『偽聖女』として追放された薬草師、辺境の森で神薬を作ります ~魔力過多で苦しむ氷の辺境伯様を癒していたら、なぜか溺愛されています~

とびぃ

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第6章:不器用な庇護と芽生える想い

6-1:「森の監視」という名の訪問

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追放、八日目の朝。
嵐は、まるで嘘のように過ぎ去っていた。
夜明けの光は、昨夜の暴風雨で洗い清められた森を、瑞々しく照らし出している。木々の葉には、大粒の夜露が光の粒となって残り、小屋の周囲の空気は、澄み切って清浄な魔力の香りに満ちていた。清流のせせらぎはいつもより水量を増し、力強い音を立てている。
「ふぅ」
ルシルは、小屋の中で大きく息を吐いた。
昨夜の出来事が、まるで悪夢のように感じられる。
ベッドの上には、あの氷の辺境伯が眠っていた。ルシルは、結局あの後、極度の疲労で倒れ伏した彼をそのままにして、自分は竈の前の土間で仮眠を取った。
彼が目覚めた時の、あの「無痛」の驚愕に満ちた蒼い瞳。
そして、自分が泥まみれで倒れているのを発見し、ベッドに運んでくれた、あのぎこちない優しさ。彼の魔力で、昨夜負った凍傷と切り傷は、ほとんど痛みを感じないまでに治癒されていた。
(行ってしまった)
ルシルが、日課である水汲みから戻った時、カイラスの姿はすでになかった。
まるで、嵐と共に現れ、嵐と共に去っていったかのようだ。
だが、彼がいた痕跡は、確かに残っていた。
ルシルが眠っていた土間には、彼が羽織っていた、あの高価な黒い外套が、丁寧に畳まれて置かれていた。その生地の冷たい感触と重みが、それが夢ではなかったことを証明していた。
それから、ベッドのシーツ代わりになっていた毛布が、ルシルが使ったカビ臭いものとは比べ物にならないほど、ふかふかの上質な毛皮に差し替えられている。
(昨夜の、お礼のつもりかしら)
ルシルは、その黒い外套にそっと触れた。まだ微かに、カイラスの魔力の残滓(ざんし)と、彼自身の冷たく澄んだ香りがする。
(氷の辺境伯。王国最強の魔術師)
そんな伝説の人物と、この粗末な小屋で一夜を明かし、あまつさえ、命を救ってしまった。
ルシルは、自分の指先に残る、かすかな魔力の熱を感じた。それは、彼女の人生が、王宮の檻から解き放たれ、この森で大きく動き出した証拠だった。
(あの薬は、本当に彼を救ったのね。王都の誰も成し遂げなかったことを)
ルシルの中に、静かな、しかし確かな誇りが湧き上がった。
(いえ、今はそれよりも、今日の生活よ)
ルシルは、非現実的な思考を振り払った。
嵐で小屋は少し傷んだ。壁の粘土が一部剥がれ、食料を仕掛けていた罠も、無事とは思えない。
「まずは、修復と、食料の再確保ね」
彼女は、外套と毛皮をベッドの隅に押しやり、いつもの泥まみれのワンピース(洗濯して乾かしてはいるが、もはやこれ一枚しかない)の袖をまくり、作業に取り掛かろうとした。
その時だった。
コン、コン。
乾いた、無機質なノックの音が、小屋の扉を叩いた。
「!」
ルシルの全身が凍りついた。
魔獣ではない。人間だ。だが、こんな森の奥に、誰が。
(まさか、王都の追っ手? それとも、あの馬車の衛兵が私を殺しに戻ってきた?)
ルシルは、心臓を鷲掴みにされたような恐怖に襲われた。ナイフを握りしめ、扉ににじり寄る。
「わたくしだ。入る」
その声は、昨夜の苦痛に満ちた呻き声とは似ても似つかない、冷たく、低く、しかし芯の通った、支配者の声だった。
ルシルが返事をする間もなく、扉がゆっくりと開けられた。
そこに立っていたのは、昨日までの死にかけた姿とはまるで違う、カイラス・フォン・ヴェルハイムその人だった。
銀色の髪は整えられ、黒い軍服調の、しかし豪奢な刺繍の施された礼装を完璧に着こなしている。長身の体躯は、それだけでこの小さな小屋を圧迫するかのようだ。
そして何より、昨日まで苦痛に歪んでいた彼の蒼い瞳は、今は氷のように静まり返り、その奥に理性の光を宿して、真っ直ぐにルシルを見据えていた。
「おはよう、ございます。カイラス、様」
ルシルは、貴族令嬢としての礼儀作法を、反射的に思い出していた。
「昨夜の外套と毛皮、ありがとうございました。ですが、もう体は」
「森の監視だ」
カイラスは、ルシルの言葉を遮り、無表情のままそう言った。
「この辺りは昨夜の嵐で魔獣の縄張りが乱れている。巡回していた」
「は、はあ」
(巡回にしては、ずいぶんとピンポイントでこの小屋に。しかも、その格好で)
ルシルがそう思う間もなく、カイラスはずかずかと小屋に入ってきた。彼の足元には、水汲みから戻ったばかりのルシルのブーツの跡と、泥の跡が残っている。
そして、竈の横に、背負っていた大きな袋を、ドサリと無造作に置いた。
「対価だ」
「え?」
「昨夜の、薬の対価だ」
カイラスが袋の口を開けると、ルシルの目が丸くなった。
中から出てきたのは、王宮の高級店でしか扱っていないような、完璧に乾燥処理された保存肉の塊。銀の箔で包まれた、軍用の高カロリー栄養食。そして、ルシルが使っている湿った薪とは比べ物にならない、魔力を帯びてゆっくりと燃焼する、最高級の『魔力炭』の束だった。
「こ、こんなもの! いただけません!」
ルシルは思わず叫んだ。
「わたくしは、薬草師として当然のことをしたまでです。対価など」
「これは、対価だ」
カイラスは、ルシルの反論を、再び冷たい事実確認で遮った。
「わたくしは、貴女の薬がなければ死んでいた。この事実は動かない。そして、わたくしは辺境伯として、受けた恩義には必ず報いる。これは、取引だ」
彼の蒼い瞳が、ルシルを射抜く。
(この人、本気だわ)
そこには、感謝も、慈悲もない。ただ、彼の中の「ルール」に従っているだけ、というような、無機質なまでの生真面目さがあった。
「それから」
カイラスは、ルシルの粗末なベッド(今は彼の毛皮が敷かれているが)と、彼女が燻製を作っている梁(はり)を見渡した。
「貴女の薬は、今後もわたくしに必要だ。定期的に、いただきに上がる」
「え、定期的に、ですか」
ルシルは、驚きのあまり声が上擦った。彼の命綱である『神聖原液』は、ルシルにとって最も手間と魔力を要する調合だ。
「そうだ。これは、わたくしの命に関わる。よって、貴女の安全と生活は、わたくしが保証する。これも、取引だ」
「森の監視」は、そのための口実だったのだ。
カイラスは、それだけ一方的に告げると、ルシルの返事も待たずに踵を返した。
「あ、あの! カイラス様!」
「明日、また来る」
扉が閉められ、小屋には、最高級の保存食と魔力炭、そして、圧倒されたルシルだけが残された。
(なんなの、あの人)
嵐のような、一方的な訪問。
だが、ルシルは、残された食料の山を見て、途方に暮れた。
(わたくし、せっかく自給自足のスローライフを始めたばかりなのに)
目の前の「対価」は、彼女が一週間かけて築き上げた生活基盤を、根底から揺るがすほどの物量だった。
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