死に戻り毒妃の、二度目の仮婚 【オメガバース】

飛鳥えん

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婚礼

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荘厳な鐘の音が響き渡る大聖堂の大広間。

中央に敷かれた深紅の絨毯の上を、幼い淑女たちが花籠から花びらを散らして先導している。
床まで届くレース織のヴェールを被り、この日のために職人が一年がかりで制作した純白の婚礼衣装に身を包み、シュメルヒは前方の祭壇……小さな噴水台に向かって粛々と歩いた。

噴水台から流れ落ちる水はそのまま大理石の床に彫られた細い側溝を通り、王宮の水路へとつながっている。
水の豊かなオスロは至る所に綺麗な水が流れる人口の水路があり、王宮の中もふとした場所に水が湧き出ていた。屋内にも水圧を利用して水を汲み上げる仕組みがあり、一階以外にも炊事場や湯殿があるのはそのおかげだった。

シュメルヒは沐浴が好きだ。
オスロでは沐浴にも潤沢に水を使えることに、前世で驚かされたものだった。
水はオスロでは神聖なものとされ、教会や聖堂には必ず噴水台が誂えてある。

大聖堂はオスロ王宮内に建てられているが、支柱の周りは壁で覆われておらず、外からの風が緩く吹き込んでくる。オスロの気候のためだろう、イレニアの寒気を防ぐための堅固な石造りと異なり、大理石を切り出し木材と組み合わせて作られたオスロの王宮は、開放感があり、荘厳でありながらどこか素朴な風合いもあった。
今は春先とあって、蜜蜂が舞い、王宮に植えられた花々は甘い香りを運んでくる。

(この大聖堂も変わらない。<あの時>と同じ造りで、同じ位置に騎士たち並んでいる)

そんなことを思いながら白い大理石の空間を歩むシュメルヒを両側から眺め、賓客たちは束の間、その姿に陶然とした。
「まあご覧になって……透き通るような美しさとは、まさにこのことですわ」
「雪の精霊と吟遊詩人が誉めそやすのも無理ない。長い髪がまるで朝日に照らされた雪のようだ」
「はは、しかし美しい花ほど毒は強いと言いますからな。こうして傍から眺めているくらいが丁度良い」
「しっ、陛下の耳に入ったら大変ですわよ。でも本当に、あれで触れたら肌が爛れる毒を身に宿しているなんて、神様は残酷なことをなさる」
「爛れる?そんなものではすみませんぞ。聞いた話では、腐って落ちるそうです」

(……聞こえてくる話も同じだな。爛れるだの腐り落ちるだの。いっそその程度の毒ならよかったのに)

噴水台の前には、緊張した面持ちの少年が立っている。
シュメルヒは彼を視界にとらえると、無意識に手袋がちゃんと嵌っているか確認した。
いつもの黒絹の手袋ではなく、婚礼衣装に合わせて白地に金の刺繍がされている。

(……小さい、な。こんなに背が低くて細かっただろうか)
オスロ皇族の正装―黒に金の刺繍を施した婚礼衣装は、少年がまとうことで、本人の華奢な体格が強調されていた。
大きな緑色の目、柔らかそうな黒髪を後ろに撫でつけ、胸元に光る月光石のブローチのほか、華美な装飾品はない。
(黒い豹の子供みたいだ……あるいは黒猫)
前世では婚礼の間、まじまじとヨアンを見る心の余裕がなかった。

こうしてみると、身体つきは貧相でも、顔立ちはやはりエセル王妃に似て端正だ。
黒ヒョウの子を思い浮かべたのは、ヨアンのまとう色彩のせいかもしれない。

黒髪、緑目……自分とは正反対の濃い色彩が、ヨアンのアルファ性としての力強さを想起させた。
白貂の毛皮のマントは少年にはまだ重いのだろう、身じろぎすると裾が足に絡まりそうになっていた。

向かい合ったヨアンは、一度シュメルヒの顔を見上げた後、次の瞬間にはサッと視線を逸らしてしまった。
青白い頬が火照ったように赤くなっている気がしたが、薄いベール越しではよく分からない。

(これもあの時と同じだ。やっぱり、私のことはお気に召されなかったか……)

ナーシャのためにも、今世では出来るだけ友好な関係を築きたいと思ってはいるものの、最初から上手くはいかないようだ。
年上だし、ナーシャのように愛くるしい顔立ちではない。何より、<毒持ち>であることをヨアンが知らないはずがない。

(せめて嫌われないようにしたいのに……)

「水の精霊の御名のもと、ここにオスロ皇国第一皇子ヨアン・アルディオ・オルデンと、イレニア王国第一皇子シュメルヒ、両名の婚姻を認めます。お二人とも、そしてこの場にいる者たちの中で、この婚姻に異議のある者は」

大司教の口上を遮って、中央の通路から悲鳴が上がった。

背後から、こちらに向かって迫ってくる気配―。
次の瞬間、シュメルヒはベールを剥ぐと振り向きざまに、眼前に現れた<それ>に向かって投げつけた。

「衛兵っ!衛兵!殿下をお守りしろ」
怒号が飛び交う中、長いベールを顔面に叩きつけられた<男>は唸り声をあげて滅茶苦茶に暴れた。
布を裂く音がして、繊細なベールが引き裂かれ大理石の上に落ちる。

男は手に持った短剣を振りかざし、猛然と二人に……いや、ヨアン目掛けて突っ込んできた。
「どけっ!!」
シュメルヒにか、はたまた司祭に向けてか。男が怒鳴る。
ヨアンは自分に突っ込んでくる男に目が釘付けになり、真っ青なまま固まっていた。

(この男っ……いや、それより<前>はすぐ衛兵が取り押さえたはずなのに何故誰も来ない!?)

「殿下!こっちへ!早く!!」
咄嗟に手を伸ばしてヨアンを呼ぶが、ヨアンは持ち上げた手をためらうように彷徨わせ、胸元のブローチを握った。

「次期国王、怠惰な愚王の息子よ!父親の後を追うがいい!」

(ヨアン様!……間に合わない!)

振り下ろされた白刃の下、鮮やかな血飛沫が空中に咲いた。

「ぐぅおああっ、俺の、おえのめえがあっ、ああ」

鼻腔を吐く酸の臭気。
それが徐々に変化し、やがて腐った果実のごとき甘い香りが充満する頃、絨毯の上でのたうち回っていた男は絶命していた。

しばしの静寂……ついで、堰を切ったような悲鳴が大聖堂に響いた。

「っ、……」
シュメルヒは蹲って肩の傷口に手袋を押し当てた。紅い血がじわじわと婚礼衣装の白に染み込んでいく。
止血のために傷口を強く押すと抉れるような痛みが広がって、冷や汗が噴き出した。
は、は、と吐く息が荒くなる。

(前世と違う、なんでこんな……ヨアン様、ヨアン様はご無事か……まずい、血が……とにかくこれ以上血が零れないようにしないと)

「遠ざけてください、ヨアン様をっ、」
呻きながら周囲を見回すと、とっくにヨアンは騎士たちによって遠ざけられていた。
賓客たちも波のように大聖堂から外へと避難し、残ったのは司教や皇族、近臣だけのようだ。

床に伏したまま彼らを見上げると、皆一斉に怯えたような、あるいは明確な忌避感情を持って後退した。

(ヨアン様はご無事だ……よかった)

少年の表情はよく見えないが、きっと目の前で起きた惨事に怯えているに違いない。
まさかこんなことになるなんて……。

(よりにもよって<毒>の効果を目の前で見せてしまうなんて……もう駄目だ。一生私に恐怖するに決まってる。万が一、婚姻が破棄なんてことになったら、ナーシャに顔向けできない……!)

怪我とは別の理由から頭が真っ白になる。その時、カツカツと大理石を踏む靴音が聞こえた。
それは蹲るシュメルヒの真横で止まった。
痛みに呻きながら、そろそろと見上げる。

その瞬間、猛烈な既視感を覚えた。

「キリアス、ライゼン……?」
「おや。初対面と存じますが、わたくしのような者までお見知りおいていただけるとは、光栄でございます」
「……」
「早急に手当てをしませんと。見たところ刃がかすっているようですが、綺麗に切れましたね。感染症にでも罹ったら大事です。早く水で洗い流さねば」
「……感染症なら心配ない。あれも広義の毒だから、私には耐性がある。それより、止血をしたい。焼き鏝と酒を持ってきてくれないか。酒はなるべく度数の強いものを」

キリアスが眉をひそめた。
大陸語が通じなかったのかと思ったが、そんなはずもなかった。
覚えている限り、キリアスは大陸語もイレニア語も話せたはずだ。

案の定、キリアスはすぐに大陸語で返してきた。

「聞き間違いでしょうか。今なんと?焼き鏝?まさか火で炙って傷を塞ぐ気ですか?……ここは野営基地ではないのですよ?医者に縫ってもらえば済む話です」

失血と寒気でだんだんと苛々してきた。
馬鹿丁寧な口調も、皆が張りつめて傍観する中、余裕しゃくしゃくとシュメルヒに近づく度胸も、まるで自分は怖い物などないと言っているようで腹が立つ。
キリアスのこういう所が、前世でも気に喰わなかったのだ。

「イレニアでは自分で手当てできないような怪我をしたらそうするよう、やり方も習っている。道具さえ用意してくれたらあとは自分で出来る。それから……<毒>の効能は鮮血にしかない。流れ出てから時間が経った血は<毒>ではないから、床の血は水で洗い流してくれたらいい」
一息に言うと、そろそろと立ち上がった。
痛みはあるが、傷自体は浅い。
キリアスの言うように、綺麗にすぱっと切れたから、出血が多かったのだろう。

「イレニアは医術も進んだ国だというのに、皇子が怪我をしたら焼き鏝で炙る? はぁ、信じられませんね」
「……自分で手当てできない時だけです」
「同じでしょう。幸い、私の用意しておいた物が早速役に立ちそうで安心いたしました。まだ試作段階ですが、このくらいの傷なら大丈夫でしょう。……おい、担架を持ってこい」
「……なにを?」
「担架ですよ。ご存ありませんか?急病人を運ぶための道具です」
「そんなことは知っている、が」
「では早くお乗りください、殿下……いえ、妃殿下」
「……」
妃殿下……キリアスにそう呼ばれるのは今生では初めてだ。
シュメルヒの視線を受けて、キリアスが小さく口の端を吊り上げた。
内緒話をするように顔を近づける。

「こんな事になりましたが、式はつつがなく執り行われたと国民に伝えます。それに臆病な連中は死体に大騒ぎしておりますが、あれは皇太子に仇なそうとした逆賊です。御身を賭してヨアン様を庇われた貴方様に、文句をつける輩がおりましょうか。……それにしても」

衛兵が運んできた担架に乗るのに手を貸しながら、小声で続ける。

「不測の事態にあれほど素早く対処なさったこと、敬服いたします。賊が飛び出したのとほぼ同時にベールを投げて視界を塞ぐなど、まるでこうなる事が分かっていたようでした」

驚いてキリアスを見返す。
思ったより近くにあった若く秀麗な顔は、言葉通りの笑みを浮かべている。
細められた灰色の瞳だけは、探るようにシュメルヒの目をじっと見据えていた。
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