『偽聖女』として追放された薬草師、辺境の森で神薬を作ります ~魔力過多で苦しむ氷の辺境伯様を癒していたら、なぜか溺愛されています~

とびぃ

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第7章:辺境伯の氷解

7-3:解放されし【コキュートス】

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第三防衛ライン。
そこは、嘆きの森と、麓の村々を隔てる、最後の砦だった。
石造りの頑丈な城壁が、今、赤子の玩具のように、たやすく打ち破られていた。
兵士たちの絶望的な叫びと、魔獣の地を揺るがす咆哮が、戦場に不協和音を響かせている。
「ぐわああ!」
「だめだ、防壁が持たない!」
辺境伯の兵士たちが、必死に魔術障壁を張るが、それも主級魔獣の圧倒的な魔力の前に、瞬く間に霧散していく。
「“森の巨人(フォレスト・タイタン)”。」
体長は三十メートルを優に超え、その巨体は、森の木々や岩石を、まるで鎧のように身に纏っている。
主級魔獣。その肌は、石炭のように黒く、魔力を吸い込んだ太い蔦が全身を覆い、弱点がない。
その一歩一歩が、地震のように大地を揺るがし、兵士たちの士気を打ち砕く。
「総員、退避! 麓の村へ伝令を!」
騎士隊長が絶望的な叫びを上げた、その瞬間。
スウッ、と。
戦場の喧騒が、嘘のように静まり返った。
兵士たちの前に、カイラスが、音もなく転移してきた。彼の足元は、主級魔獣の魔力による泥と埃から守られ、その軍服は一点の汚れもない。
「か、閣下!」
「なぜ、ご自身が! お体は!」
「全員、退がれ」
カイラスは、部下たちの驚愕を、冷徹な一言で制した。彼の声には、かつての病の苦痛の影は微塵もなく、絶対的な支配者の冷たさだけが宿っていた。
彼は、迫り来る「森の巨人」を、何の感情も浮かべない蒼い瞳で、真っ直ぐに見据えた。
(これか)
カイラスは、迫り来る「死」の圧力にも、微動だにしなかった。
(今までは、この圧力を、わが身の内の魔力で相殺するだけで、精一杯だった)
力の解放は、自滅を意味した。半端な力で戦うことは、常に命懸けだった。
その枷が、彼を「王国最強」でありながら、常に「不完全」な状態に留めていたのだ。
(だが、今は)
彼の脳裏に、森の小屋で、凍傷の痛みにも耐えながら、自分に『神薬』を投与した、あの泥まみれの薬草師の姿が浮かんだ。
ルシルの、あの揺るぎない確信に満ちた笑顔。
「もう、その薬は必要ありません」
その一言が、彼を何十年もの呪縛から解放した。
(ルシル。貴女がくれた、この「完全」な魔力制御)
「森の巨人」が、カイラスの存在を脅威と認識し、その巨木のような腕を振り上げた。
空気が断裂するほどの、凄まじい風圧と魔力。それは、周囲の兵士たちの魔術障壁を、音もなく飲み込んだ。
だが、カイラスは、剣を抜くことさえしなかった。
彼はただ、静かに、その手を、振り下ろされる巨腕へと向けた。
「【コキュートス】」
その一言は、音にならなかった。
それは「魔術の詠唱」ではない。彼自身の魔力の本質、世界の法則を書き換える「宣言」だった。
ルシルが魔力を極限まで純粋に精製するように、カイラスは魔力を極限まで「停止」させる力に変える。
次の瞬間、世界から「音」と「熱」が消えた。
兵士たちの耳に届くのは、耳鳴りのような、高周波の「静寂」。
「森の巨人」の巨腕が、カイラスに届く、数メートル手前で、ぴたりと停止した。
振り下ろされる風圧も、地響きも、全てが、まるで時が止まったかのように、静止した。
巨人の、驚愕に見開かれた目が、ゆっくりと白く凍りついていく。
彼が体内に纏っていた、魔力と熱エネルギーが、根こそぎ奪い取られていく。
カイラスの魔力の本質。それは、物理法則を無視して、対象の「熱エネルギー(運動エネルギー)」を、分子運動レベルで「停止」させる力だ。
「森の巨人」を構成していた、岩も、木々も、そして魔力核そのものも、その絶対的な「停止」の力の前に、一瞬で、その活動を止めた。
数十メートルの巨体が、一瞬にして、巨大な氷の彫像へと変わる。
「……」
後方で見ていた兵士たちは、声も出なかった。彼らが知るカイラスの魔法は、強力だが、必ず彼自身に「苦痛の反動」をもたらすものだった。だが、今のカイラスは、まるで、全能の神がその力を振るったかのような、冷徹なまでの「完成度」だった。
カイラスは、凍りついた巨人を見上げ、静かに指を鳴らした。
パリン。
小さな亀裂が、巨人の足元に走る。
次の瞬間、氷の彫像は、自らの重みに耐えきれず、轟音と共に崩れ落ち、無数の氷の破片となって、森の地面に降り注いだ。
主級魔獣が、王国最強の魔術によって、文字通り「塵」と化した瞬間だった。
カイラスは、降り注ぐ氷の破片の中で、自らの手を見つめた。
(反動が、ない)
痛みも、苦しみも、魔力の暴走の兆候も、何もない。彼の体内で魔力は完全に制御され、心は穏やかだ。
ただ、ルシルの淹れてくれたハーブティーの温かさだけが、まだ、体の芯に残っているようだった。
「終わった。帰るか」
彼は、呆然とする部下たちに背を向け、再び転移の魔術を起動させた。
一刻も早く、あの小屋で待つ、彼女の顔が見たかった。彼女のハーブティーを飲み、この「無痛」の勝利を報告したかった。
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