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第6章:不器用な庇護と芽生える想い
6-2:戸惑いと圧力
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カイラスの訪問は、彼が宣言した通り、日課となった。
追放九日目。
昨日と同じ時刻、森が朝靄に包まれる頃に、彼は「森の監視だ」とだけ言って現れた。その軍服は朝露で濡れており、本当に領地を巡回していることが伺えたが、ルシルの小屋への立ち寄りが彼のルーティンに組み込まれたことは明らかだった。
ルシルは、彼の訪問が煩わしい一方で、彼の論理的な誠実さに、どこか安堵している自分もいた。王都の者たちのように、裏で嘲笑ったり、嘘をついたりする人間ではない。彼は、ただまっすぐに、彼の「義務」と「取引」を履行しているだけなのだ。
この日、カイラスが小屋に足を踏み入れると、ルシルは彼の姿を見て、改めて背筋を伸ばした。
彼女は、昨日彼が置いていった高級保存食の山を、清流の水で洗い、乾燥棚の近くに並べ直していた。その傍らには、彼女自身が苦労して燻製にしたウサギの肉と魚が、小さな梁に吊るされている。
カイラスは、彼女が並べた高級保存食の山と、ルシルが作った粗末な燻製を見比べた。その無言の視線が、ルシルの自尊心をチクリと刺す。
「カイラス様、お待ちください!」
ルシルはついに、彼が帰ろうとする背中に声を張り上げた。
(これ以上、こんなことを続けられたら、わたくしの生活が成り立たない!)
彼女がこの森で得たかったのは、豪華な生活ではなく、「自由」と「自給自足」の達成感だったのだ。
「なんだ」
カイラスが、無表情のまま振り返る。彼の蒼い瞳は、ルシルがその一週間で見た中で最も冷たい光を宿していた。
「こ、こんなにたくさんの物資は、本当に不要です! わたくしは、自分で食料を確保できます! 昨日も、ウサギを罠で捕まえましたし、燻製もまだ」
ルシルは、自分のささやかな誇りを示すために、梁に吊るしてあった、自作の燻製肉を指差した。
カイラスは、ルシルの指差した、黒っぽく燻された小さな肉の塊を、じっと見つめた。その視線は、まるで実験台の標本を観察している科学者のようだった。
それから、彼は自分が持ってきた、分厚く、完璧な霜降りの入った高級干し肉の塊を、ルシルに見えるようゆっくりと掲げた。
無言の対比。
ルシルの燻製は、肉質の悪さと、燻製技術の未熟さから、硬く、パサつき、色もくすんでいる。対してカイラスの肉は、芸術品のような品質だ。
そして、再び、ルシルの顔をじっと見つめた。
彼の蒼い瞳には、何の感情も浮かんでいないように見えたが、ルシルは、その氷のような無表情の奥に、強い、絶対的な「意志」が宿っているのを感じ取った。
それは、怒りでも、憐れみでもない。ただ、ルシルの現状が、彼の許容する最低ライン以下であるという、冷徹な評価だけがそこにあった。
「これが、足りていると?」
カイラスは、低い声で、事実だけを問いかけた。
「た、足りています! わたくし一人ですし、キノコや木の実も」
ルシルは意地で言い返すが、自分の声が、彼の静かな圧力に負けて震えているのが分かった。
「足りていない」
カイラスは、ルシルの言葉を、バッサリと切り捨てた。
「その程度の栄養で、わたくしの薬を精製し続けることは不可能だ。王都の薬師の知識ならば、自身の健康状態が薬の純度に直結することを理解しているだろう」
ルシルは、ぐっと言葉に詰まった。
(反論できない)
彼の指摘は、あまりにも正確だった。疲労や栄養不足は、魔力の制御に直結し、彼女の命綱である『神聖原液』の純度を下げることになる。彼の論理は、ルシルの知識と技術の根幹を突いていた。
「貴女の健康状態は、わたくしの生命維持に直結する。よって、最高の栄養を摂取することは、貴女の『義務』だ」
(義務!?)
ルシルは、あまりの理屈に、言葉を失った。
(この人、わたくしの健康を、自分の『薬の安定供給源』としてしか見ていないの?)
それは、あまりにも合理的で、あまりにも非人間的な言い分だった。王都で「国の生命線」として扱われた時と、本質的には同じ扱いだ。
だが、ジェラルドがルシルを「道具」として見ながらも、結局は妹の讒言に騙されたのに対し、カイラスは、ルシルを「最高級の道具」として認識し、そのために「最高級の環境」を提供しようとしている。この、論理の徹底ぶりが、ルシルには新鮮な衝撃だった。
「で、ですが、わたくしはこの生活に満足して」
「わたくしが満足していない」
カイラスは、即答した。
「わたくしの命の恩人が、わたくしの領地で、最低限以下の暮らしをしている。そのみすぼらしさ、粗末さが、辺境伯としてのわたくしの尊厳を揺るがす。これは、対価であり、わたくしの責務だ」
彼の瞳が、真剣な光を帯びる。その目は、ルシルへの個人的な感情ではなく、彼の領主としての「絶対的な秩序」を守ろうとする強い意志を示していた。
それは、有無を言わせない、絶対的な圧力だった。ルシルは、自分がこの男の「論理」には勝てないと、本能的に悟った。
「わ、わかりました」
ルシルは、観念して、小さな声で呟いた。
「その、対価。ありがたく、いただきます」
「それが合理的だ」
カイラスは、ルシルの受諾を確認すると、満足したかのように頷いた。
そして、ふと、彼の視線が、ルシルの着ている服に、ほんの一瞬、注がれたことに、ルシルはまだ気づいていなかった。
追放九日目。
昨日と同じ時刻、森が朝靄に包まれる頃に、彼は「森の監視だ」とだけ言って現れた。その軍服は朝露で濡れており、本当に領地を巡回していることが伺えたが、ルシルの小屋への立ち寄りが彼のルーティンに組み込まれたことは明らかだった。
ルシルは、彼の訪問が煩わしい一方で、彼の論理的な誠実さに、どこか安堵している自分もいた。王都の者たちのように、裏で嘲笑ったり、嘘をついたりする人間ではない。彼は、ただまっすぐに、彼の「義務」と「取引」を履行しているだけなのだ。
この日、カイラスが小屋に足を踏み入れると、ルシルは彼の姿を見て、改めて背筋を伸ばした。
彼女は、昨日彼が置いていった高級保存食の山を、清流の水で洗い、乾燥棚の近くに並べ直していた。その傍らには、彼女自身が苦労して燻製にしたウサギの肉と魚が、小さな梁に吊るされている。
カイラスは、彼女が並べた高級保存食の山と、ルシルが作った粗末な燻製を見比べた。その無言の視線が、ルシルの自尊心をチクリと刺す。
「カイラス様、お待ちください!」
ルシルはついに、彼が帰ろうとする背中に声を張り上げた。
(これ以上、こんなことを続けられたら、わたくしの生活が成り立たない!)
彼女がこの森で得たかったのは、豪華な生活ではなく、「自由」と「自給自足」の達成感だったのだ。
「なんだ」
カイラスが、無表情のまま振り返る。彼の蒼い瞳は、ルシルがその一週間で見た中で最も冷たい光を宿していた。
「こ、こんなにたくさんの物資は、本当に不要です! わたくしは、自分で食料を確保できます! 昨日も、ウサギを罠で捕まえましたし、燻製もまだ」
ルシルは、自分のささやかな誇りを示すために、梁に吊るしてあった、自作の燻製肉を指差した。
カイラスは、ルシルの指差した、黒っぽく燻された小さな肉の塊を、じっと見つめた。その視線は、まるで実験台の標本を観察している科学者のようだった。
それから、彼は自分が持ってきた、分厚く、完璧な霜降りの入った高級干し肉の塊を、ルシルに見えるようゆっくりと掲げた。
無言の対比。
ルシルの燻製は、肉質の悪さと、燻製技術の未熟さから、硬く、パサつき、色もくすんでいる。対してカイラスの肉は、芸術品のような品質だ。
そして、再び、ルシルの顔をじっと見つめた。
彼の蒼い瞳には、何の感情も浮かんでいないように見えたが、ルシルは、その氷のような無表情の奥に、強い、絶対的な「意志」が宿っているのを感じ取った。
それは、怒りでも、憐れみでもない。ただ、ルシルの現状が、彼の許容する最低ライン以下であるという、冷徹な評価だけがそこにあった。
「これが、足りていると?」
カイラスは、低い声で、事実だけを問いかけた。
「た、足りています! わたくし一人ですし、キノコや木の実も」
ルシルは意地で言い返すが、自分の声が、彼の静かな圧力に負けて震えているのが分かった。
「足りていない」
カイラスは、ルシルの言葉を、バッサリと切り捨てた。
「その程度の栄養で、わたくしの薬を精製し続けることは不可能だ。王都の薬師の知識ならば、自身の健康状態が薬の純度に直結することを理解しているだろう」
ルシルは、ぐっと言葉に詰まった。
(反論できない)
彼の指摘は、あまりにも正確だった。疲労や栄養不足は、魔力の制御に直結し、彼女の命綱である『神聖原液』の純度を下げることになる。彼の論理は、ルシルの知識と技術の根幹を突いていた。
「貴女の健康状態は、わたくしの生命維持に直結する。よって、最高の栄養を摂取することは、貴女の『義務』だ」
(義務!?)
ルシルは、あまりの理屈に、言葉を失った。
(この人、わたくしの健康を、自分の『薬の安定供給源』としてしか見ていないの?)
それは、あまりにも合理的で、あまりにも非人間的な言い分だった。王都で「国の生命線」として扱われた時と、本質的には同じ扱いだ。
だが、ジェラルドがルシルを「道具」として見ながらも、結局は妹の讒言に騙されたのに対し、カイラスは、ルシルを「最高級の道具」として認識し、そのために「最高級の環境」を提供しようとしている。この、論理の徹底ぶりが、ルシルには新鮮な衝撃だった。
「で、ですが、わたくしはこの生活に満足して」
「わたくしが満足していない」
カイラスは、即答した。
「わたくしの命の恩人が、わたくしの領地で、最低限以下の暮らしをしている。そのみすぼらしさ、粗末さが、辺境伯としてのわたくしの尊厳を揺るがす。これは、対価であり、わたくしの責務だ」
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それは、有無を言わせない、絶対的な圧力だった。ルシルは、自分がこの男の「論理」には勝てないと、本能的に悟った。
「わ、わかりました」
ルシルは、観念して、小さな声で呟いた。
「その、対価。ありがたく、いただきます」
「それが合理的だ」
カイラスは、ルシルの受諾を確認すると、満足したかのように頷いた。
そして、ふと、彼の視線が、ルシルの着ている服に、ほんの一瞬、注がれたことに、ルシルはまだ気づいていなかった。
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