死に戻り毒妃の、二度目の仮婚 【オメガバース】

飛鳥えん

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元婚約者との再会 (改)

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「ヨアン様、ブローチの位置が左に寄っていますよ。直してください」

 シュメルヒは自身の袖口と黒絹の手袋の境にほつれがないか確認しながら、鏡越しのヨアンにそう話しかけた。

 もうしばらくしたらキリアスがイレニアの使節を伴って大広間に入場してくる。

 歓迎のあいさつをするヨアンに付き添い、シュメルヒも支度をしているところだった。すでに支度を終えたヨアンは、鏡の前に立つシュメルヒを後ろから眺め、長椅子に頬杖をついてだらりと腰かけている。

 礼装の時のヨアンは黒生地に金の刺繍を刺した衣装で、白貂のマントを肩に掛けている。

 婚礼の時にも身にまとっていたマントだ。十四歳だった当時のヨアンの歩行を邪魔しそうだったマントは、今やすっかりヨアンの身を飾る装飾の一部だった。マントと衣装を留める金具の役割を乳白色をした月光石のブローチが果たしている。それが少し左にずれていた。

「……ん」

 気のない返事に、シュメルヒは手を止めて振り返った。ぼんやりしているヨアンと目が合う。

「聞こえていらっしゃいますか、ヨアン様」

「ああ……綺麗だ、すごく」

「聞いてないじゃありませんか」

 シュメルヒは呆れて、ヨアンに歩み寄ると身を屈めてブローチの位置を直した。はらりと落ちた髪のひと房をヨアンが指で弄る。

「遊ばないで。使節たちを待たせてはいけませんから、もう行きましょう」

「ああ……いや待て。あれを付け忘れてる。……アンヌ!」

 ヨアンの声に、アンヌがそそと前に出て、いつものように装飾された宝石箱を掲げた。ヨアンが蓋を開けると、見慣れた装飾具が鎮座している。

「後ろを向いてくれ」

 ヨアンがいつものように言う。シュメルヒもごく自然に片手で長い髪をすくってうなじを晒すと、ヨアンが手慣れた手つきで装飾具——特注の首輪をそこに嵌めた。

 カチリ、と金属が噛み合わさる音がする。一度付けてしまえば、鍵を持つヨアンだけが解除できる特別な首輪だ。白金の素材の中央には緑柱石が嵌っている。シュメルヒがまとう銀の刺繍を施した黒衣によく映えた。

「素敵。本日もお美しいですわ。妃殿下」

「ありがとう。ハビも、いつもご苦労様です」

「いえいえ。お髪が伸びてきましたから、少し結い方を変えてみました。よくお似合いですよ」

 毎度のことながらにこにこと嬉しそうに賛辞してくれるアンヌの横で、ハビエルも得意気な顔をしている。シュメルヒの長い髪を結いあげるのは彼の役目だ。祖国からの貴賓を迎えるというので、いつも以上に張り切られた結果、やや頭が重い。細かく編み込んだり複雑に交差させてある髪束が崩れないか心配だ。

 ヨアンの手が耳飾りに触れた。水滴の形をした石は首輪と同じく緑柱石だ。シュメルヒが好んで身に着ける宝石はオスロが産出する緑柱石……王宮では皆が知っている。

「これがあるとなんだか落ち着きます」

「俺は時々邪魔に思うが……まあ妃がそう思うならいい」

「ええ。ヨアン様が常に手で触れて、守ってくださっているような気がするのです」

 目を伏せ、指先で首もとをなぞる。冷たかった金属は肌に付けるとすぐに体温に馴染んでくれる。ヨアンは眉を寄せた。

「それだと、まるで俺が妃の首を両手で絞めているように思わないのか? そういう風に聞こえたぞ」

 シュメルヒは思わず、大きな両手で首を絞めてくるヨアンを想像してふふっと笑ってしまった。だがすぐに、そんな想像をしてしまったことを反省する。

「不謹慎ですよ、ヨアン様」

「先に言ったのは妃の方じゃないか」

 ヨアンは呆れた表情をしたが、悪い笑みを浮かべると、シュメルヒの肩を引き寄せて耳元に唇を近づけた。

「なら今度そうしてみよう。妃が笑っていられるか試そう……夜に」

「ッ、ヨアン様!」

 シュメルヒが怒った顔でヨアンを押し返した。赤くなった顔で睨みつける。ヨアンは面白がる顔つきだ。

 パッと両手を上げて降参だと言うように後ろへ下がった。

「冗談だ。俺が妃に酷いことできると思うか?」

「そうやってすぐおふざけになるから、いつも支度が遅れるのです!」

「悪かった、もうふざけない」

「使節の前では真面目になさってください」

「分かってる」

 ヨアンのいい加減な返事はどうにも信用できない。釘をさしておく必要があるかもしれない、と思う一方、これからする話がヨアンの機嫌を損ねるだろうことも容易く想像がつく。

 シュメルヒは少し言い淀んでから、

「……振る舞いにお気を付け下さいね、ヨアン様。これまでの来賓と違って、今回はイレニアの使節たちですから」

 遠回しな言い方になってしまった。ナーシャの輿入れが近づく今、使節たちはおそらく「確認」と「念押し」のために来ている。表向きは物資を支援しているマゼル運河の工事の進捗を視察するためだとされているが、裏の目的はそちらだろう。

(ご成長されたヨアン様が妹を正妃として迎える心積もりでいるかの確認をしに来たのだろうな……)

「またその話か」

 ヨアンは少しだけ寂しい表情を浮かべてシュメルヒの頬に手を当てた。俯いている顔を持ち上げ、子供に言い聞かす口調で告げる。

「『いつも通り』の俺たちで出迎えてやればいいんだろう? 分かってるからそんな顔をするな。胸が苦しくなる」

「……どんな顔だというのです」

 ヨアンはニッと唇を吊り上げた。

「さあな、鏡で見てみたらいいじゃないか」

 意地悪をする時の声音だ。言われた通り鏡を覗き込んでみた。

 オスロの仮妃として正装した姿はこの四年間で何度も見慣れたものだ。そしてその表情は……親とはぐれて途方に暮れる幼子が泣き出すのを堪えているようだった。

 シュメルヒは無言で、もう一度ヨアンの肩を押し返した。ヨアンに何もかも見透かされている気がして悔しかった。

知った上で、ヨアンはきっとシュメルヒを手放す。

 愛している。好き。妃だけ。

 ヨアンがくれる言葉が積もれば積もるほど、シュメルヒの心がぐしゃぐしゃになる。

(離れたくない。離さないで。どうか手放さないで)

 無理と知りながら卑しく縋ってしまいそうになる。

 ヨアンはきっと、それを知っている。知っていて、いつかきっと正しい選択をする。

 だからこそ、今のシュメルヒにたくさん『恵んでくれる』のだ。シュメルヒを傷付けないよう、これから先、ひとりでも耐えていけるよう……優しいことばをくれる。そうに違いない。

 その証拠に、ヨアンは数か月に一度のヒートが来てもシュメルヒと肌を合わそうとしない。

 そうしたところでヨアンの立場が不味くなることはないのに、ただシュメルヒの熱をおさめるためだけに側に寄り添う。面倒で仕方ないはずなのに、頑なにシュメルヒを抱かないのも、ヨアンなら簡単に外せる首輪を引き千切って項を噛まないのも。

 全部、そうすべきでないとヨアンも心の奥では思っているからだ。

 だからシュメルヒが何を思っても変わらない。確かなのは、ヨアンの傍にいる資格があるのは妹のナーシャで、シュメルヒにその可能性はひとかけらも落ちてこないということだけ。


 いっそのこと。

 暗い考えが頭をよぎり出したのは、いつの頃からだろう。

 いっそのこと、最後の思い出にと懇願したら……。深く口づけても毒の効果はない。シュメルヒがヨアンを心の底で求めているから……ヨアンにだけは毒が効かないのだ。そして、お互いそのことに勘付いている。

(浅ましい……ヨアン様の同情を買って抱いて頂こうなど、なんて汚らわしいんだ、私は)

 毒が効かないと分かった時点でシュメルヒのヨアンに対する感情をさらけ出しているも同然だった。ヨアンがシュメルヒに優しいのも、それが理由だろう。望みのない恋情を抱いたことを憐れまれているのだ、きっと。


(最初は何とも思っていなかった。自分が死なないためだった。そのうち、年の離れた貴方がどうしてか気になりだして……今はもう、貴方が傍にいない未来が死ぬより怖いだなんて、どうして口にできるだろう)
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