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第5章:唯一の『神薬』
5-4:夜明けと「無痛」の驚愕
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(光が差し込んでいる)
カイラスが目覚めたのは、小屋の壁の隙間から差し込む、朝焼けの細い光の筋が顔を掠めた、その時だった。
彼の意識は、まるで深い湖の底から、ゆっくりと浮上してきたかのようだ。
長年彼を縛り付けていた、鉄鎖のような苦痛。体内で魔力が暴走し、常に細胞を破壊し尽くす、あの地獄のような痛みが、全身から、きれいに消え失せている。
(痛みがない)
それが、彼が生まれて初めて感じた、純粋な驚愕だった。
『魔力過多症』を発症して以来、彼は一度たりとも「無痛」という感覚を知らなかった。意識がある限り、魔力の過飽和による高熱と、それを抑え込む極低温の衝突が、彼の神経を焼き、凍らせ続けていた。それが「生きている」ことの証明だった。
だが、今。
静かだ。体の中が、静寂に満ちている。魔力は満ちているが、穏やかに、彼の制御下で、まるで清流のように流れている。
「これは」
彼はゆっくりと、重い瞼を開いた。
彼の視界に入ったのは、見慣れた城の天井ではない。
粗末な木の壁と、粘土で塞がれた隙間。目の前には、石で組まれた古い竈があり、その中では、静かな炎が、ぱちぱちと音を立てて燃えている。
カイラスは、自らの手を見る。長年、魔力の暴走で熱と冷気に苛まれ、皮膚が荒れ、常に霜が付いていたはずの手が、滑らかで、健全な色を取り戻している。
そして、その手首に、何の感覚もない。
(熱くない。冷たくない。ただ、温かいだけ)
まるで、生まれて初めて「普通」の体温というものを知ったかのようだ。
彼は、起き上がろうとした。
(動ける!)
発作中は、指一本動かすこともできなかった。だが、今は違う。全身の筋肉が、彼の意志に忠実に反応する。
カイラスは、ベッドからゆっくりと身を起こし、周囲を見渡した。
小屋の中は、夜明けの光に照らされ、昨夜の嵐の残骸を晒していた。床には、霜と泥と、何かの琥珀色の液体の跡が残っている。
その足元。
粗末な木製の床に、泥まみれのワンピース姿の女性が、体を丸めて倒れ伏していた。
銀色の髪は、乾ききらずに泥と煤にまみれ、顔は汚れている。
彼女の右手は、不自然に赤黒く腫れ上がり、指先は凍傷で感覚を失っているように見える。
昨夜、彼に「毒」を盛ろうとした、あの女だ。
(そうだ、あのポーション)
カイラスは、昨夜の出来事を思い出した。
激痛の中で、自分が最後の力で叩き落とした、緑色のポーション。
そして、その後に、指先を凍らせながらも、強引に彼の口に数滴の液体を流し込んだ、泥まみれの女。
「わたくしが精製した薬です。あなたたちが王都で飲まされてきた、不純物まみれの『毒』とは、違います」
彼女の、あの揺るぎない確信に満ちた声が、鮮明に蘇る。
(王都の薬ではない。純粋な魔力の、生命の香りだった)
彼の体が、本能的に渇望し、体内で暴走魔力と激しく衝突した末、鎮静したあの奇跡の液体。
カイラスは、倒れているルシルに近づき、その腫れ上がった右手をそっと持ち上げた。
指先は、まだ冷たい。触れた瞬間、彼の魔力が、反射的にその患部を治癒しようと動き出す。
彼の体内の魔力は、もはや制御を失った「暴力」ではない。治癒と、修復のために、静かに彼の意志に従って流れている。
(この傷は、俺の魔力だ)
彼女が、自分の命を救うために、この指を犠牲にした。
カイラスは、ルシルの細い、しかし力強い指を見つめた。
王都の薬草師たちは、カイラスの症例を見て、皆、顔面蒼白になり、指一本触れようとしなかった。
だが、この辺境の森に追放された、名も知らぬ薬草師は、自身の肉体を犠牲にして、彼に「薬」を投与した。
彼は、王都の貴族や医者たちが何十年も成し得なかった「奇跡」を、この泥まみれの女が、たった数滴の薬で成し遂げた事実を、今、完全に理解した。
(わたくしに、薬は効かぬ。それは、毒だ、と。俺は、彼女を拒絶した)
彼は自分の無礼と、長年の苦痛による猜疑心に、激しい後悔の念を覚えた。
カイラスは、ルシルの荒れた手を、そっと自分の頬に当てた。
冷たい肌の感触が、彼の頬に伝わる。
「すまない」
彼は、誰に聞かせるわけでもなく、静かに呟いた。
そして、その蒼い瞳に、強い決意の光を宿した。
(この女こそが、俺を救える唯一の薬師だ)
王都が『偽聖女』と断じ、投げ捨てた、この辺境の薬草師。
彼女がいなければ、自分は再び発作に襲われ、魔力に飲み込まれて死ぬ。
そして、彼女は、この森の過酷な環境の中で、一人で生きている。
彼は、ルシルの肩をそっと抱き上げた。泥と汗と薬草の匂いが混じった、小さな体。
ルシルは、疲労のせいか、身動き一つしない。
カイラスは、ルシルをベッドに寝かせると、彼女の凍傷の指に、彼の魔力を優しく流し込んだ。
彼の魔力は、もはや暴走することはない。彼の意志に従い、ルシルの指の損傷を、ゆっくりと修復し始める。
「命の恩人。そして、俺の唯一の希望」
彼は、ルシルを見下ろし、硬質な口元をわずかに緩めた。
「誰にも、貴女を奪わせはしない」
カイラスは、立ち上がると、小屋の扉を開けた。
嵐は完全に去り、朝の清浄な森の空気が小屋の中に流れ込んできた。
彼の瞳には、この辺境の森の領主として、そして彼女の恩人として、ルシルを徹底的に「庇護」するという、冷徹なまでの決意が宿っていた。
彼の「無痛」の新しい人生は、今、この『偽聖女』として追放された薬草師と共に、静かに幕を開けたのだ。
カイラスが目覚めたのは、小屋の壁の隙間から差し込む、朝焼けの細い光の筋が顔を掠めた、その時だった。
彼の意識は、まるで深い湖の底から、ゆっくりと浮上してきたかのようだ。
長年彼を縛り付けていた、鉄鎖のような苦痛。体内で魔力が暴走し、常に細胞を破壊し尽くす、あの地獄のような痛みが、全身から、きれいに消え失せている。
(痛みがない)
それが、彼が生まれて初めて感じた、純粋な驚愕だった。
『魔力過多症』を発症して以来、彼は一度たりとも「無痛」という感覚を知らなかった。意識がある限り、魔力の過飽和による高熱と、それを抑え込む極低温の衝突が、彼の神経を焼き、凍らせ続けていた。それが「生きている」ことの証明だった。
だが、今。
静かだ。体の中が、静寂に満ちている。魔力は満ちているが、穏やかに、彼の制御下で、まるで清流のように流れている。
「これは」
彼はゆっくりと、重い瞼を開いた。
彼の視界に入ったのは、見慣れた城の天井ではない。
粗末な木の壁と、粘土で塞がれた隙間。目の前には、石で組まれた古い竈があり、その中では、静かな炎が、ぱちぱちと音を立てて燃えている。
カイラスは、自らの手を見る。長年、魔力の暴走で熱と冷気に苛まれ、皮膚が荒れ、常に霜が付いていたはずの手が、滑らかで、健全な色を取り戻している。
そして、その手首に、何の感覚もない。
(熱くない。冷たくない。ただ、温かいだけ)
まるで、生まれて初めて「普通」の体温というものを知ったかのようだ。
彼は、起き上がろうとした。
(動ける!)
発作中は、指一本動かすこともできなかった。だが、今は違う。全身の筋肉が、彼の意志に忠実に反応する。
カイラスは、ベッドからゆっくりと身を起こし、周囲を見渡した。
小屋の中は、夜明けの光に照らされ、昨夜の嵐の残骸を晒していた。床には、霜と泥と、何かの琥珀色の液体の跡が残っている。
その足元。
粗末な木製の床に、泥まみれのワンピース姿の女性が、体を丸めて倒れ伏していた。
銀色の髪は、乾ききらずに泥と煤にまみれ、顔は汚れている。
彼女の右手は、不自然に赤黒く腫れ上がり、指先は凍傷で感覚を失っているように見える。
昨夜、彼に「毒」を盛ろうとした、あの女だ。
(そうだ、あのポーション)
カイラスは、昨夜の出来事を思い出した。
激痛の中で、自分が最後の力で叩き落とした、緑色のポーション。
そして、その後に、指先を凍らせながらも、強引に彼の口に数滴の液体を流し込んだ、泥まみれの女。
「わたくしが精製した薬です。あなたたちが王都で飲まされてきた、不純物まみれの『毒』とは、違います」
彼女の、あの揺るぎない確信に満ちた声が、鮮明に蘇る。
(王都の薬ではない。純粋な魔力の、生命の香りだった)
彼の体が、本能的に渇望し、体内で暴走魔力と激しく衝突した末、鎮静したあの奇跡の液体。
カイラスは、倒れているルシルに近づき、その腫れ上がった右手をそっと持ち上げた。
指先は、まだ冷たい。触れた瞬間、彼の魔力が、反射的にその患部を治癒しようと動き出す。
彼の体内の魔力は、もはや制御を失った「暴力」ではない。治癒と、修復のために、静かに彼の意志に従って流れている。
(この傷は、俺の魔力だ)
彼女が、自分の命を救うために、この指を犠牲にした。
カイラスは、ルシルの細い、しかし力強い指を見つめた。
王都の薬草師たちは、カイラスの症例を見て、皆、顔面蒼白になり、指一本触れようとしなかった。
だが、この辺境の森に追放された、名も知らぬ薬草師は、自身の肉体を犠牲にして、彼に「薬」を投与した。
彼は、王都の貴族や医者たちが何十年も成し得なかった「奇跡」を、この泥まみれの女が、たった数滴の薬で成し遂げた事実を、今、完全に理解した。
(わたくしに、薬は効かぬ。それは、毒だ、と。俺は、彼女を拒絶した)
彼は自分の無礼と、長年の苦痛による猜疑心に、激しい後悔の念を覚えた。
カイラスは、ルシルの荒れた手を、そっと自分の頬に当てた。
冷たい肌の感触が、彼の頬に伝わる。
「すまない」
彼は、誰に聞かせるわけでもなく、静かに呟いた。
そして、その蒼い瞳に、強い決意の光を宿した。
(この女こそが、俺を救える唯一の薬師だ)
王都が『偽聖女』と断じ、投げ捨てた、この辺境の薬草師。
彼女がいなければ、自分は再び発作に襲われ、魔力に飲み込まれて死ぬ。
そして、彼女は、この森の過酷な環境の中で、一人で生きている。
彼は、ルシルの肩をそっと抱き上げた。泥と汗と薬草の匂いが混じった、小さな体。
ルシルは、疲労のせいか、身動き一つしない。
カイラスは、ルシルをベッドに寝かせると、彼女の凍傷の指に、彼の魔力を優しく流し込んだ。
彼の魔力は、もはや暴走することはない。彼の意志に従い、ルシルの指の損傷を、ゆっくりと修復し始める。
「命の恩人。そして、俺の唯一の希望」
彼は、ルシルを見下ろし、硬質な口元をわずかに緩めた。
「誰にも、貴女を奪わせはしない」
カイラスは、立ち上がると、小屋の扉を開けた。
嵐は完全に去り、朝の清浄な森の空気が小屋の中に流れ込んできた。
彼の瞳には、この辺境の森の領主として、そして彼女の恩人として、ルシルを徹底的に「庇護」するという、冷徹なまでの決意が宿っていた。
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