください!」

私は躊躇なく、目の前の男の足を踏みつけ、ドレスの切れ端を鞭のように振るって腕を払いのけました。 実家で長年、使用人以下の扱いを受けながら、重い洗濯物を運び、薪を割り、掃除に明け暮れていた私です。 深窓の令嬢とは違い、足腰の強さと、とっさの判断力には自信があります。

「ぐっ……!?」

男が怯んだ隙に、私はその脇をすり抜けました。 目指すは、ホールの中心。 黒い魔力の竜巻が渦巻く、台風の目。

そこには、苦悶の表情で床に膝をつき、必死で自分を抑え込んでいるジークハルト様の姿がありました。

「ぐああああっ……!! 出ろ……俺の中から、出て行けぇぇッ!!」

彼の絶叫が空気を震わせます。 マリアの薬が引き起こした魔力共鳴は、彼の内側にある膨大なエネルギーを無理やり引きずり出し、暴発させようとしていました。 彼の体から放たれる黒い稲妻は、すでに周囲の床を焦がし、天井のシャンデリアを揺らしています。

誰も近づけません。 護衛の騎士たちでさえ、その圧倒的な圧力に弾き飛ばされ、遠巻きに見守ることしかできないのです。

「奥様! 無理です! 死んでしまいます!」

騎士団長の声が聞こえましたが、私は止まりませんでした。 死ぬ? いいえ、死にません。 私が死ぬときは、彼が死ぬときです。 そして、彼はこんなところで、あんな浅はかな女の策略によって終わるような人ではありません。

「ジークハルト様!」

私は魔力の嵐の中に飛び込みました。 肌を刺すような衝撃波。 普通の人間なら、皮膚が裂け、内臓が破裂するような圧力。 しかし、私の体はそれを「強い風」程度にしか感じませんでした。

私の『魔力無効化』の体質。 それは、彼を守るために神様がくれた、たった一つのギフト。

「来るなッ……! エルサ、離れろ!!」

私に気づいたジークハルト様が、血を吐くような声で叫びました。 彼は私を傷つけまいと、暴れる魔力を自分の体の中に逆流させようとしています。 そのせいで、彼の血管は浮き上がり、目からは血の涙が流れていました。 自己犠牲。 彼は、自分が砕け散ってでも、私を守ろうとしているのです。

「馬鹿な人!」

私は叫び返しました。 涙が溢れて止まりません。

「一人で抱え込まないでって言ったでしょう!? 私たちは夫婦なのよ! 貴方様の痛みは、私の痛みなんです!」

私は最後の一歩を踏み出し、彼の体に飛びつきました。 焼けつくような熱さと、氷のような冷たさが同居する、彼の体。

「捕まえました!」

私は彼を力いっぱい抱きしめました。 その瞬間。

カッッッッッ!!!!!

視界が真っ白に染まりました。 音さえも消え失せました。

私と彼が接触した点から、まばゆい光の波紋が広がりました。 それは、暴走しかけていた黒い魔力を瞬時に中和し、純粋な光の粒子へと変換していきました。

「……あ……」

ジークハルト様の体が、ガクンと力を失いました。 張り詰めていた筋肉が緩み、彼は私の腕の中に崩れ落ちてきました。

「……エル、サ……」

「はい。ここにいます」

私は彼を支えながら、優しく背中をさすりました。 ドクン、ドクンと早鐘を打っていた彼の心臓が、次第に落ち着いたリズムを取り戻していきます。 彼の中から溢れ出ていた禍々しい瘴気は消え、代わりに澄んだ、美しい紫色の魔力が、私たちを繭(まゆ)のように包み込みました。

そして。 その光の波紋は、私たちだけに留まりませんでした。

フワァァァ……。

光はホール全体へと広がっていきました。 それは、マリアが撒き散らした『愛欲の檻』のピンク色の毒霧を、浄化の風となって吹き飛ばしていったのです。

「う……ん? 俺は一体……」 「あれ? なんで俺、こんなところに……」

魅了されていた男性貴族たちが、次々と正気を取り戻しました。 彼らは頭を押さえ、狐につままれたような顔をしています。 毒が抜けたのです。 ジークハルト様の強大な魔力が、私というフィルターを通して浄化の光に変わり、会場全体の邪気を祓(はら)ってしまったのです。

静寂が戻りました。 嵐は去りました。

ホールの中心。 光の粒が舞い散る中で、私たちは抱き合っていました。 破れたドレスを纏った私と、漆黒の礼服を乱したジークハルト様。 それはきっと、どんな絵画よりも劇的で、神々しい光景だったに違いありません。

「……はは」

ジークハルト様が、私の肩に顔を埋めたまま、力なく笑いました。

「また、助けられたな。……お前には、一生頭が上がらん」

「ふふ、高い貸しですよ。一生かけて、愛で返してくださいね」

「ああ。約束する。……俺の命が尽きるその瞬間まで、お前だけを愛し抜く」

彼は顔を上げました。 その瞳は、もう充血していません。 宝石のような輝きを取り戻した紫色の瞳が、愛おしそうに私を見つめています。

彼はゆっくりと立ち上がりました。 そして、私を横抱きにお姫様抱っこをして、堂々と胸を張りました。 その姿は、まさに「王の帰還」でした。

「……さて」

ジークハルト様の声が、冷たく響きました。 今までの甘い声色とは違う、絶対零度の響き。

彼は、舞台の上で呆然と立ち尽くしているマリアへと、ゆっくりと視線を向けました。

「宴の余興にしては、随分と悪質だな」

「な……な……」

マリアは、震えていました。 彼女の手から、空になった小瓶が滑り落ち、カランと乾いた音を立てました。

「なんで……? なんで暴走しないの? なんで私の薬が効かないの!? 古代の秘薬なのよ!? 絶対のはずなのに!」

彼女は自分の髪をかきむしり、ヒステリックに叫びました。

「おかしいわ! こんなのありえない! あんた、何をしたのよエルサ! 小細工をしたんでしょう!?」

マリアの矛先が私に向けられました。 彼女は舞台から駆け下り、鬼の形相で私たちに近づいてきました。

「返してよ! 私の計画を返して! これでみんな私の虜になるはずだったのに! あんたが……あんたさえいなければ!」

彼女は完全に狂っていました。 周囲の貴族たちが、ドン引きして道を開けます。 さっきまで「美しい」と彼女を称えていた男たちも、正気に戻った今、彼女の醜い本性に気づき、嫌悪感を露わにしています。

「おい、なんだあの女……」 「薬を使って俺たちを操ろうとしたのか?」 「なんて恐ろしい……」

囁き声が、非難の嵐となってマリアに降り注ぎます。

「違う! 私は悪くない! 全部エルサが悪いのよ! この女が魔女なのよ!」

マリアは私に掴みかかろうとしました。 しかし、その手は私に届くことはありませんでした。

ドォォォン!!

見えない壁に弾かれたように、マリアの体が後方へ吹き飛びました。 ジークハルト様が、魔力障壁を展開したのです。

「きゃあっ!」

マリアは無様に床を転がり、派手なドレスを汚して止まりました。

「俺の妻に、その汚い手で触れるな」

ジークハルト様が見下ろしました。 その目は、ゴミを見る目ですらなく、道端の石ころを見るような無関心と冷徹さに満ちていました。

「お前のやったことは、国家反逆罪に等しい。……王族や高位貴族が集まるこの場で、禁忌の薬物を使い、大規模な洗脳と傷害を企てたのだからな」

「う……嘘よ……私はただ、愛されたかっただけで……」

「愛? ふざけるな。お前が求めていたのは、支配と欲望だけだ。それを愛とは呼ばない」

ジークハルト様の一喝に、マリアは縮み上がりました。

そこへ、騒ぎを聞きつけた近衛兵たちが雪崩れ込んできました。 そして、その後ろから、威厳ある老人がゆっくりと歩いてきました。

「……何事だ、この騒ぎは」

国王陛下でした。 白髪の髭を蓄え、王冠を戴いたその姿に、会場中の全員が平伏しました。 ジークハルト様だけは、私を抱いたまま、軽く頭を下げるに留めました。

「陛下。ご不快な思いをさせて申し訳ありません。……少しばかり、害虫駆除をしておりました」

「害虫、とな。ジークハルトよ、その腕に抱いているのは?」

「私の妻、エルサです。……そして、この場の混乱を鎮め、私の暴走を止めてくれた、命の恩人でもあります」

ジークハルト様は、誇らしげに私を紹介しました。

「ほう……。あの『化け物』と呼ばれた其の方を、手なずけたというのか?」

国王陛下が、興味深そうに私を見つめました。 その鋭い眼光に射抜かれそうになりましたが、私はジークハルト様の腕の中で、しっかりと陛下を見返しました。

「陛下。手なずけたのではありません。……愛し合ったのです」

私の言葉に、陛下は一瞬目を見開き、それから「ハハハ!」と豪快に笑いました。

「愛、か! よいな、実に痛快だ! 余はそういう話が大好きだぞ!」

陛下は上機嫌で頷くと、床に転がっているマリアに冷たい視線を向けました。

「して、そこの娘は? 伯爵家の次女であったか?」

「は、はい……陛下……」

マリアはガタガタと震えながら、土下座をしました。 化粧は崩れ、ドレスは破れ、かつての「光の愛し子」の面影はありません。

「薬物を使い、余の臣下たちを操ろうとした罪は重い。それに、姉であるエルサを陥れようとしたその心根……実に嘆かわしい」

陛下の手が上がりました。

「捕らえよ。地下牢へぶち込んでおけ。沙汰は追って言い渡す」

「いやぁぁぁ! 嫌! お父様、お母様、助けてぇぇ!」

マリアが叫びましたが、誰も助けには来ません。 両親はとっくに逃げ出した後でした。 彼女は近衛兵に両脇を抱えられ、ズルズルと引きずられていきました。 その悲鳴が、遠ざかっていきます。

会場には、再び静寂が戻りました。 しかし、それは重苦しいものではなく、嵐の後の清々しい静けさでした。

「さて、ジークハルトよ」

陛下が再び口を開きました。

「夜会を台無しにされたのは腹立たしいが、面白いものを見せてもらった。其の方の妻……エルサと言ったな。その功績を称え、褒美をやろう」

「褒美ですか?」

「うむ。何でも申してみよ。宝石か? 領地か? それとも爵位か?」

ジークハルト様は私を見ました。 「何がいい?」と目で問いかけています。

私は少し考え、そしてジークハルト様の耳元で小さく囁きました。 彼はニヤリと笑い、陛下に向かって言いました。

「では、陛下。お言葉に甘えて」

「申せ」

「妻が、『もう少し静かな場所で、二人きりで踊り直したい』と申しております。……この会場を、あと一曲分だけ、私たちに貸していただけないでしょうか?」

陛下の目が丸くなり、そして再び破顔しました。

「欲のない奴らだ! よいだろう、許可する! 楽団、曲を! 最高の愛の歌を奏でよ!」

楽団が慌てて楽器を構え、美しいバラードを奏で始めました。 陛下や他の貴族たちが、私たちを取り囲むように輪を作り、温かい手拍子を始めました。

私たちは、再び踊り始めました。 今度は、誰に見せるためでもなく、ただ互いのために。

「……よかったのか? もっとすごいものを貰えばよかったのに」

踊りながら、ジークハルト様が尋ねました。

「いいえ。私が欲しいものは、もう全部ここにありますから」

私は彼を見上げ、微笑みました。

「貴方様と、こうして踊れる時間こそが、私にとっての最高の宝石です」

「……ああ、そうだな」

彼は私の額にキスをしました。

「俺もだ。……愛している、エルサ」

「私もです、ジークハルト様」

私たちは、王都の中心で、数百人の祝福を受けながら、幸せなキスを交わしました。 マリアの企みは完全に粉砕され、逆に私たちの愛を証明する最高の舞台装置となって終わったのでした。

                  ◇

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