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アルファの兆し2
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キリアスは三人に近寄ると、すぐに異変に気付いた。正確には、異変は二人の人間の身にだけ起こっていた。
ヨアンと……そしてシュメルヒだ。
「シュメルヒ妃殿下……?」
シュメルヒはキリアスの呼びかけに応えようとしたが、喉の奥に声がつっかえてヒュ、という笛のような音をさせただけだった。苦しい。全身が金縛りにあったような……まるで水の中にいて、息ができないような。
シュメルヒの額に汗が滲んだ。
「っ、……ヨアン殿下、お鎮めください! すぐに気を鎮めて! でないとシュメルヒ様が失神しますよ!」
キリアスがヨアンの肩を掴み、ぐいと揺する。同時に、周りに聞こえないように押し殺した声で耳打ちした。
「……ッ⁉ 妃……シュメルヒ⁉ 僕、僕は……ごめん、大丈夫か……⁉」
ヨアンがハッと我に返ったと同時に、シュメルヒは水中から引っ張り上げられ息を吸い込んだかのように、ドッと肺に空気が入ってきた。口元を押さえ、大きく深呼吸した。
(なんだ、今のは一体、何が起こった……?)
ヨアンがおろおろとシュメルヒの手を握り、心配そうに顔を覗き込んでくる。
「もう大丈夫です、ヨアン様」
「本当か? ごめん、僕のせいで苦しませた。わざとじゃないんだ、許して」
「ヨアン様の……? それはどういう」
キリアスは二人の様子を観察し、シュメルヒに向かって訊ねた。
「妃殿下。たった今アルファの威圧に当てられたのですよ。……驚きました。大丈夫ですか? 慣れぬとお身体がお辛いでしょう」
「威圧……では今のが、ヨアン様の?」
話には聞いていた。アルファ性の持つ特性の一つで、感情が揺らいだり、番にまつわる情動が昂ると発露するという<威圧>。オメガの香気と異なるのは、それがオメガやアルファとは無関係の人間にまで作用する点だ。今も、シュメルヒだけでなくキリアスまでもが感じ取ったように。
「さっきの息苦しさが、ヨアン様の威圧なのですか……? アルファの威圧とはあんなに強いものだったのですね」
キリアスは「いえ……」と口ごもった。
「いや、私も驚いて……ヨアン殿下はこれまでは……」
シュメルヒはキリアスの様子がいつもと違うのに気付いて怪訝に思ったが、ヨアンが申し訳なさそうな顔で見てくるのに気付き、
「気にしないでください、ヨアン様。目の当たりにしたのが初めてで、少し驚いただけです」
「……初めて? 妃殿下、アルファの<威圧>に当たったのは、今回が初めてなのですか……?」
キリアスが割り込んでくる。
「ええ。それが?」
「いえ……いえ、なんでもありません」
身近なアルファはジュールだけだったが、彼から威圧を感じたことはなかった。ジュールは温和な性格で、感情を昂らせる場面がなかったからだろう。そういえば、前世でもヨアンから威圧が発せられたことはない。
シュメルヒはヨアンに向き直った。
「それよりヨアン様こそ平気ですか? 何か、お気に触ることがあったのでは?」
「僕は、ただ……いや、何でもない。妃を困らせたいわけじゃなかった。この話は後でしよう」
「……? はい、ヨアン様」
妙な雰囲気になってしまった。思い詰めたように俯くヨアン。何かを考え込んでいるキリアス。そして……。シュメルヒが視線を流した先で、イルミナはヨアンを見ていた。
「イルミナさま? どうかされましたか?」
イルミナはハッとしてシュメルヒを見た。ぎこちない笑みが浮かぶ。
「ああ、いえ。ごめんなさい。少し驚いただけよ。ヨアンは感情が激しやすいところがあるから、注意しなくては」
「ヨアン様はこの頃よく自制なされていますから、ご心配いりませんよ。審理の前だからかもしれませんね」
ヨアンがムッとした顔で割り込んだ。
「普段は自制出来てないみたいな言い方じゃないか」
「でもヨアン様、本当のことですよ?」
「うるさいな。そういう妃だって最初の頃は」
カツン、とキリアスが踵を鳴らした。
「お二人ともそれくらいに。……知らぬ間に随分仲睦まじくなられたようで何よりですが……そろそろ始まりますよ」
広間に司祭、そして見知った副司祭のギヨムが入室してきた。
集まった人々の波が部屋の中央に吸い寄せられてゆく。中央には大聖堂と似た噴水台が置かれ、透明な水が湧き出でていた。水は不思議と台座からあふれ出ることなく、こんこんと湧き出で続けている。
ヨアンは決められていたように、噴水の脇に立った。シュメルヒも少し後ろの位置に立つ。取り巻いた人々の視線が突き刺さる中、正面の司祭が口を開いた。
「殿下。審理の結論が下りました。我々の下した結論は……こたびの<水の祈り> 水の精霊はヨアン殿下への加護を授けなかった。祈りは聞き届けられませんでした……誠に残念です、殿下」
司祭の声は重々しかったが、シュメルヒにはそれが本心からなのか、それとも場に即した声音を取り繕っているのか分からなかった。分かるのは、公然と皆の前でそんな風に言われたヨアンの気持ちはどれほど沈痛か、ということだった。
(前世では癇癪を起こされていたが……いや、今思えばあれば癇癪というより、正当な抗議だったのだ。誰も取り合わなかったっだけで)
前世でヨアンは一言も<怪物>に触れなかった。黙っていたのには理由があるはずだ。裏で圧力を掛けられていたのか、それとも証拠もなく誰も信じないと諦めていたのか。前世のヨアンが何を思っていたのか知る術はもうない。
ヨアンを見ると、その表情は落ち着いていた。審理の結果は想定内だったようで、静かに受け入れている。前世のヨアンとは反対の態度だ。
「審理の結果を受け入れる。僕が水の精霊の加護を受け取れなかったと神殿が判断したなら、それが事実なんだろう」
ヨアンは悪くない。悪くないけれど、矢面に立って責められなくてはいけないのだろうか。地下で起こった異常事態をシュメルヒは知っているのに、このまま何も言わずただヨアンの隣で突っ立っていて、それでいいのか……?
「皆の期待に応えられなかったのは悪かったと思う」
離れた場所にいたキリアスは驚きに目を瞠っていた。ヨアンの性格を知る身としては、予想だにしなかった言葉だ。
それは司祭も同じだったようで、ヨアンの反応が思っていたのと違うと言いたげな、どこか落ちかない面持ちだった。
「そうですか……殿下におかれましては、我々の審理を受け入れてくださったようで何よりです」
司祭は仕切り直すように、「もう一つお伝えしなくてはなりません」と告げた。その目がギョロ、と動き真横のシュメルヒを捉える。
「……妃殿下、あなた様が祈りの儀式の禁を破ったことについてです。これは重大な、我々オスロの民への無礼に他ならない。……よって神殿は、ヨアン殿下に正式に進言いたします。水の精霊のご加護を受けてこその我らオスロの民なのです。これを妨害した咎は重い。どうかシュメルヒ妃殿下との婚姻を無効とし、即刻、妃殿下の身柄をイレニアに返還することにご同意くださいませ」
息を詰めたシュメルヒの横で、ヨアンは凍りついたように表情を無くし、次の瞬間、その目が吊り上がり一気に火種が燃え盛るかの如く火花が散った。
ヨアンと……そしてシュメルヒだ。
「シュメルヒ妃殿下……?」
シュメルヒはキリアスの呼びかけに応えようとしたが、喉の奥に声がつっかえてヒュ、という笛のような音をさせただけだった。苦しい。全身が金縛りにあったような……まるで水の中にいて、息ができないような。
シュメルヒの額に汗が滲んだ。
「っ、……ヨアン殿下、お鎮めください! すぐに気を鎮めて! でないとシュメルヒ様が失神しますよ!」
キリアスがヨアンの肩を掴み、ぐいと揺する。同時に、周りに聞こえないように押し殺した声で耳打ちした。
「……ッ⁉ 妃……シュメルヒ⁉ 僕、僕は……ごめん、大丈夫か……⁉」
ヨアンがハッと我に返ったと同時に、シュメルヒは水中から引っ張り上げられ息を吸い込んだかのように、ドッと肺に空気が入ってきた。口元を押さえ、大きく深呼吸した。
(なんだ、今のは一体、何が起こった……?)
ヨアンがおろおろとシュメルヒの手を握り、心配そうに顔を覗き込んでくる。
「もう大丈夫です、ヨアン様」
「本当か? ごめん、僕のせいで苦しませた。わざとじゃないんだ、許して」
「ヨアン様の……? それはどういう」
キリアスは二人の様子を観察し、シュメルヒに向かって訊ねた。
「妃殿下。たった今アルファの威圧に当てられたのですよ。……驚きました。大丈夫ですか? 慣れぬとお身体がお辛いでしょう」
「威圧……では今のが、ヨアン様の?」
話には聞いていた。アルファ性の持つ特性の一つで、感情が揺らいだり、番にまつわる情動が昂ると発露するという<威圧>。オメガの香気と異なるのは、それがオメガやアルファとは無関係の人間にまで作用する点だ。今も、シュメルヒだけでなくキリアスまでもが感じ取ったように。
「さっきの息苦しさが、ヨアン様の威圧なのですか……? アルファの威圧とはあんなに強いものだったのですね」
キリアスは「いえ……」と口ごもった。
「いや、私も驚いて……ヨアン殿下はこれまでは……」
シュメルヒはキリアスの様子がいつもと違うのに気付いて怪訝に思ったが、ヨアンが申し訳なさそうな顔で見てくるのに気付き、
「気にしないでください、ヨアン様。目の当たりにしたのが初めてで、少し驚いただけです」
「……初めて? 妃殿下、アルファの<威圧>に当たったのは、今回が初めてなのですか……?」
キリアスが割り込んでくる。
「ええ。それが?」
「いえ……いえ、なんでもありません」
身近なアルファはジュールだけだったが、彼から威圧を感じたことはなかった。ジュールは温和な性格で、感情を昂らせる場面がなかったからだろう。そういえば、前世でもヨアンから威圧が発せられたことはない。
シュメルヒはヨアンに向き直った。
「それよりヨアン様こそ平気ですか? 何か、お気に触ることがあったのでは?」
「僕は、ただ……いや、何でもない。妃を困らせたいわけじゃなかった。この話は後でしよう」
「……? はい、ヨアン様」
妙な雰囲気になってしまった。思い詰めたように俯くヨアン。何かを考え込んでいるキリアス。そして……。シュメルヒが視線を流した先で、イルミナはヨアンを見ていた。
「イルミナさま? どうかされましたか?」
イルミナはハッとしてシュメルヒを見た。ぎこちない笑みが浮かぶ。
「ああ、いえ。ごめんなさい。少し驚いただけよ。ヨアンは感情が激しやすいところがあるから、注意しなくては」
「ヨアン様はこの頃よく自制なされていますから、ご心配いりませんよ。審理の前だからかもしれませんね」
ヨアンがムッとした顔で割り込んだ。
「普段は自制出来てないみたいな言い方じゃないか」
「でもヨアン様、本当のことですよ?」
「うるさいな。そういう妃だって最初の頃は」
カツン、とキリアスが踵を鳴らした。
「お二人ともそれくらいに。……知らぬ間に随分仲睦まじくなられたようで何よりですが……そろそろ始まりますよ」
広間に司祭、そして見知った副司祭のギヨムが入室してきた。
集まった人々の波が部屋の中央に吸い寄せられてゆく。中央には大聖堂と似た噴水台が置かれ、透明な水が湧き出でていた。水は不思議と台座からあふれ出ることなく、こんこんと湧き出で続けている。
ヨアンは決められていたように、噴水の脇に立った。シュメルヒも少し後ろの位置に立つ。取り巻いた人々の視線が突き刺さる中、正面の司祭が口を開いた。
「殿下。審理の結論が下りました。我々の下した結論は……こたびの<水の祈り> 水の精霊はヨアン殿下への加護を授けなかった。祈りは聞き届けられませんでした……誠に残念です、殿下」
司祭の声は重々しかったが、シュメルヒにはそれが本心からなのか、それとも場に即した声音を取り繕っているのか分からなかった。分かるのは、公然と皆の前でそんな風に言われたヨアンの気持ちはどれほど沈痛か、ということだった。
(前世では癇癪を起こされていたが……いや、今思えばあれば癇癪というより、正当な抗議だったのだ。誰も取り合わなかったっだけで)
前世でヨアンは一言も<怪物>に触れなかった。黙っていたのには理由があるはずだ。裏で圧力を掛けられていたのか、それとも証拠もなく誰も信じないと諦めていたのか。前世のヨアンが何を思っていたのか知る術はもうない。
ヨアンを見ると、その表情は落ち着いていた。審理の結果は想定内だったようで、静かに受け入れている。前世のヨアンとは反対の態度だ。
「審理の結果を受け入れる。僕が水の精霊の加護を受け取れなかったと神殿が判断したなら、それが事実なんだろう」
ヨアンは悪くない。悪くないけれど、矢面に立って責められなくてはいけないのだろうか。地下で起こった異常事態をシュメルヒは知っているのに、このまま何も言わずただヨアンの隣で突っ立っていて、それでいいのか……?
「皆の期待に応えられなかったのは悪かったと思う」
離れた場所にいたキリアスは驚きに目を瞠っていた。ヨアンの性格を知る身としては、予想だにしなかった言葉だ。
それは司祭も同じだったようで、ヨアンの反応が思っていたのと違うと言いたげな、どこか落ちかない面持ちだった。
「そうですか……殿下におかれましては、我々の審理を受け入れてくださったようで何よりです」
司祭は仕切り直すように、「もう一つお伝えしなくてはなりません」と告げた。その目がギョロ、と動き真横のシュメルヒを捉える。
「……妃殿下、あなた様が祈りの儀式の禁を破ったことについてです。これは重大な、我々オスロの民への無礼に他ならない。……よって神殿は、ヨアン殿下に正式に進言いたします。水の精霊のご加護を受けてこその我らオスロの民なのです。これを妨害した咎は重い。どうかシュメルヒ妃殿下との婚姻を無効とし、即刻、妃殿下の身柄をイレニアに返還することにご同意くださいませ」
息を詰めたシュメルヒの横で、ヨアンは凍りついたように表情を無くし、次の瞬間、その目が吊り上がり一気に火種が燃え盛るかの如く火花が散った。
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