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妃が信じてくれるなら
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コンコンと扉が叩かれ、ヨアンが応じるとハビエルが中に入って来た。起き上っているシュメルヒを見て、即座に駆け寄ってくる。
「シュメルヒ様……」
「ハビ。ごめんなさい、心配を掛けましたね」
「全くですよ、もう。溺れたり行方不明になったり、いい加減心配するこっちの身にもなってください」
説教口調も、今回ばかりはシュメルヒに全面的に非があるの。大人しく反省するしかない。
「気絶したシュメルヒ様とヨアン様が見つかった時は、もう何が何だか」
「……この従者が僕たちを見つけたんだ。神官たちが使う隠し部屋から入って、ことが発覚した」
ヨアンが割り込んで説明した。心なしか、表情が沈んでいる気がする。
「ヨアン様、先ほど何か言いかけておられませんでしたか?」
「うん……いいんだ。大事な話だから、後で落ち着いたら言うよ」
大事な話とは何だろう。気になったが、今は儀式のことがある。ヨアンにとって、最も重要な懸案事項だ。
「ヨアン様、たしか扉は開かなかったはずでは」
あの時、地下から隠し部屋に通じる下ろし戸は上から重石を乗せられたように上がらなかったはずだ。ヨアンも頷いた。
「うん。だけど彼が来たときは何もなかったし、簡単に開いた。中で僕たちが倒れている以外は」
そんなはずない。あれだけの浸水騒ぎと、異形が壁を破壊した痕跡が何も無いなんて、ありえない。
「審理っていうのはそのことなんだ。落ち着いて聞いて。僕らが発見された時、地下に浸水した痕跡はなかった。水は元通りの高さまで引いていたし、壁も壊れてなかった。それにもちろん……あの怪物もいなかった」
「ありえない……ヨアン様、私も証言します。確かにあの場所には水が満ちていたし、私たちは溺死するところでした。異形の生き物だって確かにこの目で見て、それにほら、傷だってここに」
シュメルヒは手の平を上にして見せた、白い包帯が巻かれた手の平は、あれが夢ではない何よりの証拠ではないか。
「それも僕が妃を短剣で傷つけた証拠にはなるけど、浸水と怪物の証明にはならないと言われた。それに、祭壇には嵌め込んだ玉石も水でほとんど流されたんだ。……水が引けた後、底をさらったけど流れた石は見つからなかった」
「そんな……」
それでは、月を一巡りする間、ヨアンが異形と戦って昼夜問わず玉石を祭壇に捧げたのも、文字通り水泡に帰したということなのか。そんな、そんなことってあるだろうか……あまりにヨアンにとって理不尽ではないか。
しかし、さらにシュメルヒを暗澹たる気持ちにさせたのは、ヨアンの次の言葉だった。
「これは伏せておこうと思ったけど、いずれ耳に入るだろうから言っておく。……妃が無断で<祈りの間>に立ち入ったことが問題になってるんだ。お籠りの間は、誰かの手を借りてはいけない決まりだから……それもあって、<水の祈り>の完遂については審理中だけど、おそらく失敗の判定が出ると思う」
ヨアンの説明は淡々としていて、怒りは憤懣は感じられない。シュメルヒの脳裏に、儀式に反対したシュメルヒを『何も知らない癖に』と怒るヨアンの声が蘇った。思えば、あの時はオスロの信仰を他人事に思っていたし、ヨアンの儀式に向ける真剣さにも無頓着だった。ヨアンの気持ちを想うと申し訳なさがこみ上げる。
だからこそ、今のヨアンの落ち着きぶりが腑に落ちなかった。どうして平静でいられるのだろう。シュメルヒのせいで、ヨアンは周囲に認められる機会を逃してしまったというのに。
「……私が、ヨアン様の邪魔をしてしまったのですね」
「違う」
ヨアンは強い口調で断言した。
「でも、私が勝手なことをしたせいで……ヨアン様はせっかく儀式を務めあげたのに評価されないなんて」
「妃が食べ物や薬をナギに運ばせてくれなかったら、さいごまでやり遂げられなかった。手紙だってそうだ。妃がずっと気にかけて、心配してくれてるって思ったから、あの場所で何日も耐えられたんだ。それに妃が来なかったら溺れて死んでたよ、きっと」
ヨアンはシュメルヒの手の上に自分の手を重ねた。手袋越しの温かさが、じんわりと染み入ってくる。
「誰に何を言われても気にしなくていい。僕が言ってる事だけを信じて。シュメルヒは僕の妃なんだから」
「ヨアン様」
「儀式が失敗したと審理が下されても、別にもういいんだ……母上に聞いたんだよ、茶会でのこと」
「王妃様と話をしたのですか?」
うん、とヨアンがなんとも言えない表情で頷いた。
「部屋に招いて頂いたんだ。物心ついてから初めて入ったけど……あれって……ああ、いや」
「わかります」
ふたりして視線を交わして、気まずい思いで逸らした。あの部屋の有様は、所見の衝撃が大きいだろう。まして、今まで疎遠だった親子が久しぶりに腹を割って話すにはふさわしくない散らかりようだ。
(エセル様……せめてヨアン様を呼ばれるなら掃除くらいなさってください……!)
「貴族達の前で僕のことを庇ってくれたって聞いた……だからもう、妃が信じてくれるなら何を言われても平気だ。怠け者扱いされたって、半分は本当のことだし」
「そんなことっ」
「どうせ仮病だって言われるなら何をしても同じだって決めつけてた。だけど妃が信じてくれるなら、……頑張るよ。勉強は苦手だけど、これからは授業から逃げ出さないようにする」
「私も一緒に勉強いたします、ヨアン様。身体がお辛くなったら無利せず言ってください。誰にも文句は言わせません。きちんと休んで、また続ければいいのです。回復するまで、私がヨアン様のそばについています」
ヨアンはふっと表情を緩めた。
「なんだか最初の時と違う。妃は別人みたいだ。前は絶対そんな強気なこと言わなかった癖に」
「ヨアン様も、前は意地悪なばかりで優しくありませんでした」
そう言うと、ヨアンは期待に応えるように意地の悪い顔をした。
「だって妃の傍にいたらいつか毒の血で死んでしまうんじゃないかって、本気で怖かったんだ」
「今でも怖いですか?」
以前なら、ヨアンの言葉に傷ついて、傷付いたことにさえ気付かないままだったと思う。今は、自分の気持ちが分かる。普通のことなのに、シュメルヒには今までそれが分かっていなかった。普通は、自分の気持ちが手に取るように分かるものなのだ。
「怖いけど、前ほどじゃない、かな」
(やっぱり、ヨアン様はお優しい)
ここで嘘を吐かれたら、今の自分であれば気付いてしまう。「怖い」というのはヨアンの本心だ。「前ほど怖くない」というヨアンの言葉も本心だと分かるから嬉しい。
(だって前と同じなら、ヨアン様は地下であんな真似はしないはずで……)
シュメルヒはさっと青ざめた。思い出してしまった。ヨアンの「蛮行」を。慌てて頭をふって追い出そうとする。
「何してる? 眩暈を起こすからやめなよ」
「これは……ヨアン様が悪いのです」
「……あっそ。今何を考えたのか教えてくれる?」
「嫌です」
ヨアンはにやにやと悪意のある笑みを向けてきたが、シュメルヒは黙殺した。まだ、あの時のことを口にはできない。してはいけない。何故だかそんな気がしていた。
「あのー……お二人とも私のことは忘れていらっしゃると思いますが、よろしいでしょうか」
ふたりして声のした方を向くと、ハビエルはゴホン、と咳払いをした。
「いえ、いいんです。お二人の世界におられるところ、邪魔をして申し訳ないです」
「何を拗ねているんですか、ハビ。貴方がいるのは最初から知っていますよ」
「妃の言う通りだ。置物と同じにしか思ってないから、気にしなくていい」
「シュメルヒ様はいいとして……腹の立つ」
ハビエルはボソッと呟きを落とすと、廊下の外を手で指示した。
「お見舞いに見えられています。エセル王妃様と、エレオノーラ様が」
「シュメルヒ様……」
「ハビ。ごめんなさい、心配を掛けましたね」
「全くですよ、もう。溺れたり行方不明になったり、いい加減心配するこっちの身にもなってください」
説教口調も、今回ばかりはシュメルヒに全面的に非があるの。大人しく反省するしかない。
「気絶したシュメルヒ様とヨアン様が見つかった時は、もう何が何だか」
「……この従者が僕たちを見つけたんだ。神官たちが使う隠し部屋から入って、ことが発覚した」
ヨアンが割り込んで説明した。心なしか、表情が沈んでいる気がする。
「ヨアン様、先ほど何か言いかけておられませんでしたか?」
「うん……いいんだ。大事な話だから、後で落ち着いたら言うよ」
大事な話とは何だろう。気になったが、今は儀式のことがある。ヨアンにとって、最も重要な懸案事項だ。
「ヨアン様、たしか扉は開かなかったはずでは」
あの時、地下から隠し部屋に通じる下ろし戸は上から重石を乗せられたように上がらなかったはずだ。ヨアンも頷いた。
「うん。だけど彼が来たときは何もなかったし、簡単に開いた。中で僕たちが倒れている以外は」
そんなはずない。あれだけの浸水騒ぎと、異形が壁を破壊した痕跡が何も無いなんて、ありえない。
「審理っていうのはそのことなんだ。落ち着いて聞いて。僕らが発見された時、地下に浸水した痕跡はなかった。水は元通りの高さまで引いていたし、壁も壊れてなかった。それにもちろん……あの怪物もいなかった」
「ありえない……ヨアン様、私も証言します。確かにあの場所には水が満ちていたし、私たちは溺死するところでした。異形の生き物だって確かにこの目で見て、それにほら、傷だってここに」
シュメルヒは手の平を上にして見せた、白い包帯が巻かれた手の平は、あれが夢ではない何よりの証拠ではないか。
「それも僕が妃を短剣で傷つけた証拠にはなるけど、浸水と怪物の証明にはならないと言われた。それに、祭壇には嵌め込んだ玉石も水でほとんど流されたんだ。……水が引けた後、底をさらったけど流れた石は見つからなかった」
「そんな……」
それでは、月を一巡りする間、ヨアンが異形と戦って昼夜問わず玉石を祭壇に捧げたのも、文字通り水泡に帰したということなのか。そんな、そんなことってあるだろうか……あまりにヨアンにとって理不尽ではないか。
しかし、さらにシュメルヒを暗澹たる気持ちにさせたのは、ヨアンの次の言葉だった。
「これは伏せておこうと思ったけど、いずれ耳に入るだろうから言っておく。……妃が無断で<祈りの間>に立ち入ったことが問題になってるんだ。お籠りの間は、誰かの手を借りてはいけない決まりだから……それもあって、<水の祈り>の完遂については審理中だけど、おそらく失敗の判定が出ると思う」
ヨアンの説明は淡々としていて、怒りは憤懣は感じられない。シュメルヒの脳裏に、儀式に反対したシュメルヒを『何も知らない癖に』と怒るヨアンの声が蘇った。思えば、あの時はオスロの信仰を他人事に思っていたし、ヨアンの儀式に向ける真剣さにも無頓着だった。ヨアンの気持ちを想うと申し訳なさがこみ上げる。
だからこそ、今のヨアンの落ち着きぶりが腑に落ちなかった。どうして平静でいられるのだろう。シュメルヒのせいで、ヨアンは周囲に認められる機会を逃してしまったというのに。
「……私が、ヨアン様の邪魔をしてしまったのですね」
「違う」
ヨアンは強い口調で断言した。
「でも、私が勝手なことをしたせいで……ヨアン様はせっかく儀式を務めあげたのに評価されないなんて」
「妃が食べ物や薬をナギに運ばせてくれなかったら、さいごまでやり遂げられなかった。手紙だってそうだ。妃がずっと気にかけて、心配してくれてるって思ったから、あの場所で何日も耐えられたんだ。それに妃が来なかったら溺れて死んでたよ、きっと」
ヨアンはシュメルヒの手の上に自分の手を重ねた。手袋越しの温かさが、じんわりと染み入ってくる。
「誰に何を言われても気にしなくていい。僕が言ってる事だけを信じて。シュメルヒは僕の妃なんだから」
「ヨアン様」
「儀式が失敗したと審理が下されても、別にもういいんだ……母上に聞いたんだよ、茶会でのこと」
「王妃様と話をしたのですか?」
うん、とヨアンがなんとも言えない表情で頷いた。
「部屋に招いて頂いたんだ。物心ついてから初めて入ったけど……あれって……ああ、いや」
「わかります」
ふたりして視線を交わして、気まずい思いで逸らした。あの部屋の有様は、所見の衝撃が大きいだろう。まして、今まで疎遠だった親子が久しぶりに腹を割って話すにはふさわしくない散らかりようだ。
(エセル様……せめてヨアン様を呼ばれるなら掃除くらいなさってください……!)
「貴族達の前で僕のことを庇ってくれたって聞いた……だからもう、妃が信じてくれるなら何を言われても平気だ。怠け者扱いされたって、半分は本当のことだし」
「そんなことっ」
「どうせ仮病だって言われるなら何をしても同じだって決めつけてた。だけど妃が信じてくれるなら、……頑張るよ。勉強は苦手だけど、これからは授業から逃げ出さないようにする」
「私も一緒に勉強いたします、ヨアン様。身体がお辛くなったら無利せず言ってください。誰にも文句は言わせません。きちんと休んで、また続ければいいのです。回復するまで、私がヨアン様のそばについています」
ヨアンはふっと表情を緩めた。
「なんだか最初の時と違う。妃は別人みたいだ。前は絶対そんな強気なこと言わなかった癖に」
「ヨアン様も、前は意地悪なばかりで優しくありませんでした」
そう言うと、ヨアンは期待に応えるように意地の悪い顔をした。
「だって妃の傍にいたらいつか毒の血で死んでしまうんじゃないかって、本気で怖かったんだ」
「今でも怖いですか?」
以前なら、ヨアンの言葉に傷ついて、傷付いたことにさえ気付かないままだったと思う。今は、自分の気持ちが分かる。普通のことなのに、シュメルヒには今までそれが分かっていなかった。普通は、自分の気持ちが手に取るように分かるものなのだ。
「怖いけど、前ほどじゃない、かな」
(やっぱり、ヨアン様はお優しい)
ここで嘘を吐かれたら、今の自分であれば気付いてしまう。「怖い」というのはヨアンの本心だ。「前ほど怖くない」というヨアンの言葉も本心だと分かるから嬉しい。
(だって前と同じなら、ヨアン様は地下であんな真似はしないはずで……)
シュメルヒはさっと青ざめた。思い出してしまった。ヨアンの「蛮行」を。慌てて頭をふって追い出そうとする。
「何してる? 眩暈を起こすからやめなよ」
「これは……ヨアン様が悪いのです」
「……あっそ。今何を考えたのか教えてくれる?」
「嫌です」
ヨアンはにやにやと悪意のある笑みを向けてきたが、シュメルヒは黙殺した。まだ、あの時のことを口にはできない。してはいけない。何故だかそんな気がしていた。
「あのー……お二人とも私のことは忘れていらっしゃると思いますが、よろしいでしょうか」
ふたりして声のした方を向くと、ハビエルはゴホン、と咳払いをした。
「いえ、いいんです。お二人の世界におられるところ、邪魔をして申し訳ないです」
「何を拗ねているんですか、ハビ。貴方がいるのは最初から知っていますよ」
「妃の言う通りだ。置物と同じにしか思ってないから、気にしなくていい」
「シュメルヒ様はいいとして……腹の立つ」
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