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第一章その3 ~とうとう逢えたわ!~ 鶴ちゃんの快進撃編
女神様はお怒りである。酒が切れたからではない
しおりを挟む哨戒艇あきしまは、霧の立ち込める燧灘を航行していた。
全長155メートル、排水量4950トン。鋭角型船首がマリンブルーの海を掻き分けていく。
シーグレーの船体は旧護衛艦を改造したものであるが、甲板に並ぶ無数の砲は、かつての大艦巨砲主義を思わせた。餓霊が放出する電磁妨害により、ミサイル等の誘導兵器が役に立たなくなったためだ。
一方で艦橋機器は旧護衛艦と似通っており、現在が技術と時代の過渡期である事を如実に表していた。
「ポイントN153通過。餓霊の行動確認出来ず」
「了解した。回頭して進路を西へ」
観測員の言葉に、艦橋に佇む艦長の夏木中佐は、いつも通りの指示を送った。
「……餓霊どもめ。泳いででも来てくれれば、一発お見舞いしてやるのに」
夏木はそう言って帽子に手をやった。
引き締まった長身で、乱れなく制服を纏っている。勤勉で優秀な青年であるが、それでもこの歳で艦長を任されるのは異例の事態である。
旧自衛隊の解体後、夏木は海上経験を買われてこの船に勤務したが、先代艦長が体調を崩し、代わって指揮を執る事になったのだ。
「大丈夫、ただ沿岸をぐるぐる回る、あてのないクルーズだから」
先代の艦長はそう皮肉を込めて言った。
一見不要に思えるこの船と武装は、いずれ餓霊軍団の大将ディアヌスが迫って来た時、迎撃するための備えだと言われている。餓霊は通常海を渡れないが、ディアヌスの放つ攻撃は、遠方の島でも容易く炎に沈めるからだ。
だがそれまでの間、ただ瀬戸内のクルージングを続けるというのは、地上で耐えている若者達に申し訳ない、と夏木は常々考えていた。
(自国の民が襲われても眺めるだけなんて、一体どこにそんな軍があるんだ)
艦橋を見渡せば、まだ歳若い兵の姿が目立つ。
人手不足は深刻であり、訓練期間の短縮のため、自衛隊時代の細かい慣習は取り払われた。軍をイメージさせぬよう、オブラードに包んでいた特科や施設科といった呼称も、砲科、工兵科、などの分かりやすいものになった。
もちろん戦闘時の発砲手順なども、圧倒的に簡略化されている。面倒な手続きをしているうちに、敵は霧の中から突然現れ、人に襲いかかるからだ。
「艦長、夏木艦長!」
「……っ!? すまない、どうした?」
観測員の呼びかけに、夏木はようやく我に返った。
「本艦正面に未確認の岩塊を発見。距離は目視にて1㎞」
「緊急退避、減速しつつ確認する」
夏木の指示で船体が青い光を帯び、速度が急激に減じられていく。
属性添加機は船体に直接慣性力を与えるし、ブレーキの際にはそれを逆転させるだけなので、旧式の船より遥かに素早い制動が可能なのだ。
夏木は一先ず胸を撫で下ろすが、そこで怪訝な顔をした。
「……待て、未確認? ずっと同じ海域を航行してるんだぞ。今更未確認の岩礁なんて」
地震や活断層の影響で、海底の隆起や海水面の低下があったのだろうか?
「いえその、単なる岩礁ではないようなのですが……」
部下の回答は極めて歯切れが悪かった。
「誠に失礼ではありますが、艦長直々のご確認をお願いできますでしょうか」
「分かった、今そっちへ行く」
夏木は艦長席を離れると、観測員の傍に歩み寄った。
正面の窓際に据えられた望遠モニターを凝視すると、かなり霧が濃くなっていた。風が渦を巻き、霧は白い蛇のように、また龍のようにのたうっている。
その霧の只中に、岩塊は浮かんでいた。
直径は500メートル程か。まるで山かと思われるほどの巨大な岩が、何の支えも無く宙に漂っているのだ。
「どういう事だ……?」
呆然と呟く夏木に、観測員も恐る恐る告げる。
「あんな岩塊、先ほどまで存在しませんでした。レーダーにも感ありません」
「餓霊の霧じゃないんだ、単なる海霧だぞ。なのにレーダーが使えない?」
「いえ、重ね重ね申し訳ないのですが、レーダーは使えています。あの岩塊だけが映らないのです」
「そんな事があり得るのか?」
夏木は動揺し、けれど油断なく指示を出した。
「艦を停止、一度報告して調査に入る」
「…………その必要はない」
不意に岩塊から声が響いた。
同時に巨岩の周りから霧が離れ、その全貌が目に入る。岩の周囲にはぐるりと注連縄が巻かれ、上部には石造りの鳥居まで存在していた。
「と、鳥居? 何でそんなものが……」
夏木が呟いた時、艦に物凄い衝撃が走り、艦橋の一同はバランスを崩した。
「………っ!?」
夏木は一瞬、我が目を疑った。
突然1人の女性が室内に現れていたからだ。
長い黒髪とカーキ色の軍用ジャケット。強い意志を秘めた切れ長の瞳が、真っ直ぐに夏木を見据えている。
女の傍には白いライオンのような猛獣が付き従っていた。猛獣は地に伏せ、女の椅子として大人しく座しているのだ。
「驚かせたな、諸君。私の事は岩凪監察官とでも呼べ。これよりしばらく、この艦の指揮は私が取る」
「そ、そんな連絡はありませんでしたが……」
夏木は相手の階級章を確認しつつ、遠慮がちに反論しようとする。
だがその瞬間、通信用の大型メインモニターに男の姿が映し出された。それはあろう事か、船団統合本部に居るはずの幕僚長だったのだ。
(何でこのタイミングで? いやそれより、何か焦ってるようだが……)
夏木は目を丸くするが、幕僚長は早口で告げる。
「……な、ななな、夏木中佐っ! 色々と疑問はあるだろうが、今はその方に従ってくれっ。私が許可するから、な? それでは、た頼んだぞっ!」
幕僚長はそれだけ言うと、問い返す間もなく通信は切れた。
女は淡々と言葉を続ける。
「……以上だ。異論のある者は遠慮なく言え」
「い、異論ではありませんが、申し上げます」
そこで観測員が口を挟んだ。
「海浜部の旧市街地に、餓霊の別働隊が接近しています。数およそ300、十分過ぎる脅威です」
「舐めきってるな、ジャミングもろくに出さずにか……!」
モニターに映る餓霊の姿に夏木は歯噛みしたが、そこで幕僚長の言葉を思い出し、目の前の女性に尋ねた。
「岩凪監察官……いかがいたしますか?」
女はモニターを一瞥し、静かに答える。
「そうだな、対処の必要はない」
「………………了解、しました」
夏木は俯いた。結局誰が指揮しても同じだ、と思ったのだ。
だが続く女の言葉は、夏木の予想の斜め上をいったのだ。
「砲撃すれば、逃げた者が避難区に攻め込むやも知れぬ。それにここは海辺だからな。邪気が薄いし、十分私の手が届く」
女は答えると、右手を開いて前に出し、勢い良く握り締める。
それは驚きの光景だった。
数百の巨大な餓霊が動きを止めたかと思うと、何かで圧縮されたかのように、爆音を立てて爆ぜたのだ。
「じ、地雷でも仕掛けていたのでしょうか……?」
夏木は呆然とその様を眺めていた。
女は頬杖をついたまま、切れ長の目を一同へと向けた。
「もう一度言おう、これよりこの船の指揮は私が執る。回頭して至急、画面の表示地点に向かえ」
メイン画面に表示された光点は、芸予諸島の大島付近を示している。
「りょ、了解しました!」
一同は、反射的に女の指示に従っていた。
夏木の間近で部下達が囁き合っている。
「あれっ? なあ、さっきの餓霊、なんで吹き飛んだんだっけ?」
「分からない、頭がぼーっとして覚えてないんだ」
「変だよな、さっきの事だったのに、急に忘れちまった」
夏木も同じ感覚だった。先程の餓霊は、一体どうして吹き飛んだのだろう。地雷か、それとも別の艦からの攻撃なのか。
覚えていたはずなのに覚えていない。見たはずなのに、何が起こったのか分からない。
それでも彼女に従ったのは、生物としての本能に近い。
絶対的強者に対する服従だ。
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