『偽聖女』として追放された薬草師、辺境の森で神薬を作ります ~魔力過多で苦しむ氷の辺境伯様を癒していたら、なぜか溺愛されています~

とびぃ

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第5章:唯一の『神薬』

5-2:神薬の投与

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カイラスは、朦朧とする意識の淵で、先ほど感じた清冽な魔力の香りを、再び察知した。
それは、まるで夜明け前の森の空気のように、清浄で、澄み切った魔力の香りだった。
先ほど、あの忌まわしい「毒」の匂い(市販のポーションの不純物の匂い)を嗅ぎ取った時とは違う。
(なんだ、この、魔力は)
彼の体は、長年の経験則から、外部からの魔力干渉を「毒」として拒絶するよう訓練されている。王都の宮廷薬草師がどれだけ純度を高めようと、彼らにとって不可能な「不純物ゼロ」の壁を超えることはできず、その全てがカイラスの魔力過多症を悪化させる猛毒として作用した。
だから、この香りもまた、新たなる「毒」のはずだった。
だというのに。
彼の本能が、魂が、この香りを「渇望」していた。
まるで、何十年も砂漠を彷徨った旅人が、初めてオアシスの匂いを嗅いだかのように、彼の全身全霊が「あれを飲め」と叫んでいる。
だが、理性と経験が、それを「罠だ」と否定する。
「う、ぐ」
カイラスは、その矛盾した感覚に混乱しながら、最後の力を振り絞った。
目の前の影――泥まみれの女に向かって、拒絶の唸り声を上げる。
「よせ。何者だか、知らぬが」
声が、高熱で掠れて、まともに出ない。
「わたくしに、薬は効かぬ。それは、毒だ」
その声は、辺境伯としての威厳など欠片もなく、ただ長年苦しめられてきた者だけが持つ、深い絶望と諦観に満ちていた。
もう、うんざりだった。
善意の顔をして差し出される「毒」に、何度も裏切られてきた。
どうせ、このまま魔力に飲み込まれて死ぬのなら、せめて静かに、一人で死にたかった。
「いいえ」
だが、ルシルの声は、カイラスの絶望を、刃物のように切り裂いた。
それは、嵐の夜の小屋に、凛として響き渡る。
カイラスが今まで聞いてきた、王都の医者たちの憐れみや諦め、あるいは媚びへつらいとは全く違う、揺るぎない確信に満ちた声だった。
「これは、わたくしが精製した薬です。あなたたちが王都で飲まされてきた、不純物まみれの『毒』とは、違います」
カイラスが、その言葉の意味を理解するよりも早く、ルシルは行動に移った。
彼女は、先ほど彼の手首に触れようとして、氷の結晶で切りつけられた失敗を繰り返さなかった。
(交渉ではない。これは、治療だ)
薬草師としての彼女の思考は、もはや外科医のそれに近かった。患者がどれだけ拒絶しようと、必要な処置は、躊躇なく行う。
ルシルは、凍傷で感覚のなくなりつつある右手を、カイラスの顎に、真正面から叩きつけるように掴みかかった。
「!」
ジュッ!
肉が焼けるような音。
だが、それは熱によるものではない。カイラスの肌に触れたルシルの指先が、彼の極低温の魔力によって、一瞬で凍りつき、皮膚が裂けた音だった。
(痛い!)
絶叫が喉まで出かかった。まるで、指の骨の髄に、直接氷の杭を打ち込まれたかのようだ。王宮で、繊細なガラス器具を扱うことしか知らなかった指が、今、暴力的なまでの力に晒されている。
だが、ルシルは手を離さなかった。
「くっ!」
歯を食いしばり、痛みで溢れそうになる涙を、根性で押しとどめる。
指が壊死しようと、構わない。この一瞬の躊躇が、目の前の命を失わせる。
彼女は、凍りつく右手に、さらに力を込めた。
「わたくしは薬草師です! 患者が目の前で死ぬのを、見過ごすわけにはいかない!」
その気迫は、カイラスの朦朧とした意識を揺さぶった。
彼が知る貴族令嬢は、皆、彼の魔力に怯え、触れることさえできなかった。だが、この泥まみれの女は、指が凍りつく激痛を受け入れながらも、怯むことなく自分を見据えている。
その瞳は、嵐の夜の闇の中で、竈の青白い炎を反射し、燃えるような決意の色を宿していた。
「信じなさい!」
ルシルは、そう命じると、左手に持っていた『空芯草』のスポイトを、カイラスの固く閉じられた唇に突き刺すように押し当てた。
そして、抵抗する隙を与えることなく、琥珀色の『神薬』を、数滴、彼の口内へと流し込んだ。
カイラスの舌が、その液体に触れた。
(なんだ、これは)
彼が今まで味わったことのない、清涼な、しかし信じられないほど濃密な魔力が、舌の上で爆発した。
それは、森の生命そのものを飲んだかのようだった。
不純物ゼロ。
彼の体が、本能的に、これが「毒」ではなく、何十年も渇望していた「癒し」であることを、瞬時に理解した。
だが、直後。
外部から入ってきた高純度の「秩序ある魔力」は、彼の体内で暴走していた「混沌とした魔力」と、激しく、そして真正面から衝突した。
「がっ、はああああぁぁぁ!」
凄まじい拒絶反応だった。
カイラスの全身が、ベッドの木枠が軋むほど、強く弓なりに反り返る。
内側から焼き尽くす高熱と、外側から凍らせる極低温が、最後の抵抗とばかりに荒れ狂う。
小屋の中の空気が、一瞬で絶対零度近くまで冷却された。
壁に張り付いた粘土の表面に、白い霜が、まるで生き物のように一斉に張り付いていく。
竈の青白い炎が、魔力の嵐に煽られ、消し飛んだ。
「カイラス様!」
ルシルは、その魔力の衝撃波に吹き飛ばされそうになるのを、必死でベッドの柱にしがみついて耐えた。
(頑張って、耐えて! これは、薬が魔力と戦っている証拠!)
ルシルは、薬草師としての知識で、これが治癒の過程であることを理解していたが、その凄まじい魔力の衝突は、彼女の想像を遥かに超えていた。
王国最強の魔術師の体内は、常人とは比較にならない魔力の戦場だった。
カイラスの体は、今、神薬を受け入れるか、それとも拒絶して魔力ごと自壊するか、その瀬戸際に立たされていた。
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