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しおりを挟む皆がチラチラとエセル王妃を伺う。その視線を受け流し、笑みを崩さないでいるのは簡単なことだった。茶会には味方ばかりを招待しているわけではない。シュメルヒを身内だけに紹介しても意味がない。ヨアンの妃と懇意にしていることを<内外>に知らしめたいなら、<外>の人間の目が必要なのだ。これくらいのちょっかいは攻撃の内にも入らない。
しかし、お人よしのリーデラはそうではなかったようだ。
「ハルマン男爵。失礼ではありませんか、妃殿下の前でそのようなっ、」
(……驚いた。リーデラ、貴女。あたくしではなく「妃殿下」のために怒るの。すっかり気を許したようね)
裏表がないシュメルヒは、リーデラのような人物にとっては肩入れせずにいられないのだろう。肝心のシュメルヒは、不思議そうにふたりのやり取りを見ていた。
「お気を悪くさせたなら謝ります。しかし噂では、せっかく宮廷医が勧める治療もやめてしまったとか。噂では妃殿下の進言によるそうですが……未来の新王が精神薄弱で癇癪持ち、はては詐病とあっては心配にもなります。いえ、これは私の意見ではなく、あくまで噂ですが」
(「噂では」って何回繰り返すのよ、鬱陶しい)
エセル王妃は呆れたが、素直なリーデラはシュメルヒをの名が出たことで、ますます看過できなくなったようだ。
「噂、でございましょう。妃殿下のお耳に入れるようなことではございませんわ」
リーデラの眦が吊り上がり、険悪な空気が流れた。彼女には悪いが、受け流さなかった時点でハルマンの思うツボである。苦笑し、さてそろそろ空気を変えようかしら、と口を開きかけた時、シュメルヒが「本当にそうでしょうか」と呟いた。
エセル王妃だけでなく、リーデラや他の客人も、一斉にシュメルヒを見た。
「……は。妃殿下、今、なんとおっしゃいました」
ハルマンに向かい、シュメルヒが口を開いた。
「ヨアン様が精神薄弱とは思いません。詐病というのも、違うと思います。イレニアにいた頃様々な症状を書で読みましたが、ヨアン様の症状は神経過敏症が高じた結果でございましょう。皆様が想像する痛みの数十倍も、辛い苦しみです。光や音を何倍も鋭く感じてしまい、目を瞑っても瞼の裏で光が爆ぜ夜も眠れない。不眠からくる不安や苛立ちを周囲にぶつけたとして、誰が責められますか。まして、嘘吐きと決めつけられては。突然襲い来る皮膚の痛みは内側から錐で突かれるような痛みだそうです。……かつて、東洋のある名医が愛する妻に猛毒を飲ませました。妻がこの病で苦しむ姿があまりにかわいそうで、楽にしてやるためでした」
聞き入っていた女性が口元を手で押さえた。昼日中の食事の席でする話ではない。シュメルヒの語調は淡々として、感情は篭っていなかった。
「その女性は、亡くなってしまったのかしら……」
いたましそうに訊いた女性に、シュメルヒはただ静かに微笑んで返した。明言を避けたということは、そういうことだろう。ハルマンは居心地悪そうに言い返した。
「そ、それは妃殿下の憶測でしょう。恐れながら、妃殿下は医者ではございません」
「もちろんでございます。ですが、ヨアン様が癇癪を起こして誰かを傷付けるところは一度も見たことがございません」
「そんなもの、妃殿下の前では見せないだけで……」
「もし私がヨアン様なら、真っ先に癇癪を起こす相手は私であるはずなのです」
周囲は何とも言えない反応を見せた。ハルマンでさえ、一瞬言葉に詰まった。シュメルヒはゆっくりと自身の黒い手袋を抜きとった。手の平をテーブルの上に差し出す。
「この薄い皮膚の下を流れる血は、猛毒でございます。一滴でも飲み込めば全身が麻痺し、多量に浴びれば皮膚が爛れ、腐り落ちる……大聖堂でご覧になられた方もいらっしゃるはず」
何人かが気まずそうに視線をさ迷わせた。あの場にいた者も少なくない。シュメルヒの語る「惨事」は、ヨアンを庇った美談として賛辞される一方、<毒持ち>の恐ろしさを印象付けた一件でもあった。
「想像をしてみてください。ヨアン様は誰より近くで、大聖堂の襲撃をご覧になられていた。もし詐病なら、私ならそれを理由に<毒持ち>の化け物を遠ざけます。病があるから会えないと言って、同じ空間にいることは何としても避けるでしょう」
シュメルヒは手袋を嵌めながら続けた。
「でも、ヨアン様はそうなさいませんでした」
「私と同じ馬に乗り熱を出してから後も、ヨアン様は私と食事をしてくださった。『毒は怖い』と仰りながら、私を腫れもの扱いせず、お傍にいることを許してくださいました。それは、途方もない勇気とお優しさではございませんか」
終始落ち着いたシュメルヒとは反対に、ハルマンは雲行きが怪しくなったことに気付いたようだった。
「……こう言ってはなんですが、それは『イレニアの妃』に対しての気遣いでしょう。妃殿下のお考えは、何というか、綺麗事ではありませんか。王族同士の政略結婚に本人の意思など介在する余地がありますか? 相手が厭わしくても、本心を出せなかっただけでは?」
「貴方のことが嫌でも言い出せなかっただけだ」と。この発言には、リーデラ以外にも眉を顰めた者がいた。リーデラが再度口を開こうとして、はたと停止した。驚きに目を瞠る。
ふわりと、シュメルヒが笑ったのだ。ハルマンでさえ、呆けて見惚れるほど温かみのある笑みだった。
「それなら、ヨアン様は良い王になる資質をお持ちだということですね」
「……は?」
だってそうでしょう?と、シュメルヒは首を傾げた。なんの企みもない、ただ思ったことを口にしただけ、という顔だ。
「祖国の外交のために、<毒持ち>である妃を蔑ろにしない決断をしたのなら、それはまさしく、『私心なく民に尽くす』心根の表れではありませんか」
今度こそ、ハルマンはぽかんと口を開け黙ってしまった。
「皆様にどうかお願いがございます」
ハルマンに対する興味を無くしたように、シュメルヒは固まっていた客人たちをぐるりとを見渡した。
「私は仮の妃です。ご存じの通り、妹のナーシャが嫁ぐまでの中継ぎの妃に過ぎません。ですから……それで、お願いというのは」
それまでの淀みなさから一転して、気遅れ、躊躇い……目に見えない何かに囚われた様子で、シュメルヒの淡い色の瞳が彷徨った。
「ヨアン様を信じて差し上げてください。優しい御方です。きっとご成長されたら、良い王にお成りです。私の妹は幼いですが、聡明な子です。どうか長い目で、ヨアン様と妹をこの先支えてくだされば、嬉しく思います」
シュメルヒは深々と頭を下げた。耳飾りが垂れ、白金の髪がひと房、頬に落ちた。時が止まったように、客人たちが見守る中、リーデラがそっと手袋の上から手を置いた。瞳は熱っぽく、優しさとある種の同情に満ちている。
「もちろんですわ、妃殿下。妃殿下のような方がお慕いする方ですもの。直接お会いしたことはないけれど、ヨアン殿下もきっとお優しい方に違いないと思うわ」
——ああ、その通りですな。
——リーデラ夫人の言う通りです。一体誰が、あんな噂を言い出したのかしら。
——まったくだ。何の根拠もない与太話で王家を侮辱するなど、言語道断も甚だしい。
同調がさざ波のように広がり、我も我もと追従した。
シュメルヒは照れた様子で、安心したように肩の力を抜いてリーデラと話をしていた。すっかり親密な空気が漂っている。
エセル王妃は一連の出来事をつぶさに観察していた。茶番ともいえる幕が下りて思うのは「これが計算でないところが恐ろしい」だった。
シュメルヒの言い分は感情に頼らず論理的だ。だからこそ、ハルマンに反論の余地を与えなかった。人々の悪感情を煽るのが目的のハルマンにとっては、淡々と畳みかけるシュメルヒの返しが効果的だったのだ。
だが、ハルマンをやり込めた後のシュメルヒは、今度は反対に「感情」に訴えた。
自分はヨアンの傍にいられない。いずれは妹に妃の座を譲る……だからいなくなる自分の代わりにふたりを支えて、助けてやってほしい。切実な訴えは聞く者に……特にリーデラのような人間にとっては、絶大な効果があった。
社交に首を突っ込み始めたばかりで、自覚がなくてこれである。
この先、もしも人心を操る術を経験により体得したら……エセル王妃は眉間を揉んだ。
(イレニアはよくこんな人材を使い捨てにしたものだわ)
鍛えれば、実に政治家向きの人格だ。もしくは、権力者の配偶者としての素質がある。
(これ、<毒持ち>の点を差し引いても、お釣りが来るんじゃない……?)
用が済んだらイレニアに帰すの? 妹と交換で? それって凄く……勿体ないのではないかしら。
これまでシュメルヒ個人に思い入れなど無かったが、こうなると話が変わってくる。
ただ、ヨアンに気に入られていたから。期限が来ればオスロからいなくなる彼は、使い勝手が良かったから。
向けられる警戒心から察するに、ヨアンに対する情がある……ヨアンとの和解に協力してくれると思った。それだけだった。それが今、別の感情が割り込んできて、少し困っている。
(陛下は長くない。ヨアンが若くして即位したら、あたくし以外に支えてくれる相手が必要……聡明で、ヨアンの欠点も受け入れる度量の広さと、ある程度の鈍感さがあった方が神経質なヨアンと釣り合いが取れる。王を立て、出しゃばらない従順さがありつつ、いざとなればヨアンを引っ張る度胸も欲しい。かつ、ヨアンの心が弱った時、癒してあげられる包容力も)
さすがに多くを望みすぎかもしれないが、シュメルヒは何個かの条件は満たしてくれそうだった。<毒持ち>となると、跡継ぎは側室に産ませるしかないかもしれないが、……彼ならヨアンために聞き分けてくれそうだ。何なら、妹を側室にするという手もある。
エセル王妃は自身の思い付きをこね回し、しばし物思いに耽った。
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