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王妃の茶会
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「最近、血色がいいですね。シュメルヒ様」
「そうですか?」
「ええ! 頬の辺りとか、ちょっとふっくらしましたよ」
シュメルヒはフォークを置き、手袋越しに顔を触った。
「……肥えたということですか?」
「端的に言えばそうですね。そっちの方がいいですよ。前は雪でできた彫像みたいでしたけど、今はもっと温かみがあります。俺は今のシュメルヒ様の方が好きですね」
「なら構いません」
シュメルヒは軽く頷いて食事を再開した。
「ヨアン殿下に会えるのが嬉しいんですね」
「嬉しいのは、良いことですよね?」
食後の紅茶を飲みながら問えば、ハビエルは目を細めた。
「ヨアン殿下にとっても、シュメルヒ様にとっても良いことです」
ヨアンは相変わらず、つつがない。シュメルヒのことを神官・ナギだと思っていて、シュメルヒの描いた手紙を本人の前で読み上げ、笑い、他愛ないおしゃべりをする。シュメルヒは喋らないので、一方的にヨアンが言いたいことを話すだけだが、ヨアンの察しが良いおかげで会話らしきものが成立している。一日の中で、ヨアンに会うために不気味な地下階段を降りるのが待ち遠しい。何度通っても、あの場所を神聖な場所と思えないのだけはヨアンやオスロの民に申し訳なかったが。
穏やかに凪いだ日々だ。あの鱗の化け物の忠告は、本当に白昼夢だったのかもしれない。
だが心配が無いとは言えない。
ヨアンが怪我をしている時があるのだ。小さなひっかき傷の時もあれば、打撲の痣の時もある。痛み止めの薬と消毒液を渡してある。ヨアンは気にするなと言い、「シュメルヒには言わなくていい」と口止めした。
(祈りを捧げるのに、なぜ怪我を……)
ヨアンの怪我を思い出して食事の止めていると、ハビエルが隣の主寝室で包みを解いていた。綺麗に花まで飾られた包みの送り主はエセル王妃だ。ハビエルは丁寧に包み紙をよけ、中に畳まれていた<衣装>を広げた。
シュメルヒは食事の席を立ってハビエルの後ろから覗き込んだ。
「これは……なるほど、エセル王妃様好みですね」
「シュメルヒ様。褒めてるんですか、それ」
「こういう色は初めてですが……どうでしょう、似合うでしょうか」
ハビエルはニヤッと口の端を上げた。
「お任せを。とびきり素敵に仕上げて御覧に入れますよ」
ハビエルの言葉に嘘がなかったと知るのは、数日後の茶会当日だった。
王宮の庭園内に温室があり、扉を開け放ち、暑気がこもらないようにしてある。屋根のある半屋外といった場所だ。夏咲きの薔薇も咲き誇っている。今は白い五分咲きの薔薇が美しい。
大きめの丸テーブルを運び、真っ白なクロスで覆い、磨かれた食器が並ぶ。紅茶と菓子類のほか、軽食が用意され、辺りには良い匂いが満ちる。
夏の装いをまとった男女がテーブルの周りに集い思い思いに談笑していた。給仕をする侍女や侍従達は忙しそうに立ち歩きながらも、どこか緩い空気が流れ、給仕の手を止め主人と親しく口を利く者もあり和やかだ。エセル王妃の茶会とは、いつもこのような雰囲気であると、彼らも了承しているのだった。
しゃら、と涼し気な金属の擦りあう音がして、何人かが音のした方を振り返った。ほぅ、とため息に似た感嘆が零れた。
「皆さん、来てくださってありがとう。今日は珍しいお客様がいるのよ。緊張してるみたいだから、仲良くしてやって頂戴な」
エセル王妃の紹介文句に、ふっと小さく微笑んだシュメルヒが、無言で目礼した。首をわずかに傾けた時、透き通る翡翠の耳飾りから垂れた細い銀鎖が揺れ、しゃらんと音を立てる。合わせるように、白に近い金の髪が尾長鳥の尾のようにそよいだ。首の後ろで結わえ、銀の紐で編み込み、彫金を施した銀細工の髪留めを飾っている。彫金には耳飾りと合わせた翡翠が埋め込まれていた。
シュメルヒが手の平を上にして差し出すと、エセル王妃が自身の手を乗せる。そのまま、女主人を茶会の中心へといざなう。エセル王妃が耳打ちした。
「お上手。皆貴方に惹きこまれてる。練習通り、上出来よ」
「……皆様を怖がらせてはいませんか」
「人の好奇心を甘く見ないで。獰猛な獣並みに手に負えない。貴方、猛獣を心配してあげるなんて余裕ね」
「手厳しいですね」
「今に貴方にも分かるわ」
早口に会話を交わす間も、エセル王妃の口元には笑顔が絶えまなく浮かんでいる。シュメルヒは頬がひきつりそうになっていた。
「王妃様。お招き下さりありがとうございます。シュメルヒ妃殿下、ご挨拶できて光栄にございます」
「結婚式で拝見した姿も素敵でしたけれど、今のお姿も……ああ、本当によくお似合いでいらっしゃいますわ」
次々と話しかけてくる男女に気圧されながらも、なんとか愛想笑いを浮かべる。エセル王妃は扇を口許に当て、客人たちを見渡した。
「あたくしの見立てなの。いつも淡い御色ばかりで、それも良いのだけど、妃殿下にはこういうのも似合うと思って」
「まあ。王妃様直々に……」
「懇意にされているという噂は聞き及んでおりましたが、さようでしたか」
このやり取りも想定通りだ。衣装を贈るというのは、それだけ近しい間柄の行為である。
シュメルヒの装いは、黒を基調として、差し色の緑、そして銀だ。言わずもがな、黒と緑はヨアンのまとう色彩にちなんでいる。
オメガといっても、性別は男性であるという点に変わりはない。服装に関しても決まりなどないが、容姿に秀でたものが多く、王家出身ともなれば公の場では本人が望むと望まざれど飾り立てられる。衣服に関しては、イレニアの方が華美だ。薄衣を何枚も重ね、襞を作り、肌の見える部分には宝飾を身に着ける。それと比べると、オスロの衣服は簡易で、動きやすさを重視している。かつて狩猟民族だった名残だろうか。
男性の衣装も例に漏れない。身体の線に沿い無駄なく布地が裁たれ、長い裾の下に下履きを履いているため動きやすい。宝飾が控えめな代わりに、袖や襟元に精緻な刺繍が施されている。
イレニアにいた頃は着替えに手間どって大変だったが、オスロの衣服は脱ぎ着が楽でいい。
それにシュメルヒ自身、女性的な外見をしているわけではない。周囲が飾り立てたいのは分かるが、レースや襞を重ねたイレニアの服は重たいばかりで……今にして思えば、あまり好きではなかったのだと思う。オスロの服装はその点、造りからしてシュメルヒの好みであった。
滅多に人前に出ないことで知られたシュメルヒの装いは人々の目に新鮮に映っただけでない。細身で長身のシュメルヒが黒を基調とした衣装をまとうことで、凛とした、無性的な麗しさが際立っていた。白に近い金の髪と黒い衣装の相克が、外見に滲む魔性を引き立ててもいる。エセル王妃は自身の見立てと「仕上がり」に満足してほくそ笑んだ。
客人たちは思い思いに歓談しており、シュメルヒにも興味津々といった様子で話しかけてくる。そういう性格の人間ばかり集めているから、変にシュメルヒを遠巻きにしたり怖がったりする者はここにいない。今もちょうど、シュメルヒの隣に座った若い夫人が、シュメルヒと会話しているところだった。
「料理が趣味なんですの。お恥ずかしいですけれど、領内で採れた林檎のパイをお持ちしました。妃殿下はこういったものは、お召しになりますか?……素人の作ったもので恐れ入りますが」
異国から来た妃殿下にぜひオスロの家庭料理の味を知ってほしいから、と頼んでいたのを実行してくれたようだ。
彼女はリーデラといって、歳は二十歳でシュメルヒとも近いため、彼女を隣の席に配置していた。シュメルヒの美貌にたじろいでいたリーデラだが、毒に怯えた様子はない。大人しいが芯の強い女性で、十五歳年上の夫は当時浮名を流していたがリーデラに惚れこんでからは彼女一筋なのは有名な話だ。
シュメルヒはあれこれ聞いてくる社交家より、大人しいリーデラとの方が気分が寛ぐようだった。勧められるままに皿に盛られた林檎のパイ生地をフォークで解し、小さく口に運ぶ。と、すぐに表情を綻ばせた。子どものように瞬きし、手元のパイとリーデラを見比べている。
「……とても美味しいです」
「本当ですか?」
「あの……もしよろしければ、少し取っておいても構いませんか? ヨアン様にも差し上げたいのです」
エセル王妃の整えられた爪の先が、コツ、とテーブルを叩く寸前に、止まった。
リーデラ夫人の夫は有力貴族のひとりで、先代王の時代から続く名家である。納めている領地も、防壁の要かつ、国内輸送の拠点である。妻を溺愛していることでも有名だ。対するリーデラは素朴な人柄で、貴族には珍しく裏表のある付き合いが嫌いである。そのリーデラは、頬を染め、嬉しそうにふふ、と口元を緩めていた。
「ヨアン殿下とはよくお菓子を召し上がるんですの?」
「私がひとりで食事するのを見かねて、お誘いくださいます。ヨンア様はどうしてか甘いものが好きなのを隠そうとなさるのですが……」
シュメルヒは長い睫毛を伏せて、思い出し笑いをしたようだった。
「近頃は、分かるようになりました。ヨアン様は好きなものを食べた時、こう……少しだけお口の端が上がるんです」
「まあ、うふふ。お可愛らしい、きっと妃殿下に子どもと思われたくないのでしょうね」
「ヨアン様は私の方が子どもだと仰います」
「そうですの? ヨアン殿下が?」
「ええ。ヨアン様は時々意地悪で……でも、とても優しい方です。私がひとりで寂しくないよう、食事に誘ってくださって。馬にも乗せてくださいました。初めて走る馬に乗ったのです」
嬉し気に言うシュメルヒの頬は紅潮して、瞳は輝いていた。リーデラだけでなく、他の貴族達も会話を止め、微笑ましそうにシュメルヒの「ヨアン様」の話に相槌を打っていた。
「ヨアン様は『あんなの乗った内に入らないから、もっと練習しないと駄目だ』と仰って……」
「あら、意地悪ですこと」
「ええ、意地悪なんです、ヨアン様は」
シュメルヒはくすくすと笑った。屈託ない微笑みに、取り巻いた客人は惹きこまれたように見入っていた。黙っているシュメルヒは魔性を纏っていたが、今は無垢な子供のようだ。エセル王妃は目を眇めた。計算しているなら器用だが、おそらく無自覚だろう。これは——。
(ヨアンの手には余るかも)
「ヨアン殿下といえば、良く無い噂も耳にしますな。例えば、ご病気は詐病の疑いがあるとか」
和やかだった皆の視線が一斉に声の方へと集まる。視線の先にいた金髪の男は何食わぬ顔で茶を飲んでいた。
「そうですか?」
「ええ! 頬の辺りとか、ちょっとふっくらしましたよ」
シュメルヒはフォークを置き、手袋越しに顔を触った。
「……肥えたということですか?」
「端的に言えばそうですね。そっちの方がいいですよ。前は雪でできた彫像みたいでしたけど、今はもっと温かみがあります。俺は今のシュメルヒ様の方が好きですね」
「なら構いません」
シュメルヒは軽く頷いて食事を再開した。
「ヨアン殿下に会えるのが嬉しいんですね」
「嬉しいのは、良いことですよね?」
食後の紅茶を飲みながら問えば、ハビエルは目を細めた。
「ヨアン殿下にとっても、シュメルヒ様にとっても良いことです」
ヨアンは相変わらず、つつがない。シュメルヒのことを神官・ナギだと思っていて、シュメルヒの描いた手紙を本人の前で読み上げ、笑い、他愛ないおしゃべりをする。シュメルヒは喋らないので、一方的にヨアンが言いたいことを話すだけだが、ヨアンの察しが良いおかげで会話らしきものが成立している。一日の中で、ヨアンに会うために不気味な地下階段を降りるのが待ち遠しい。何度通っても、あの場所を神聖な場所と思えないのだけはヨアンやオスロの民に申し訳なかったが。
穏やかに凪いだ日々だ。あの鱗の化け物の忠告は、本当に白昼夢だったのかもしれない。
だが心配が無いとは言えない。
ヨアンが怪我をしている時があるのだ。小さなひっかき傷の時もあれば、打撲の痣の時もある。痛み止めの薬と消毒液を渡してある。ヨアンは気にするなと言い、「シュメルヒには言わなくていい」と口止めした。
(祈りを捧げるのに、なぜ怪我を……)
ヨアンの怪我を思い出して食事の止めていると、ハビエルが隣の主寝室で包みを解いていた。綺麗に花まで飾られた包みの送り主はエセル王妃だ。ハビエルは丁寧に包み紙をよけ、中に畳まれていた<衣装>を広げた。
シュメルヒは食事の席を立ってハビエルの後ろから覗き込んだ。
「これは……なるほど、エセル王妃様好みですね」
「シュメルヒ様。褒めてるんですか、それ」
「こういう色は初めてですが……どうでしょう、似合うでしょうか」
ハビエルはニヤッと口の端を上げた。
「お任せを。とびきり素敵に仕上げて御覧に入れますよ」
ハビエルの言葉に嘘がなかったと知るのは、数日後の茶会当日だった。
王宮の庭園内に温室があり、扉を開け放ち、暑気がこもらないようにしてある。屋根のある半屋外といった場所だ。夏咲きの薔薇も咲き誇っている。今は白い五分咲きの薔薇が美しい。
大きめの丸テーブルを運び、真っ白なクロスで覆い、磨かれた食器が並ぶ。紅茶と菓子類のほか、軽食が用意され、辺りには良い匂いが満ちる。
夏の装いをまとった男女がテーブルの周りに集い思い思いに談笑していた。給仕をする侍女や侍従達は忙しそうに立ち歩きながらも、どこか緩い空気が流れ、給仕の手を止め主人と親しく口を利く者もあり和やかだ。エセル王妃の茶会とは、いつもこのような雰囲気であると、彼らも了承しているのだった。
しゃら、と涼し気な金属の擦りあう音がして、何人かが音のした方を振り返った。ほぅ、とため息に似た感嘆が零れた。
「皆さん、来てくださってありがとう。今日は珍しいお客様がいるのよ。緊張してるみたいだから、仲良くしてやって頂戴な」
エセル王妃の紹介文句に、ふっと小さく微笑んだシュメルヒが、無言で目礼した。首をわずかに傾けた時、透き通る翡翠の耳飾りから垂れた細い銀鎖が揺れ、しゃらんと音を立てる。合わせるように、白に近い金の髪が尾長鳥の尾のようにそよいだ。首の後ろで結わえ、銀の紐で編み込み、彫金を施した銀細工の髪留めを飾っている。彫金には耳飾りと合わせた翡翠が埋め込まれていた。
シュメルヒが手の平を上にして差し出すと、エセル王妃が自身の手を乗せる。そのまま、女主人を茶会の中心へといざなう。エセル王妃が耳打ちした。
「お上手。皆貴方に惹きこまれてる。練習通り、上出来よ」
「……皆様を怖がらせてはいませんか」
「人の好奇心を甘く見ないで。獰猛な獣並みに手に負えない。貴方、猛獣を心配してあげるなんて余裕ね」
「手厳しいですね」
「今に貴方にも分かるわ」
早口に会話を交わす間も、エセル王妃の口元には笑顔が絶えまなく浮かんでいる。シュメルヒは頬がひきつりそうになっていた。
「王妃様。お招き下さりありがとうございます。シュメルヒ妃殿下、ご挨拶できて光栄にございます」
「結婚式で拝見した姿も素敵でしたけれど、今のお姿も……ああ、本当によくお似合いでいらっしゃいますわ」
次々と話しかけてくる男女に気圧されながらも、なんとか愛想笑いを浮かべる。エセル王妃は扇を口許に当て、客人たちを見渡した。
「あたくしの見立てなの。いつも淡い御色ばかりで、それも良いのだけど、妃殿下にはこういうのも似合うと思って」
「まあ。王妃様直々に……」
「懇意にされているという噂は聞き及んでおりましたが、さようでしたか」
このやり取りも想定通りだ。衣装を贈るというのは、それだけ近しい間柄の行為である。
シュメルヒの装いは、黒を基調として、差し色の緑、そして銀だ。言わずもがな、黒と緑はヨアンのまとう色彩にちなんでいる。
オメガといっても、性別は男性であるという点に変わりはない。服装に関しても決まりなどないが、容姿に秀でたものが多く、王家出身ともなれば公の場では本人が望むと望まざれど飾り立てられる。衣服に関しては、イレニアの方が華美だ。薄衣を何枚も重ね、襞を作り、肌の見える部分には宝飾を身に着ける。それと比べると、オスロの衣服は簡易で、動きやすさを重視している。かつて狩猟民族だった名残だろうか。
男性の衣装も例に漏れない。身体の線に沿い無駄なく布地が裁たれ、長い裾の下に下履きを履いているため動きやすい。宝飾が控えめな代わりに、袖や襟元に精緻な刺繍が施されている。
イレニアにいた頃は着替えに手間どって大変だったが、オスロの衣服は脱ぎ着が楽でいい。
それにシュメルヒ自身、女性的な外見をしているわけではない。周囲が飾り立てたいのは分かるが、レースや襞を重ねたイレニアの服は重たいばかりで……今にして思えば、あまり好きではなかったのだと思う。オスロの服装はその点、造りからしてシュメルヒの好みであった。
滅多に人前に出ないことで知られたシュメルヒの装いは人々の目に新鮮に映っただけでない。細身で長身のシュメルヒが黒を基調とした衣装をまとうことで、凛とした、無性的な麗しさが際立っていた。白に近い金の髪と黒い衣装の相克が、外見に滲む魔性を引き立ててもいる。エセル王妃は自身の見立てと「仕上がり」に満足してほくそ笑んだ。
客人たちは思い思いに歓談しており、シュメルヒにも興味津々といった様子で話しかけてくる。そういう性格の人間ばかり集めているから、変にシュメルヒを遠巻きにしたり怖がったりする者はここにいない。今もちょうど、シュメルヒの隣に座った若い夫人が、シュメルヒと会話しているところだった。
「料理が趣味なんですの。お恥ずかしいですけれど、領内で採れた林檎のパイをお持ちしました。妃殿下はこういったものは、お召しになりますか?……素人の作ったもので恐れ入りますが」
異国から来た妃殿下にぜひオスロの家庭料理の味を知ってほしいから、と頼んでいたのを実行してくれたようだ。
彼女はリーデラといって、歳は二十歳でシュメルヒとも近いため、彼女を隣の席に配置していた。シュメルヒの美貌にたじろいでいたリーデラだが、毒に怯えた様子はない。大人しいが芯の強い女性で、十五歳年上の夫は当時浮名を流していたがリーデラに惚れこんでからは彼女一筋なのは有名な話だ。
シュメルヒはあれこれ聞いてくる社交家より、大人しいリーデラとの方が気分が寛ぐようだった。勧められるままに皿に盛られた林檎のパイ生地をフォークで解し、小さく口に運ぶ。と、すぐに表情を綻ばせた。子どものように瞬きし、手元のパイとリーデラを見比べている。
「……とても美味しいです」
「本当ですか?」
「あの……もしよろしければ、少し取っておいても構いませんか? ヨアン様にも差し上げたいのです」
エセル王妃の整えられた爪の先が、コツ、とテーブルを叩く寸前に、止まった。
リーデラ夫人の夫は有力貴族のひとりで、先代王の時代から続く名家である。納めている領地も、防壁の要かつ、国内輸送の拠点である。妻を溺愛していることでも有名だ。対するリーデラは素朴な人柄で、貴族には珍しく裏表のある付き合いが嫌いである。そのリーデラは、頬を染め、嬉しそうにふふ、と口元を緩めていた。
「ヨアン殿下とはよくお菓子を召し上がるんですの?」
「私がひとりで食事するのを見かねて、お誘いくださいます。ヨンア様はどうしてか甘いものが好きなのを隠そうとなさるのですが……」
シュメルヒは長い睫毛を伏せて、思い出し笑いをしたようだった。
「近頃は、分かるようになりました。ヨアン様は好きなものを食べた時、こう……少しだけお口の端が上がるんです」
「まあ、うふふ。お可愛らしい、きっと妃殿下に子どもと思われたくないのでしょうね」
「ヨアン様は私の方が子どもだと仰います」
「そうですの? ヨアン殿下が?」
「ええ。ヨアン様は時々意地悪で……でも、とても優しい方です。私がひとりで寂しくないよう、食事に誘ってくださって。馬にも乗せてくださいました。初めて走る馬に乗ったのです」
嬉し気に言うシュメルヒの頬は紅潮して、瞳は輝いていた。リーデラだけでなく、他の貴族達も会話を止め、微笑ましそうにシュメルヒの「ヨアン様」の話に相槌を打っていた。
「ヨアン様は『あんなの乗った内に入らないから、もっと練習しないと駄目だ』と仰って……」
「あら、意地悪ですこと」
「ええ、意地悪なんです、ヨアン様は」
シュメルヒはくすくすと笑った。屈託ない微笑みに、取り巻いた客人は惹きこまれたように見入っていた。黙っているシュメルヒは魔性を纏っていたが、今は無垢な子供のようだ。エセル王妃は目を眇めた。計算しているなら器用だが、おそらく無自覚だろう。これは——。
(ヨアンの手には余るかも)
「ヨアン殿下といえば、良く無い噂も耳にしますな。例えば、ご病気は詐病の疑いがあるとか」
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