『偽聖女』として追放された薬草師、辺境の森で神薬を作ります ~魔力過多で苦しむ氷の辺境伯様を癒していたら、なぜか溺愛されています~

とびぃ

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第5章:唯一の『神薬』

5-3:奇跡の鎮静

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小屋の中は、二つの強大な魔力が衝突する戦場と化していた。
ルシルの命を懸けた投薬から、数十秒が経過しただろうか。その一瞬一瞬が、ルシルにとっては永遠にも等しい時間だった。
カイラスの体から溢れ出すのは、全てを停止させようとする「氷」の魔力。それは荒々しく、制御を失い、小屋の壁や床の霜をさらに分厚くしていく。ルシルが懸命に塞いだ壁の粘土が、内部から凍りつき、ピシピシと音を立てて小さな亀裂を生じさせていた。
対するルシルの『神薬』は、たった数滴。だが、その一滴一滴に凝縮された『月影草』の魔力は、清流の生命力に支えられ、まるで荒れ狂う海に差し込む月光のように、カイラスの体内へと浸透していく。
「ぐ、う、ああああ!」
カイラスの苦悶の叫びが、小屋を震わせた。それは、喉から出た声というよりも、体内の魔力そのものが、悲鳴を上げているようだった。
彼の銀色の髪が逆立ち、体表を、高熱の赤い光と、極低温の青い光が、稲妻のように走り回る。その光の閃光が、消えた竈の暗闇の中で、ルシルとカイラスの二人を、一瞬一瞬、恐ろしく劇的に照らし出した。
(負けないで!)
ルシルは、自分の指先の感覚が完全になくなっているのも構わず、必死でカイラスの肩を押さえつけた。彼女もまた、この魔力の嵐に巻き込まれ、体温を奪われていく。吐く息が、顔の前に小さな氷のカーテンを作るかのようだ。
だが、ルシルは希望を捨てなかった。
(わたくしの薬は、完璧なはず。不純物はない。彼の体が、この純粋な鎮静魔力を受け入れさえすれば)
薬草師として、ルシルはカイラスの体内で起きている変化を「視て」いた。
『神薬』の成分が、彼の血液に乗り、暴走する魔力の中枢――心臓と神経系へと到達していく。
最初は激しく抵抗していたカイラスの魔力が、徐々に、その鎮静作用を受け入れ始めているのが分かった。
荒れ狂う嵐が、凪へと向かっていく。それは、彼自身の「生きようとする意志」が、ルシルの薬と共鳴した瞬間だった。
(効いている!)
ルシルの瞳に、確かな光が戻った。彼女は、氷の冷たさで感覚を失った指先にもう一度魔力を集中させ、カイラスの脈を慎重に探った。脈は荒いながらも、その間隔に安定が見え始めている。
カイラスの体表を走っていた、赤と青の魔力の稲妻が、徐々にその勢いを弱めていく。
「ピシ、ピシ」と鳴り続けていた空気の凍結音が、止んだ。
小屋の中を支配していた、肌を刺すような魔力の圧力が、まるで雪解け水が引くかのように、すうっと消えていく。
「はぁ、はぁ、はぁ」
カイラスの全身から力が抜け、弓なりになっていた体が、ベッドへと沈み込む。
苦悶の叫びは止まり、荒々しかった呼吸が、深く、穏やかな寝息へと変わっていった。
高熱で湯気を立てていた肌は、正常な温度を取り戻し、彼の魔力の源である「氷」の力も、体表を凍らせるのではなく、ただ静かに彼の内側へと収束していく。その銀色の髪は、雨と汗と霜で濡れていたが、静かに額に張り付いたままだった。
嵐は、完全に去った。
小屋の中には、ただ静寂が横たわっていた。
ルシルは、その場にへたり込んだ。全身の力が抜け、指先の凍傷の痛みが、今になってじわりと蘇ってきた。
彼女は、自分の指を見つめた。泥と煤にまみれ、赤黒く腫れ上がっている。
だが、その手は、王国最強の魔術師の命を救ったのだ。
(よかった。本当に)
安堵と、極度の疲労が、一気に彼女の意識を襲う。
(火を、絶やさないと)
ルシルは、最後の力を振り絞り、消し飛んだ竈の熾火に、昨日確保した乾いた薪と、練り上げた粘土で作った火口をくべ直した。カチカチと火打ち石を打ち付ける。今度は、焦りがない。静かで正確なルシルの動作が、すぐに小さな炎を蘇らせた。
炎の柔らかな暖気が、ゆっくりと小屋の中の凍りついた空気を溶かし始める。
その暖かさに包まれ、ルシルは意識を手放した。泥まみれのワンピースを着たまま、ベッドの傍ら、冷たい土間に倒れ伏した。
彼女の顔には、追放の絶望も、治療の恐怖もなかった。
ただ、難解な症例を乗り越えた薬草師の、静かなる達成感の微笑みだけが浮かんでいた。
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